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21.歓喜の夜会


 王都で最も由緒ある家柄の一つであり、古くからヴァレリオ公爵家と深い交流のあるド・ラ・クロワ公爵家から、ジュリアンとリシェルに夜会への招待状が届いた。それは、単なる社交の場への誘いではなかった。ジュリアンが王都を不在にしていた間、若き公爵夫人として公爵家を立派に務め上げたリシェルへの、社交界からの公的な労いと、同時に新婚の公爵夫妻を正式に、そして華々しく社交界に紹介する意味合いが込められていた。この夜会は、ヴァレリオ公爵夫妻にとって、二人の絆を公に示す、最初の重要な舞台となるはずだった。




 夜会当日、リシェルはジュリアンが特別に選んでくれた、深紅のベルベットドレスに身を包んでいた。その色は、夜会の灯りの下で妖艶に輝き、リシェルの白い肌を一層引き立てた。胸元には、ヴァレリオ公爵家に代々伝わるルビーのネックレスが煌めき、その深紅の輝きは、ドレスの色と見事に調和していた。髪は、熟練の侍女エミリアによって、優雅なアップスタイルに結い上げられ、数粒の真珠が散りばめられていた。その全てが、リシェルの本来持つ美しさを最大限に引き出し、彼女を真の公爵夫人へと昇華させていた。隣に立つジュリアンは、リシェルのドレスの色に合わせた深紅のブローチをつけた漆黒の礼服姿で、その完璧な佇まいは、まるで絵画から抜け出たかのようだった。彼の「可愛いものが大好き」という秘密の趣味は、リシェルのための装いに存分に発揮されていた。彼は、リシェルがこの夜会で最も輝く存在となるよう、細部にまでこだわり抜いたのだ。二人が並び立つ姿は、まさに王都の貴族が夢見る理想の夫婦像そのものだった。




 公爵家の紋章が輝く馬車が、ド・ラ・クロワ公爵邸の重厚な門をくぐると、既に多くの馬車が列をなしていた。次々と降り立つ貴族たちの華やかな服装や、彼らの話し声が、夜会の盛況ぶりを物語っていた。邸宅の入り口へと続く広々とした階段を上り、会場の大広間へと足を踏み入れると、そこはきらびやかな貴族たちで埋め尽くされ、天井から吊るされた巨大なシャンデリアの光がまばゆく降り注いでいた。甘い花の香りや、微かなワインの香りが混じり合い、優雅な音楽が空間を満たしていた。

 ジュリアンがリシェルの手をそっと取り、エスコートしながら大広間へと足を踏み入れると、一瞬、周囲のざわめきが鎮まった。これまで、ジュリアンは社交界では常に冷静で、感情を表に出すことはほとんどなかった。彼の隣に立つ女性も、どこか怯えたような表情のリシェルだった。しかし、今夜の二人は違った。誰もが、その美しく、そして愛情に満ちた二人の姿に目を奪われたのだ。以前のジュリアンからは想像もできないほど、彼の視線はリシェルに優しく向けられ、その瞳には深い愛情が宿っていた。リシェルもまた、彼に寄り添うように微笑み、その表情は、以前の怯えを全く感じさせない、心からの幸福に満ちていた。彼らの間には、誰の目にも明らかな強い絆が生まれていた。


「ジュリアン様、本日も素晴らしい夜ですわね。皆様、とてもお美しく、わたくしも心が浮き立ちますわ」


 リシェルは、ジュリアンにそっと囁いた。彼の大きな手に、自分の指を絡める。その触れ合いは、彼らの間に流れる甘い空気を、さらに濃厚なものにした。ジュリアンは、無言でリシェルの指を優しく握り返し、その表情には、普段の無表情の奥に隠された、深い満足感が滲んでいた。彼の口元には、微かだが、幸福に満ちた笑みが浮かんでいた。それは、彼がリシェルと出会ってから、初めて見せるような、心からの笑顔だった。

