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毒舌な生徒会長と鋼メンタルの俺

作者: れぐるす

「鈴木さん。文化祭のステージ発表の説明資料はできたの?」

「す、すいません。まだです……」

「早くしてって、昨日も言ったわよね」

「……はい……」


 後期生徒会が発足してから一週間。

 生徒会室のピリピリした空気の中で、俺はあくびをするのを必死にこらえていた。


 生徒会というものは学校の中の優秀な生徒たちによって組織されるため、ピリピリした空気が流れること自体は不自然なことではないかもしれない。


 ただ、今期の生徒会室は窒息しそうなほどの緊張した雰囲気だった。


 そのような雰囲気を作り出している人物こそ、生徒会長の国頭真紀(くにがみまき)だ。


 彼女は俺と同じクラスの二年生。清楚で可憐な大和撫子。

 黒く美しい髪を耳にかけながら資料に目を通し、凛とした声で生徒会メンバーに指示を飛ばすその姿は、正に生徒会長といった感じだ。


 ただ、彼女には唯一にして最大の欠点がある。

 国頭さんはあまりに言葉がキツイ。要は『毒舌』なのだ。


「高田さん。昨日の会議で出た質問への回答、できてるかしら?」

「えっと……」

「できたの? できていないの?」

「……すみません。できてないです……」


 生徒会長に冷たい声でそう尋ねられた一年生の書記、高田さんは泣きそうな表情で、ただでさえ小さい体をさらに縮こまらせながらそう答える。


「じゃあ、それは私がやるわ」


 国頭さんは怒るでもなく、ただ、無表情で高田さんにそう告げる。


「で、でも…… それじゃあ、会長の負担が多くなりすぎるんじゃ……」


 高田さんの言う通り、国頭さんは文化祭に向けて、生徒会の仕事だけでなく、生徒会実行委員会の仕事や、クラスの出し物の仕事を抱え込んでいる。


「いえ。高田さんの能力を見誤った私の責任だから」


 それなのに、国頭さんは高田さんを一瞥もせず、そう返す。


 生徒会室の気温が、五度くらい下がった気がした。


 きっと、国頭さんは『私の責任だから高田さんは気にしないでいい』と伝えたいのだろう。


 しかしそれは、国頭さんと付き合いが長くて、この状況を冷静に見ている俺だから分かることだ。

 きっと、高田さんには『お前はこの程度の仕事もできないのか』という風に聞こえてしまっているだろう。

 

「…………ごめんなさい」


 案の定、高田さんは表情をくしゃりと歪め、俯いてしまった。


 これはまずいな。

 このままでは発足してからたったの一週間で生徒会が空中分解してしまう。


 成り行きに任せるつもりだったが、このまま高田さんに泣きだされてはたまったものではないので、俺は仕方なく口を挟むことにする。

 

「高田さん。それなら俺の仕事を手伝ってよ。まだ半分も終わってなくてさ」

「は、はい!」


 なるべく明るく、へらへらとした感じの口調でそう伝えると、高田さんは慌てて目元を拭い、そう返事をしてくれた。


黒鉄(くろがね)君。あなた、自分の仕事を後輩に押し付けるつもり?」


 しかし、そういう適当な行動が嫌いな国頭に睨まれてしまう。


「あなたは副会長なのよ。もっと自覚を持ってよ。あなたがもう少し真面目に仕事に取り組んでくれれば、みんなの仕事が減るんだから。そもそもこの前だって——」


 俺を叱りながらも仕事の手を止めない国頭さん。


 国頭さんは理不尽に怒ったり、ヒステリックに怒鳴ったりはしない。常に冷静に事実だけを述べているし、俺への指摘も的を射ている。

 ただ、彼女の言葉は正論で語気も強く、そのせいで『毒舌』だと周りから言われ、クラスでも浮いた存在になってしまっているのだ。


 別に俺は、国頭さんにどんなことを言われても気にならないのだが、どうやら俺はかなりの鋼のメンタルの持ち主らしく、俺以外の人は国頭さんの毒舌を恐れ、距離を取っている。


