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第6話-① 奇襲、花落つ〈上〉

 騎士団長ミストラの腹から流れ出した血が命の温度を失っていく。死が迫っていた。



 夕暮れの山道。

 燃えるような茜色(あかねいろ)の空に照らされて、映る景色すべてが影絵と化している。高く伸びる木々も、獣の姿も、自分たちさえも影に呑み込まれてしまいそうだった。


「もういい……私は置いていけ……」


 ミストラが弱々しく呟く。

 腹から滴る血が山道に尾を引いていた。

 村で筋力鍛錬をしてみせたときはあれほど凛々(りり)しかった壮年の騎士が、すっかり生気(せいき)を失いかけている。一歩進むごとにミストラの唇からは血の色が抜けていく。


「山道を知る君がいれば〈勇者の剣〉を持ち帰れる。私のことは捨ておけ……」

「できません……そんなことをすればあなたは……!」


 今にも死に絶えそうな彼を、両脇から支えて歩く。特殊部隊の隊員と二人がかりで。そうでもしなければミストラは歩くことすら困難だった。


「いいんだ、私の命など……。この〈勇者の剣〉を誰かが持ち帰ることができれば、それで、我々の勝利なのだから……」


 ミストラの腰元には二振(ふたふ)りの剣が収まっている。一つは騎士として王より(たまわ)ったもの。そしてもう一振(ひとふ)り。

 ──〈勇者の剣〉だ。

 飾り気ない(さや)、短い刀身、(つば)も簡素なつくり。パッと見たところは特別なところはない。


 しかし、探していた伝説の剣で間違いなかった。

 この剣を(ほこら)から持ち出せた今、遠征の目的は半ば果たされていた。

 ただ、思わぬ誤算があった。


 騎士団長であるミストラが傷を負うほどの誤算が。結果として隊は壊滅し、散るように逃走する羽目に陥っていた。

 隊員の男が励ますように言う。


「ミストラ隊長、今に私が〈治癒(ちゆ)〉の奇跡であなたを救ってみせますから」

 男は腰に括りつけられた分厚い本を撫でる。使い込まれて擦り切れた表紙の、聖典。


 隊員の名はディルクス。僧侶(そうりょ)だ。

 禿頭(とくとう)で右耳が削がれている、見た目には厳つい男。ザナリの言った『雇われ組』三人のうちの残り一人だ。


「ディルクス、しかし……私は、もう……」


 名を呼ばれた僧侶は首を振る。


「ほら、正面に大岩が見えるでしょう。あの陰に身を隠しましょう。安全が確保できたら、すぐに〈治癒〉の奇跡を使いますから」

「やつが来る……来てしまうぞ……あの邪族が……」


 邪族。

 三人はいま、一体の邪族に追いかけられていた。

 はじまりは特殊部隊の一行が〈勇者の剣〉を手に入れた直後。

〈勇者の剣〉が封印されていた(ほこら)を抜け出すと、待ち構えていた邪族により騎士が二人、殺された。


 他の騎士たちが応戦(おうせん)の構えを見せるなか、ミストラだけは冷静だった。機転を利かせて部隊を二つに分けると、それぞれを別の方角へと逃げさせた。祠のある草原から山へと馬を(はし)らせる部隊の面々。

 作戦は(こう)(そう)した。邪族は二手に分かれた部隊を交互に見て、動けずにいた。

 だというのに。


 ミストラはなぜか腹に傷を負わされていた。

 原因を突き止めるよりまず、乗っていた馬から降りた。馬上で姿勢を保てないほどの怪我だった。であれば落馬する前に自ら降りる。それがミストラの判断だった。


 実際それは正しかった。二人がかりで支えてなお、歩くのがやっとなのだから。

 大岩に辿りつくと、茜色の夕焼けから逃げるように、陰に身を潜める。

 岩を背にしてミストラを座らせる。


「ミストラさん、傷を見ますね」


 (よろい)()(がね)を外して、肌着を短刀で切り裂き、患部(かんぶ)を露出させる。

 腹が血に染まっていた。

 僧侶のディルクスが聖典をめくり、首から提げた聖十架(せいじゅうか)を握り締め、祈りを捧げる。


「神よ、我らに命の輝きを与えたまえ──〈治癒〉」


 ディルクスが聖十架(せいじゅうか)をかざすと、ミストラの腹から流れている血が、地面を濡らしていた血が、体を這うようにして遡って傷口へと呑み込まれていく。

 ミストラは拳を強く握りこむ。


「う……っく……」


 患部の皮膚がぐにぐにと蠢き、傷が塞がっていく。ミストラの呼吸が落ち着く。


「止血と、重要な臓器の回復を優先しました」


 行使されたのは〈治癒〉を叶える聖属性魔法。

 またの名を『(かみ)奇跡(きせき)』。

 聖職者が得意とする魔法だ。


「ああ、いくらか、ゴホッ……楽にはなったな……助かるよ」


 無理をしているのは誰の目にも明らか。すぐに動けるかは怪しいところだった。


「隊長。今日はもう休みませんか? 祠からはかなり距離を置きました。邪族が私たちを見つけるまではまだ時間がかかると」

「確かにすぐにはやってこないかもしれんな」

「では、いま野営の支度を」

「いいや、まずはザナリたちと合流したい。馬は……」


 僧侶のディルクスが首を横に振る。


「我々が降りてすぐ、逃げるように走り去ってしまいました。邪族への恐怖からでしょうかね……判断を誤ったかもしれません」

「自らを責めるな、ディルクス。落馬して転落死していたら私は笑い者にもなれなかった」


 ミストラが苦痛に顔を歪めながらも体を起こす。


「隊長! あまり無理をなさらないでください。私の〈治癒〉は全ての血液を元に戻せるわけではないのです。失血による死を迎えていないのは神のご慈悲でしかない。なあ、君からも言ってくれないか」

