天使様の噂
ここ最近の噂を知っているかい。
街の外れの寂れた教会には天使様が現れて、善人には施しを、悪人には裁きを与えるらしい。
だから悪いことはしてはいけないよ。天使様は神様の代行者で、何もかもお見通しなんだから。
「あら、まあ。そんな噂が立っていたんですね」
穏やかに微笑むシスター服の女性は人の姿をしているにも関わらず、人というにはあまりに純粋であり、荘厳な空気を纏っていた。
それは何の罪も犯したことのない子どもや、日々を真面目に生きる善人であれば女神のような神聖さを感じるだろうが、今目の前に相対する詐欺集団からしてみれば恐ろしい存在に他ならない。
事実、身動きすら取れず頭を垂れ、文字通り床に這い蹲るしか出来ないのだ。それが如何なる力かすらも彼らは考える余裕もない。
彼らはただ、今の拠点が警察にバレそうになり、新しく人の寄り付かないところへと拠点を移そうとこの教会の聖堂に来ただけである。一部の者は噂を信じ、避けたがったが殆どの者は鼻で笑い、眉唾だと斬り捨てた。
その結果がこれである。
「皆様が何をしようと、私自身はそれは良くないことですね、としか言えないのですが……」
彼らは一言も彼女と話していない。一方的に見透かされ、話しかけられているだけだ。それに対して何かを返すことも許されない。
説き伏せるように、慈悲深く優しげに話してくるが故に、愚かな罪の重い者ほど見逃してくれることを期待した。
しかし噂を信じ、止めた者は知っていた。神は決して見逃してはくれないことを。
「残念ながら罰を下すのも、救済を与えるのも私ではないのです。お許しくださいね」
黒い翼の生えた拳銃が天に向かって構えられる。
鈍い銃声と共に青銅の弾が撃ち出されるが、その弾は天井を貫くこともなく途中で弾け、分裂し、聖堂内一帯に金属の雨を降らせた。
「神は皆様に苦しみを与えるようにと仰いました。私はあまり人の苦しむ姿は好まないのですが、それが皆様の救済へとなり得るなら仕方の無いことなのでしょう」
彼女の声を聞く余裕のある者など1人もいない。しかし彼女は先程とそう変わりない口調で、笑顔で話しながら銃弾を撃ち続ける。
金属の破片が彼らに突き刺さり、溶けたそれらが皮膚に張り付くことで起こる苦痛に対する悲鳴と呻き声が響こうとも彼女はそれを救済だと信じて疑うことは無い。
死にゆく彼らの目に最後に映ったのは美しい翼を背に生やしながらも笑顔のまま涙を流す女の姿と、それに重なり見える女神の幻影だった。
時間を掛け、1人残らず苦しみながら息絶えるまで見届ける頃には換えの銃弾も尽きていた。
床には凄惨な死体が折り重なっているが救済の対象にならない彼女は彼らの目の前に現れた時の姿のまま「後で掃除をしなければなりませんね」と困ったように呟き、聖堂を出ていった。
「天使様は本物の天使なの?」
「いいえ、違いますよ。ただ、天使様……と呼ばれている人は人々を救う為に一人の神と契約をしただけです。それが狂気の道でもそれで誰かが救えるのなら、その人からしたらそれで良いのですよ」
「そっか!じゃあ天使様はいい人なんだね」
無邪気で何も知らない子どもがシスターにそう笑いかけた。シスターはただ少しだけ悲しそうな微笑みを返し、寂れた教会に戻っていく。
教会には天使様がいるよ。女神のように美しい天使様が。
だから小さなことでも悪いことはしてはいけないよ。神様に殺されてしまうからね。
たとえ天使様が望んだことでなくとも、それは絶対なのだから。