 正直もったいないと思う。


 俺は国頭さんのことを、真面目で優秀な尊敬できる人だと思っているし、できればみんなと仲良くなって欲しいと思っている。

 ただ、どうやら国頭さんは他人と距離を取っている節があるので、俺はお節介にならない程度に、国頭のフォローに入るようにしている。まあ、ただの自己満足だ。

 


 そんなことをぼんやりと考えながらふと顔を上げると、国頭さんにがみがみと叱られる俺を、鈴木さんや高田さんをはじめとした生徒会メンバーが気の毒そうな表情で見つめていた。

 そんなみんなを心配させないように『大丈夫だ』というふうに手を振る。


「黒鉄君。話聞いてるの?」


 すると、それを目ざとく見つけた国頭さんの、冷たい声が俺の耳に響く。

 よくもまあ仕事をしながら俺の動きを見れるものだな。と思わず感心してしまった。

 

「あ、はい。聞いてます」

「嘘言わない。そんな暇があったら手を動かして」

 

 有無を言わさぬ冷たい口調でぴしゃりとそう言われてしまったので、俺は一度深呼吸をしてから、仕事に集中することにした。



◇  ◇  ◇



「今日はお疲れさま。あとは私がやっておくから、みんなはもう帰っていいわよ」

 あれから二時間ほど経っただろうかと言うタイミングで、国頭さんがそう口にした。

 しかし、国頭さんが帰ろうとしないところを見ると、多分彼女はまだ残って仕事をしていくつもりなのだろう。


 無理していなければいいんだけどな。と心配しつつも、俺も早くバスケ部に向かわなければならなかったので、国頭さんに一言挨拶をしてから生徒会室を後にした。



「黒鉄先輩、今日もいっぱい国頭会長に怒られてましたね」


 生徒会室を出ると、後ろから高田さんに声をかけられる。


「ごめんね、うるさくして」

「いえ、そうじゃなくて…… 辛くないんですか?」


 仕事の邪魔をしていたのかもしれないと思って謝ると、高田さんが心配そうな表情で俺を見上げてきた。

 どうやら俺のことを心配してくれているようだ。なんて優しい後輩だろうか。


「大丈夫だよ。いつものことだし」


 後輩の高田さんは知らないだろうが、あれはいつものことなのだ。

 国頭さんは真面目な性格なので、適当で怠惰な俺を許せないのだろう。クラスでもたくさん怒られているので、国頭さんに怒られることはもはや日常でもあった。


「でも、結構厳しいことを言われてませんでした?」

「まあ、そうだけど。ほら、俺って鋼メンタルだからさ。なにを言われても、あんまり気にならないんだよね」


 なおも俺を心配してくれる高田さんに、俺は頭をかきながらそう答える。

 すると、高田さんは俺の目をじっと見たあと、納得したようにぽんと手を叩いた。


「なるほど。だから、『国頭会長の隣に立てる人間は黒鉄先輩しかいない』という噂が学校中に広がってるんですね!」

「え、何その噂」

「知らないんですか? 孤高の国頭会長の隣に立てるのは黒鉄先輩しかいないってみんな言ってますよ」


 そうなんだ。なんだか褒められているみたいで、ムズムズするな……


「私、黒鉄先輩も国頭会長に負けず劣らず優秀な人だと思ってたんです。だけど、いざ生徒会に入ってみたら黒鉄先輩は叱られてるだけで、どうしてかな? って不思議だったんです。でも、ようやく分かりました。黒鉄先輩はどれだけ厳しいことを言われても気にしないから、毒舌な国頭会長の隣に居続けられるってことだったんですね!」


 全然褒められていなかった。

 高田さんは俺に尊敬のまなざしを向けてくる。どうやら俺をディスる発言をしていた事には気づいていないようだ。

 まあ、俺は鋼メンタルなので、後輩にディスられたからと言って気にしないのだが。

 

