カルメンおばちゃん家の子はマルクス君
「サーシャちゃん」
私の名前はサルーシャだけど、いつの間にかロシア風な呼び名がついてしまっていた。
「さぁ、カルメンおばちゃんの所へお乳を貰いにいきまちょうね~」
マリアおばさんは嬉しそうに赤ちゃん言葉で話し掛けてくるんだけど、ダラスお兄ちゃんの上にもう一人息子がいる事から分かる様に、結構なお年なのだ。
そんな中年女性が相好を崩して赤ちゃん言葉をしゃべる様は私の精神にいつもちょっとばかり、ちょっとだけだよ、でも、本当にちょっとばかり打撃を与えてくる。
「あら、マリア、サーシャちゃん、いらっしゃい」
「マルクスの今日のご機嫌はいかがかしら?」
マリアおばさんがカルメンさんの赤ちゃんのフサフサの髪をくしゃくしゃっとする。
この丸々ぽちゃぽちゃとしたカルメンおばさんの赤ちゃんはマルクスと言う。
金髪キラキラで、フサフサのフサで、髪の量では負けているのがちょっと癪だ。
平民にしたら整った顔だと思うけど、まだ赤ちゃんだからね。
本当に整った顔かどうかはまだ分からない。
「バウバウぅ」
当然、こいつ、言葉はまだ喋れない。
所謂、赤ちゃんらしい赤ちゃんだ。
そしていつも姉たちのおもちゃにされている。
私がカルメンおばちゃんのお乳をウマウマしている間、上のお姉ちゃんが弟を生きた人形の様に扱っているのが横目に入ってきた。
「うわぁぁぁぁぁん」
「タタ!耳をひっぱったらダメでしょう!」
カルメンおばさんが元々短気なのかどうか知らないが、この姦しい姉たちのおもちゃにされているマルクスを見て、いつも大きな声を上げている気がする。
貰い乳している時に耳のすぐ上で怒鳴られると、その度にビクっとするからやめて欲しいんだけどねぇ。
お乳を貰ってる立場なのでもちろん文句も言わないし、ガン泣きもしない。
お乳もらえなくなったら大変だものね。
でも五月蠅いものは五月蠅い。
こういう騒々しい所は苦手なので、とっととお食事を済ませて帰るに限る。
マリアおばさんも店の仕込みが待ってるしね。
「トントン、げぷぅ」
「ちゃんとゲップが出たのね。カルメン、いつもすまないねぇ。助かってるよ」
「いやいや。私は昔から乳の出だけは良いからねぇ、いくらでも頼ってくれていいよ」
「今度、ご家族ごとウチの店に招待するからね」
「えええ!本当?料理をしなくて良い日があるって天国の様だわ」とカルメンおばさんの瞳は早くも料理から解放された気分を味わっているのかキラキラしている。
「サーシャが離乳したら招待するから楽しみにしててね」
「うわぁぁ。本当にありがとう」
こんなやり取りをしてカルメンおばさんの家から店に帰ると、昼間の私の指定席、店の奥のベビーベッドにポンと入れられる。
でも、この指定席、結構気に入っているのだ。
昼間は酔っぱらいも少ないし、ちょっかいを出してくる客の殆どは自分の子供を育てた事があるらしく、ちゃんと赤ちゃんの扱いを知っている者ばかりなのだ。
「おい、サーシャ、聞いてくれ。家のが妊娠したんぞ」とニヤリとした笑いが止められない大工見習のボルシュさん、ウチの常連客の一人だ。
まだ18歳くらいなのに、既に結婚してこれから一児の父になるらしい。
「家のが生まれて男の子だったら結婚してやってくれなっ」
何、それ?究極の青田買い?
私はちゃんと収入があって誠実な人としか結婚しませんことよっ!
「ボルシュ、あんた、家のサーシャに気安く触んないでくれる?子供のいないモンは触っちゃだめだよ。赤ちゃんはデリケートなんだからね」と、調理場からスープを運んで来たマリアおばさんが注意してくれた。
「マリアさん、聞いてくれよぉ。家のが妊娠したんだ」
「ええええ!それはめでたいね。妊娠初期は大変なんだから、あんたが家の事、率先して手伝わないとダメだよ」
「色々教えてください。家のも、おれも、元々が王都の出じゃないんで、そういう話を聞ける所がないんですよぉ」
「あらまぁ。いいよ。私は3人子供を産んでるからね。今度あんたの嫁さんをここに連れて来な。色々教えたげるよ」
ここって王都だったんだぁ。
しかし、マリアおばさんって本当に優しいよね。
料理はおじさんが作ってて、実はマリアおばさんは料理が苦手。
でも、こうやって面倒見が良いので給仕をしながらおばさんの人柄でドンドン客が集まって来て、可成り繁盛している店なんだ。