 周囲の貴族たちは、ひそひそと囁き始めた。


「見てごらんなさい、あのヴァレリオ公爵夫妻を! 噂には聞いていたが、まさかここまでとは……!」

「公爵があんなに奥様を慈しむような視線を送るなんて……本当に、絵になる夫婦だわ」

「ヴァレリオ公爵のあの完璧な美貌が、ようやく笑顔を見せるようになったのね……」


 彼らの目には、ジュリアンとリシェルの姿が、まるで童話から飛び出してきたかのように映っていた。




 しかし、その夜会には、招かれざる「観客」もいた。ミレーユ伯爵フランソワと共に夜会に参加していたシャルロッテだ。彼女は、会場の一角で、優雅に振る舞いながらも、周囲の視線が一点に集中していることに気づいた。そして、その視線の先にある、王都でも一際輝くヴァレリオ公爵夫妻の登場に、一瞬で顔色を失った。


「ば、馬鹿な……!」


 シャルロッテの顔から、血の気が引いていく。彼女の視線は、人混みに紛れながらも、リシェルとジュリアンの姿を凝視した。彼女の目に映ったのは、これまで彼女が知り、愛したジュリアン公爵とは、全く異なる姿だった。ジュリアンの瞳は、これまでの冷たさや無関心を完全に失い、リシェルへの愛おしさで満ちている。その視線は、まるでリシェルだけが世界に存在する唯一の光であるかのように、彼女を追っていた。リシェルもまた、ジュリアンに甘えるように寄り添い、その表情は、以前の怯えを全く感じさせない、心からの幸福に満ちていた。彼女の頬は、微かに紅潮し、その瞳は喜びで輝いていた。ジュリアンがリシェルの耳元で何かを囁くと、リシェルが顔を赤らめてジュリアンの肩に頭を預けた。それは、恋人同士の甘やかな仕草そのものだった。シャルロッテの心臓が、激しく脈打った。それは、怒り、絶望、そして裏切られたような感情から来るものだった。

 シャルロッテの脳裏に、これまでの妨害工作の全てが走馬灯のように駆け巡った。完璧に演じ切った淑女の仮面、周到に仕組んだ晩餐会での失態、ジュリアンの不在を狙った公爵邸での工作、手紙の偽造、そしてロゼリア老公爵夫人への働きかけ……その全てが、今、目の前の光景によって、無意味だったと突きつけられたのだ。彼女の計画は、完璧だったはずだった。あの臆病で引っ込み思案なリシェルが、ジュリアンに受け入れられるはずがないと、固く信じていたのだ。それなのに、なぜ……。


「そんな……私が、あれほど忠告してやったのに……!  あの女は、ジュリアン様にはお似合いではないと……!  私が、ジュリアン様にお似合いだと思っていたのに……!」


 シャルロッテの心の中で、激しい嫉妬と絶望が渦巻いた。その感情は、彼女の体を内側から蝕むかのようだった。ジュリアンが、自分ではなく、あの「はしたない」リシェルを選んだ。そして、二人の間には、もはや自分が入り込む余地など微塵もない、完璧な、そして揺るぎない世界が築かれている。その事実は、シャルロッテの心を深くえぐった。彼女は、自分が作り上げた理想のジュリアン像が、目の前で砕け散るのを見ていた。

 隣にいた父、フランソワ伯爵は、娘の異変に気づき、心配そうに声をかけた。彼の声は、シャルロッテの耳には届いていないようだった。


「シャルロッテ、どうした?  顔色が悪いぞ。どこか具合が悪いのか?」


 フランソワ伯爵は、ジュリアンの無表情の仮面の下に隠された、可愛いもの好きという秘密を、噂レベルで耳にしていた。しかし、まさかそれがここまで公爵に影響を与え、彼の心を完全に変えてしまったとは知らず、娘の焦燥の本当の理由を理解できなかった。彼は、ただ娘が病気になったのだと案じるばかりだった。

 シャルロッテは、父の声にも反応せず、ただただ、ジュリアンとリシェルの姿を睨み続けていた。彼女の瞳には、憎悪と、そして決して埋まらない溝を突きつけられた絶望が、深く刻み込まれていた。その夜、王都で最も輝く公爵夫妻の姿は、シャルロッテにとって、永遠に消えることのない悪夢となった。そして、この絶望が、彼女をさらなる行動へと駆り立てることを、誰もがまだ知る由もなかった。

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