「ああ。そういうことか…… まあ、確かに、同級生や先生たちからも、『国頭さんは任せた』とか言われるからな……」


 最近では『とりあえず国頭さんは黒鉄に任せておけば何とかなる』という風潮が蔓延っていることに、高田さんに言われてようやく気づいた。

 言われてみれば、国頭さんが生徒会会長に選出された時には、先生達も元生徒会メンバーの先輩達も、こぞって俺を生徒会副会長に推薦してきたもんな。


「でも、先輩はすごいですね。私、あんなに叱られたら、心が折れちゃいそうです」


 高田さんはしゅんと肩を落としている。


「いや、高田さんの方がすごいよ。俺が全然終わらせられなかった仕事を、あんなに早く終わらせたんだから」


「私だって生徒会書記ですから。優秀なんですよ」


 ちょっと褒めただけで高田さんはすぐに機嫌を直した。国頭さんの比べると、扱いやすくて助かる。


「でも、さすがの私も国頭会長には負けます。国頭会長はすごいです。尊敬します」

「まあ、あの人には誰も勝てないよ」


 ため息交じりにそう言うと、高田さんが「いいえ!」と大きな声で否定してきた。


「でも、私はもっと他人に優しくできます」


 そして、なぜか国頭さんに張り合い始めた。


「黒鉄先輩だって、国頭会長に優しくされたいですよね?」


 どうだろう。俺は国頭さんのことを優しくないと思ったことはない。今日だって俺たちを早く帰らせてくれたし、それに、国頭さんが本当に優しくない人間だったら、文化祭のためにあそこまで頑張ったりはしないだろうから。


「俺は今の国頭さんのままでいいかな」


 特に深く考えずそう口にすると、高田さんがニヤリとした笑みを浮かべる。


「なりほど…… ありのままのキミが好き。というやつですか」

「え。いや、俺、国頭さんのこと好きって訳じゃないよ」


 高田さんのからかいを、持ち前の鋼メンタルで受け流す。


「先輩、つまんないです」


 高田さんはそう言い残し、一年生の下駄箱の方に去って行った。


 つまんなくてすみませんね。


 心の中でそう呟いて、俺は二年生の下駄箱に向かう。


 しかし考えてみると、鋼メンタルの俺にとって、毒舌というのは欠点になりえない。

 つまり、国頭さんは俺から見ると、美人で、真面目で優秀で、尊敬できるパーフェクトヒロインということになるのではないか?


 高田さんに変なことを言われたせいでそんな考えが頭によぎってしまい、俺は慌てて頭を振る。

 そして、少しでも早く部活に参加するために、急いで体育館に向かった。




◇  ◇  ◇





「鋼~! 一緒に帰ろうぜ!」


 部活終わり。着替え終わって部室の鍵を閉めていたタイミングで、テニス部の友達から声をかけられた。


 もちろんいいよ。と言いかけた俺は、ふと生徒会室の電気がまだ消えていないことに気が付いた。


 あの国頭さんが、電気を消し忘れるとは思えない。

 ということは、彼女はまだ仕事をしているのだろう。


「あ~ ごめん。俺、生徒会の用事があるから、先に帰っててくれ」


 そう言うと、友達は苦笑いを浮かべた。


「あの毒舌生徒会長の面倒を見に行くのか? お前、本当に優しいよな」

「いや、そんなんじゃないって。また明日な」


 俺は友達に手を振りながら、ほとんど電気の消えた校舎へ足を向けた。

 


