第0話 拝啓、名も無きあなたへ捧ぐ
新作です。
よろしくお願いいたします。
「ねー、お母さん、早くおはなし聞かせて。かっこいい英雄のおはなし!」
小さな村の小さな家の、小さな娘が言った。布団にくるまってキラキラした目で。
夜寝る前の、いちばんの楽しみだ。
「そうねえ。色んな英雄のおはなしをしてきちゃったから、どうしようか?」
「新しいおはなしがいい! 聞いたこともないような、英雄の話!」
娘は目を輝かせて言う。
難しい注文だ。
母親は木窓の外へ顔を向ける。夜の空を流星がひとすじ引っ掻いた。光る傷痕が闇に消えていくのを静かに受け入れる。それから微睡む愛娘の頭をそっと撫ぜる。
「おはなしが終わったらちゃんと寝るって、お母さんと約束してくれる?」
「うん! ぜったいねる!」
「あら元気なお返事ね」
これはすぐには寝付くまい、と彼女は腹を括る。
「分かったわ、そしたら、とびっきりのおはなしにしましょう」
「どんな、どんな?」
「名も無き英雄のおはなしよ」
「ええ~?」訝しげな半目を向けてくる娘。「ヘンだよ、名前がないなんて。英雄ってすごいんでしょ? すごいのに名前がないの?」
「おかしいでしょう。でも名前は残らなくても英雄だったわ」
「ふぅん。それで、どんなおはなしなの?」
「〈勇者の剣〉は知ってるでしょう」
「うん。魔王をやっつけた、すごくつよい剣」
「そう。よく覚えてたね」くしゃりと髪に触れると、娘は嬉しそうに笑う。
「じゃあじゃあ、その剣で魔王をやっつけたおはなし? ばさーって切っちゃうの!」
ゆっくり首を横に振る。
「これは道案内をしていた少年が〈勇者の剣〉を届ける物語なの」
「お届けもの? ものを運ぶ英雄のお話なんて、聞いたことないよ」
娘が再び、疑いの半目になる。母は愛娘の素直な感想に微笑む。
「でも、ほんの十年前、ほんとうにあった出来事よ」
「そうなの?」
ぴくりと娘が反応する。いつものおとぎ話と違って身近なところに興味を示したらしい。
「あれは邪族との戦いが激しかった時代のこと」
母は語りはじめる。窓の外を眺め、消えてしまった流れ星に思いを馳せながら。
「その英雄はただの村人だったの」
「村人? 村人が英雄なの? すっごく強かったの?」
「彼は普通の少年だったわ。仲間たちは特別だったけれど、彼だけは違った。どこにでもいる普通の、ただの村人だった」
「むー? じゃあ、どーして英雄なの?」
「彼は偉業を──凄いことをしたのよ。邪族と戦う勇者に〈勇者の剣〉を届けたの。おかげで人類は邪族との戦いに勝つことができたんだから」
「そうなの? じゃあ、すごいかも! 地味だけど!」
娘の素直な感想に、母親は思わず吹き出す。
「あはは! ほんとにそうよねえ。……でも彼はその功績を称えられて、のちにこう呼ばれることになる──名も無き英雄、と」
母は窓の外の夜空から目を離し、娘を見つめた。
娘の瞳が、星のようにきゅるりと輝く。
「名も無き……英雄……!」
言葉の響きを気に入ったのか、娘は二度、三度と口の中で繰り返してから、母に抱きつく。
「かっこいい! ねえ、お母さんもっと聞かせて」
「そう? じゃあ話しましょう」
母は、抱きついてきた娘を寝台にそっと寝かせる。
「ただの村人が、いかにして英雄に成ったのかを」
「うひひ、たのしみ!」
「まずはそうね、北の勇者の話をしましょう。どうして彼が〈勇者の剣〉を求めていたのかを」
「えー、『名も無き英雄』さんのおはなしがいいよぉ」
むぅっと頬を膨らます娘の髪を撫でる。
「もちろん話すわ。でも、北の勇者のおはなしはとっても大事なの。それが全てのはじまりだったんだから」
「はじまり?」
「人類は滅びかかっていたんだもの──……」
娘は驚いた顔をして耳を傾ける。