「えと……」なんと言えばいいのかと言葉を考えたが、正直に伝えることにする「ミストラさん、山を降りるのは明日にしましょう。その状態ではとても……」


「だからこそだよ」


「はい?」

「神が慈悲を与えてくれるうちに──命があるうちに、できるだけ遠くまでこいつを運ばなければいけない」

 ミストラは腰に佩いた〈勇者の剣〉に触れる。


「でも……」

「もちろん考えなしに言っているわけじゃないさ──こいつを君に託したい」


 そう言ってミストラは〈勇者の剣〉を手渡してくる。


「えっ」


 ずしりとした重み。

 武具としては軽い部類のはず。だが、確かな質量を両の手のひらに感じる。彼らの任務の全てが詰まった、これまでの歩みの全てが詰まった責任の重みだった。


 持つはずもなかった重みだ。

 ディルクスの方を向き、どうすればいいのかと尋ねるも、首を横に振られてしまう。


「えっと、なんで俺が……」

「私でもディルクスでもダメなんだ。この山を知る君がいなければ、どのみち村へは戻れない」

「あ……」

「もし誰かひとりに〈勇者の剣〉を託すとしたら、君しかいない。君さえ生き残っていれば、〈勇者の剣〉は届けられる。なに、君のことは命を賭してでも守ると約束しよう」

「……いいんですか。俺は特殊部隊の隊員でもないのに」

「関係ないさ。大切なのは〈勇者の剣〉が前線のアステラに届くこと。それだけだ」


 ミストラの瞳は使命の炎に燃えていて。


「わかりました」


 熱にあてられるように答えた。

 手の中の〈勇者の剣〉を握りこむ。じんわりと、指先の熱が(さや)に伝わっていくような感覚。


「俺が預かっておきます」

「助かる」


 目を合わせて頷きあったところで、ディルクスがちいさく手を挙げる。


「……話はまとまりましたか、隊長」

「すまんなディルクス。君を信頼していないわけじゃないんだが」

「分かってます、万が一を考えれば妥当な判断です。けれど、あなたを生きたまま連れて帰ることを諦めたつもりはない。そのことはお忘れなく」

「ふ、無論、私もだ。だが次は捨て置いてくれ。私が行けと言ったら行ってくれ。それが任務の成功に繋がる。人類を救う道になる」


 すでに決めたことだ、と彼の瞳は雄弁に語っていた。


「……はい」


 ディルクスは聖十架(せいじゅうか)を握り締める。


「さて、では急ごうか」


 ミストラが、外していた鎧を手に取って身に纏おうとする。

 そこで手を止めた。

 ディルクスが怪訝(けげん)そうに尋ねる。


「どうかしましたか隊長」

「……無い」

「え? ない、ですか? なにがです」

「無いぞ、鎧に傷がない」

「ええと……それがなにか?」

「ディルクス、では、私はどうやって貫かれたのだ」

「え────」


 ミストラは甲冑の腹部をさする。細かな(へこ)みや汚れなどはあるが、ミストラの腹を傷つけたのと同じような大きさの穴は開いていない。

 不可解だった。


「……胸騒ぎがする。やはり急ごう」


 低い声で呟くとミストラは鎧を着こんでいく。


「まずいな、痛みに気を取られて多くを見落としている。そうだ、おかしなことは他にもあるぞ。どうやって(ほこら)の位置を知った? どこから現れた? どうやって私を斬った?」


 身支度を整えながらミストラは呟く。


「あの邪族はどんな方法を使った?」


 答えられる者はいない。

 三人全員が不気味さに背筋を撫でられ、大岩の陰から立ち去ろうとして。




「──教えてやろうカ?」




 地を揺らすような低い声がした。

 振り返ると、岩のてっぺんに大きな影が見える。

 湾曲刀(わんきょくとう)を肩に担ぎ、ギチギチと口角を上げて(わら)う、邪族がいた。


 夜闇に紛れる泥炭色(でいたんしょく)の肌。

 ギョロリと()かれる目だけが白く。

 姿かたちをハッキリと視認しかけた、その時。


「逃げろ!」


 ミストラが叫んだ。

 それを認識するまで身体は硬直していて、ようやく言葉の意味を理解し始めるまで、たった数拍ほどの間。その一瞬で全ての趨勢(すうせい)が決まった。


 まず、飛び降りてきた邪族にミストラの左腕が切り落とされる。ミストラとて呆けて攻撃を食らったわけではない。自分の片腕を犠牲にしてでも背後の二人を守った。〈勇者の剣〉のために左腕を差し出したのだ。


 それからミストラは右手で『暁の騎士団』の証たる首飾りを放って投げてくる。

 台座に()えられた(あか)い宝石が闇夜に負けじと(きら)めく。とっさに放られたそれを受け取ったのは僧侶ディルクスだった。


「行け!」


 ディルクスと二人で走り出す。ミストラの声に押し出されるように。

 なにが起きたのかは理解できていない。

 だが走り出す。


 ミストラの覚悟が決まっていることはつい先ほど確認したばかり。なら、すべきことは一つ。

〈勇者の剣〉を届けるのだ。

 ふと風が吹いて、ミストラの最後の言葉が耳へと届く。


「────頼んだぞ」


 その言葉を噛みしめながら、僧侶ディルクスと二人、転がるように逃げた。

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