 下校時刻が迫っている学校の廊下は、誰一人として歩いていない。俺は何となく足音を殺しながら廊下を歩き、生徒会室の扉の前にたどり着く。

 そっと教室の中を覗くと、やはり、国頭さんが一人で書類の山に埋もれて仕事をしていた。


 下校時刻が迫っているというのに、まだかなりの量の仕事が残っていそうだ。


 ただ、国頭さんの性格からして、ここで俺が助けに入ろうとしても断ってくるだろう。


 だったら、変に波風を立てる必要はない。そう考え、その場を去ろうとした俺は、国頭さんの目元がきらりと光っているのを見てしまった。

 ここから国頭さんまではかなりの距離があるのに、それでも気づけてしまう。それくらい大粒の涙だった。


 それは、彼女の目からぽろりと零れ落ち、頬を伝ってから、机の上にぽとんと落ちる。

 それでも国頭さんは唇をぎゅっと結び、一人で仕事を続けていた。



 さすがの俺も、そんな国頭さんは放っておけない。


 コン、コン、コン、コンと、生徒会室の扉をゆっくりと四回ノックする。

 すると、「はい」という、いつもより少し上ずった国頭さんの声が聞こえてきた。


「ごめん、生徒会室に忘れ物をしてさ。入っていいか?」


 俺は努めていつも通りの口調でそう問いかける。

 国頭さんは、慌てて泣いていた事の証拠隠滅を図ったのだろう。少し間が空いて、ようやく「どうぞ」と返事が返ってきた。


「後五分もしたら下校時刻だけど、仕事、終わりそう?」


 生徒会室に入りながら、何気なくそう尋ねてみた。


「……終わるわ」


 ややあって、国頭さんとは思えないほどの弱弱しい声が返ってくる。多分、彼女も仕事が終わらないことは分かっているのだ。


「家に持って帰って…… ああ、それはダメなのか」

「そう。これは生徒の個人情報が入ってるから、学校から持ち出せないの」


 国頭さんが今やっている仕事は、部活動による文化祭の出し物の申請書類の訂正だ。そこには生徒の氏

名が書かれているため、学校から持ち出せないのだ。


 俺みたいな適当な人間は『それくらい大丈夫だろ』と思ってしまうのだが、国頭さんは真面目なので、持ち出そうなんて考えもしないだろう。


「いつまでに終わらせないといけないの?」

「明日までに部活の申請を終わらせないと、この後に仕事に影響が出そうだから、明日の朝にはそれぞれの部活の部長に申請書類の訂正箇所を伝えたいの」


「……その申請書類って、来週までに提出すれば大丈夫じゃなかったっけ?」

「余裕があるに越したことはないでしょ?」


 国頭さんは真面目だ。それは融通が利かないとも言える。多分彼女は、この申請書類を終わらせるまで帰らないだろう。



 しかし…… 俺はちらりと国頭さんの顔を見る。

 気丈にふるまう彼女の目元は、ほんの少しだけ赤くなっていた。きっと、慌てて目元を拭ったせいだ。


 あれだけ気の強い国頭さんが泣くなんて、よっぽど追い詰められているのだとしか思えない。

 仕方なく俺は、国頭さんの傍らに積まれていた部活動の申請書類を手に取った。


「どういうつもり?」

「だから、忘れ物を取りに来たんだって」


 書類をひらひらさせながらそう答える。どうせ『手伝うよ』と言っても、『必要ない』と言ってくるだけだろうから、俺は少し強引に彼女から仕事を奪うことにした。


「これが終わったら、とりあえず帰れるでしょ?」


「......そうだけど」

「国頭さんみたいに完璧にはできないかもだけど、それでも二人でやれば少しは早く終わると思うけど」

「だから、私一人でできるから」


 さっきまで一人で泣いていたくせに、国頭さんは食い下がる。でも、国頭さんの声はいつもよりも弱弱しかった。


「俺だって部活動の申請書類の訂正ならできるよ。なんてったって、散々国頭さんに訂正を喰らったからね」


 俺が部長を務めるバスケ部も文化祭では出し物をやるため申請書類を提出していた。そして、訂正箇所が書かれた大量の付箋を貼られた申請書類を突き返されていた。

 提出しては訂正されて突き返されるということが何度かあって、つい三日前にようやく受理してもらえたのだ。

 そのおかげで俺は、申請書類の記入漏れやミスが起こりやすい場所を、身をもって理解している。

 だから、少しは力になれる。と思う。


 自信はないが、とにかく、もう下校時刻を過ぎている。

 俺は国頭さんの返事を待たずに、申請書類に目を通し始めた。

 


「……どうして黒鉄君は私に構うの?」


 すると、突然国頭さんが蚊の鳴くような声でそう尋ねて来た。


「分かっているの。口が悪いし融通が利かない人間だから皆に嫌われてるって。でも、それはどうしようもないの。直そうと思っても、どうしてもうまくできなくて」


 少しずつ語気を強めていく国頭さんだが、その口調はいつものような冷静なものではなく、まるで駄々をこねる子どものそれだ。


「どうせ黒鉄君だって、いつかは愛想を尽かして私の前からいなくなるんでしょ? だったら、こんな私なんて、最初から放っておけばいいじゃない!」



 感情のままに言葉を吐きだす国頭さんを目の当たりにして、思わず持っていたシャープペンを机の上に落としてしまう。


 意外だった。

 俺は、国頭さんのことを、一人でも大丈夫な強い人間だと思っていた。


 でも、どうやらそうではなかったみたいだ。

 俺の目の前で俯く国頭さんは、ただの、一人ぼっちになるのが怖い女の子だった。


「……俺は別に、国頭さんのことを性格が悪いなんて思ったことはないよ」

「そんな訳ない。だって、私、黒鉄君にひどいこといっぱい言っているはずだもん」


 それなら、毒舌をやめればいいじゃない。という台詞を俺はすんでの所で飲み込んだ。それができないから、彼女は悩んでいるのだ。


「他のみんながどう思っているかは分からないけど、俺は国頭さんに何と言われようと気にしないよ。なんてったて俺は、誰にも負けない鋼メンタルの持ち主だからね」


 だから俺は、いつもみたいにへらへらとした口調でそう伝えておくことにした。


「......なにそれ」


 さっきまで体を小さくして俯いていた国頭さんが、まるで宇宙人を見るような目で俺を見てくる。

 いや。実際国頭さんが宇宙人を見た時にどんな表情をするのかは知らないが、ともかく、眉をひそめ、まったく理解できないという表情で俺の顔を覗き込んできた。


「だから、ちょっとやそっとじゃ傷つかないってこと。この前の夏の大会なんて、三回戦目で全国常連の強豪に当たって、最終的に五十点差をつけられたんだけど、それでも最後まで諦めなかったんだから」


「それ、結局負けてるじゃない」


 国頭さんにそう言われても、俺は気にしない。その程度では、俺のメンタルはびくともしない。

……嘘だ。本当は結構恥ずかしい。だってよく考えたら今の発言は、バスケの試合でぼろ負けたことを告白しているだけじゃないか。


「そんな状況でも心が折れないほどの鋼のメンタルを持ってるってこと。だから、国頭さんにちょっとくらいきついことを言われても、俺は大丈夫」


 動揺を隠しながら、そう補足する。別に俺は、ぼろ負けしたことを国頭さんに伝えたいわけではないのだから。


「それに、俺は国頭さんが本当は優しい人だって知ってるから」


 国頭さんの仕事ぶりを見ればわかる。

 彼女は、書類の不備がある箇所に付箋を貼り、どう訂正すればよいのかを、一つ一つ分かりやすく説明している。

 付箋に書かれた国頭さんの綺麗な字に、彼女の不器用な優しさが詰まっている気がするのだ。


 これだけ丁寧に仕事をしていたら、終わらないのは当然だ。


「だから、俺は国頭さんを嫌いになったりはしないよ」


 言ってしまってから、激しい羞恥心に襲われる。我ながら柄でもない事を口にしてしまった。

 しかし、俺は鋼のメンタルを持っているので、すぐに自分の気持ちを持ち直すことに成功した。




「……絶対に私の前からいなくならないって、約束できるの?」



 いきなり国頭さんが、しおらしくそう尋ねてくる。


 いつもの勝気な国頭さんの姿はそこにはなく、瞳に不安の色を浮かべた国頭さんから、目が離せなくなってしまった。


 ここで「約束できない」なんて、答えられるはずがない。

 

「……うん。約束する」


 俺がそう答えると、国頭さんはぱっと表情を明るくして、でも、すぐにぷいっとそっぽを向いてしまう。


「そ、その…… 別に、ずっと一緒にいて欲しいとか、そういうことじゃないから、勘違いしないでよ!」


 そして、頬を赤らめながら、いきなりそう怒鳴りつけてきた。


「あ、うん。勘違いしないよ」


 いつもの冷静な国頭さんとのギャップに面食らいながら慌ててそう返すと、なぜだか国頭さんは不満そうに「ちょっとは勘違いしてくれてもいいんじゃないかな……」とか言い出した。

 一体俺にどうして欲しいのか、全く分からない。

 


「それより、もう下校時間過ぎてるから、これだけ終わらせて早く帰ろう」


 俺がそう言うと、国頭さんは少し考えてから、ようやく小さく頷いた。


「......分かった。半分お願いするわ」


 まったく。最初から素直に助けを求めればいいのに。

 まあ、そんなところも国頭さんらしいか。

 俺はそんなことを考えながら、国頭さんと共に申請書類の訂正に取り掛かった。



「黒鉄君。そこ違うってば。」

「あぁ、ごめん。えっと……」

「だから、ここはこうだって。何度言ったら分かるの?」

「……すんません」


 さっきまでのしおらしい国頭さんはどこへやら。すっかり仕事モードに入ってしまった国頭さんは、いつも通りの完璧主義者だった。

 俺の隣でせっせと仕事をこなしながら、俺のミスを目ざとく見つけては注意をしてくる。


 これ、俺がいないほうが早く終わったのではないか? もしかして、余計なことをした? そんな考えが頭に浮かんだが、気にしてはいけない。


 そもそも国頭さんが泣くほどまでに追い詰められていなければ、こんなことにはならなかったのだ。

 だから、俺は悪くない。


 俺はこっそりと責任転嫁を行い、気持ちを切り替えて仕事に集中する。


 こうして俺は、国頭さんに叱られながら、なんとか今日の『忘れ物』を終わらすことができたのだった。

 



◇  ◇  ◇




 ようやく仕事を終わらせて校舎を出ると、もうすでに日は沈み、月と街灯が外をぼんやりと照らしていた。


「もう外も暗いし、送ってくよ」

「一人で帰れるから大丈夫よ」


 どうせ断られるだろうと思っての提案だったが、案の定断られた。ただ、さすがにこんな時間に一人で帰すわけにはいかないので、黙って国頭さんの後を追う。


「……その、ありがとう……」


 すると突然。国頭さんがぽつりとつぶやいた。


「え、なにが?」

「だから、今日。手伝ってくれて、ありがとう」


 まさか、あの国頭さんにお礼を言われるなんて思っておらず、面食らってしまった。


「いやいや。結局書類の訂正もほとんど国頭さんがやってたし、俺は大して力になれてないよ」


 実際。俺が三枚目の申請書をようやく片づけたタイミングで、国頭さんは十枚以上あったはずの残りの申請書の訂正をすべて終えていた。

 正直、俺が国頭さんの助けになっていたかと聞かれると怪しい。

 そう思っての発言だったのだが、なぜか国頭さんは頬を膨らませて不満そうな表情をしている。


「違う。私は黒鉄君が助けに来てくれたのが嬉しかったの」


 国頭さんはいつものように、冷たい口調だ。しかし、言っていることはいつものような冷たい言葉ではなかった。


「今まで私は、一人ぼっちでもいいと思っていたし、一人で全部できると思ってた。でも、生徒会の仕事は思ったより大変で、一人じゃどうにもならなくて、実は、ほんの少し辛かったの」


 国頭さんは『ほんの少し』と言うが、本当は相当辛かったのだろう。でなければ、一人で泣いたりしないだろうから。


「だから、助けに来てくれてありがとう」


 国頭さんは恥ずかしそうに、明後日の方向を向きながらそう口にする。

 なんだか今日の国頭さんは、いつもよりも素直で調子が狂うな……


「別に俺は国頭さんを助けようとした訳じゃないよ。もともと俺の仕事が遅いから、他のメンバーにしわ寄せが行ってるわけだし」


 他の生徒会メンバーは俺よりも圧倒的に優秀で仕事もできる。正直俺がみんなの足を引っ張っている自覚はあるのだ。


「そう。黒鉄君がもっと真面目に取り組んでくれれば、もっと早く終わるんだから」

「はい、ごめんなさい」



「でも……」



 国頭さんは言葉を区切り、くるりと俺の方を向く。そして、なにやら覚悟を決めたように、ゆっくりと口を開いた。


「黒鉄君の仕事が遅いのは、私が他の生徒会メンバーにひどいことを言った時にフォローしてくれてるからなんだよね」



……気づいていたのか。

 まあ、そりゃあ気づくよな。国頭さんは賢いからな。


「黒鉄君はクラスでも生徒会でも、私が孤立しないようにいろいろ面倒を見てくれてる。黒鉄君のおかげで、私は中学の頃みたいにいじめられずにすんでるの」


「いや、俺は何も——」


 してないよ。と口にしたかったのだが、国頭さんに「いいから聞いて」と言われて口を閉じる。



「私、黒鉄君の適当なところとか、同じ失敗を繰り返すところとか、こっそりサボろうとするところとか、嫌い」


 国頭さんはいつものように毒舌だ。

 俺は別に気にしないからいいけど、みんなから避けられないように、もう少しオブラートに包むことを覚えて欲しいとも思ってしまう。



「でも、嫌われ者の私にも話しかけてくれるところとか、こっそり私をフォローしてくれるところとか、こんな私にも優しくしてくれるところとか……」



 まさか国頭さんにそんなことを言われる日が来るとは思っておらず、聞こえてきた彼女の言葉を理解するのに時間がかかった。

 ようやく褒められているのだと気づき、びっくりして国頭さんの方を見ると、頬を赤く染めた国頭さんの横顔が、街灯に照らされていた。



「……そういうところが、すき」

 



「……え……」




 止まった時間の中で、俺の口から意味を持たない言葉が零れ落ちる。


 今、国頭さんに『好き』と言われたのか? 


 いや、そんな訳ないよな。だって、あの国頭さんだぞ。美人で真面目で優秀で、毒舌だということ以外の欠点がない国頭さんが俺のことを好きだなんて、そんなはず……



「そ、それだけ! それじゃあ、また明日!」



 国頭さんはそれだけ言い残して、走り去る。のかと思ったら、すぐ目の前の家に飛び込んでいった。

 どうやらいつの間にか、国頭さんの家に着いていたらしい。



「私を一人にしないって約束したんだから、明日も絶対に生徒会室に来てよね!」



 家の扉を開ける前に一度振り返った国頭さんは、早口でそうまくしたててから乱暴に扉を開け、バタバタと家の中に入っていく。

 いつもの冷静な国頭さんなど、見る影もなかった。





 すき…… って言ってたよな。

 



 国頭さんの言葉を思い出してしまい、頭が沸騰したような錯覚を覚える。

 落ち着け。俺は鋼のメンタルの持ち主なんだ。国頭さんにどんなことを言われても動揺しないのが俺の取り柄なんだ。

 



……そうか。確かに鋼は固い。国頭さんの毒舌でもびくともしないほどにだ。



 でも、鋼は熱に弱いんだ。だって、鋼はいくら硬くても、熱に当てられたら溶けてしまうのだから。



 だから今、俺はこんなに動揺しているんだ。


 熱に浮かされた頭で、俺はぼんやりとそんなことを考えていた。



「明日から、どんな顔で会えばいいんだよ......」



 結局俺は、体の熱が冷めるまで、国頭さんの家の前で立ち尽くしてしまった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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