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夢幻日記〈恋〉  作者: 章魚
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第2話 星夜の女神

「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ

     夢と知りせば 覚めざらましを」


平安時代の歌人 小野小町は、自身の作品の中でその人のことを思いながら眠るほど好きな相手が夢に現れた様子を詠んだ。

夢と知っていれば覚めないままでいたのに、という切ない想いは時代が変わっても不変なものである。

夢とは、たとえ現実でなくても、心が囚われてしまうほど魅惑的なものなのだから…



あの日から、夢を見ていなかった。

夢の中で「彼女」に出会ってから。

心に秘めたこの想いを伝える為、ずっと夢の世界に「彼女」の姿を探していた。

だがあの日から「彼女」のいる世界には入れなかったし、そもそも夢を見ることすらできていなかった。

(もう会えないのか、いや、会う資格が無いという事か 。)

あの時「彼女」の想いに答えられなかったという罪への罰なのかもしれない。

そんな風に諦めかけたある日、夢を見た。


涼しさを感じるようになった夜にこんな夢を見た。


気づいた時、目の前に広がった景色に懐かしさを覚える。

忘れる訳が無い。この世界に戻るため、幾度願いを込めて眠りについただろう。何度夢を見られない落胆の思いで目覚めただろう。

それ程に望んだ世界に戻れたのだ。

目の前の「児童園」なる建物を見間違えるはずがない。

ここに「彼女」がいる そう思うだけで明るい気持ちが溢れ、身体は入口へと駆け出していた。


「いません。」

予想外の答えだった。

「彼女」に合わせて欲しいと入口の女性に話すと少し悲しそうな顔でそう告げられた。

「いない、とは出掛けているということですか?」

平常心を装い冷静に問う。

頭の片隅に嫌な予感がよぎる。

(いや、そんな訳が無い、思い過ごしだ…)

そんな祈りとは裏腹に女性は左右に首を降った…。


「彼女」の居た部屋に案内され唖然とする。

そこには何も無かったのだ。

あの時もものは少なかったが、初めて会った時「彼女」が座っていたベッドも、「彼女」を象徴するような猫グッズもありはしなかった。

そこで女性に聞いた話は衝撃的かつ悲しいものだった。


俺がいなくなった後、「彼女」は身体を壊してしまったらしい。(あの時怪我した脚は治ったそうだ)

健康を崩した「彼女」は病院に運ばれ、入院生活を送っていた。心も弱ってしまい、何も話さないようになった。

そんなある日、「彼女」は病院から姿を消した。

その後少し離れたある山の頂上で冷たくなった「彼女」は発見された。

そう、あの日。俺が「彼女」と最後に行った山登りの山の頂上で。

「彼女」は発見された時一通の手紙を持っていたらしい。ちょうど胸に抱き締めるような形で…。


「その手紙がこちらです。いつかいらっしゃった際に渡すようにと。」

そう言って女性は白い封筒を渡してくれた。

未だ話を信じられない気持ちのまま受け取る。

封筒を開くと1枚の便箋が入っていた。

そこには弱った身体で精一杯書いたのだろうか、震えてはいたが確かに「彼女」の字で一言だけ書かれていた。

『もう一度 会いたかった』

ただそれだけ。それだけだったのに。俺は溢れ出る涙を堪えられなかった。

全て分かったのだ。

俺が想いを伝えられなかったことで「彼女」は心に深い傷を負い、心身共に弱ってしまったのだ。

そして二人で最後に登り、途中で諦めた山の頂上に行くことで俺を探し 、再度想いを伝えてくれようとしたのだ。

だが、俺はいなかった。その場所に、この世界に、そして「彼女」の隣に。

その事に絶望したショックで?

いや「彼女」の性格的に違うだろう。

最期に思い出の場所で安らかに、そういうことだろう。


女性に連れられ児童園を出て裏山の方へと移動した。そこにはいくつもの墓石や十字架が建ち並んでいた。その中の真新しい石碑の前に案内すると、女性は ゆっくりお話ください、とその場を立ち去っていった。

認めがたい事実を突きつけられた気がした。そこに刻まれていた名前を指でなぞる。

『香月 音夢』

そうだ。

「彼女」の名は「音夢」。名前は児童園の方に付けて貰ったと少し誇らしげに言っていた。

その事をこんな形で思い出すなんて。

石碑の上に落ちる涙は降り始めた雨粒と共に音夢の名を伝っていった。


そのまま雨の中でどれくらい過ごしただろう。

立ち上がった俺は空を見上げた。

どれほど望んでも泣いても音夢はもう戻らない。

その事実を認めた俺は自分に言い聞かせるように呟く。

「音夢が居ない夢の世界なんている意味がない …な?」

ふと違和感を覚えた。

今俺は何と言った?

「夢の世界なんて」?

何故夢の世界だと気づいているのか?

本来夢は夢である事を認識できない。故に夢とは夢と概念化される。

だが、例外がある。

夢の中で自身が夢であると認識する夢、いわゆる「明晰夢」である。

明晰夢にはいくつか特徴がある。

まず、起床時に夢の記憶が残りやすいこと。

次に自分視点の場合、夢の中で自分が持つ肉体を自由に動かせること。

そしてもう1つ。夢の世界を自分の望むように変化させられること。例えば、好きな食べ物を出現させて食べたり、行きたい場所を映し出し遊んだり出来るそうだ。

(ならば…。)

(音夢という存在を出現させる、もう一度会う、とイメージすれば具現化するのでは?)淡い願いだとはわかっている。

見るに堪えない欲望かもしれない。

成功しない確率の方が高いのも知っている。

「それでも…!」

たった1%でも可能性があるのならば…!

その1%に賭ける価値は十分にある。

目を閉じて深く息を吸う。

「音夢」の姿を、声を、瞳を、思い出す。

そして強く願いながら叫んだ。

「音夢に…会いたい!」

不意に身体に当たる雨の感覚が無くなり、目を開ける。ずぶ濡れだった服は乾いていて、身体も湿っていない。

周りを見渡して息を飲んだ。

黒。

ただ何も無い、真っ黒な空間だ。

求める人影を探しても何処にも誰にもいない。

「失敗…かよ…」

そう呟いた時、後ろに気配を察知して振り返る。

そこに立っていたのは老婆だった。

顔に皺があるものの腰は曲がっておらず、背筋もピンと伸びている。

黒地の、大きな布を纏っていてこの空間と同化しているように思う。

手には上部が曲がり、角灯が下げられた大きな杖が握られていて、角灯の明かりだけがこの空間を照らしていた。。

身構える俺に老婆は語りかけてきた。

『私の名はニュクス。貴方は夢世界に囚われかけていました。そのためここに呼び寄せそれを阻止しました。』

老婆は口を動かしていない。俗っぽく言うなら頭に直接声が響いているテレパシーみたいだ。

(ニュクスって言えばギリシア神話の夜の女神だったか?それに夢世界に囚われるだと…)

疑問を読み取るようにニュクスは続ける。

『貴方は夢を認識した上で欲望を叶えようとしました。人間は夢の中で欲望を溢れさせると、現実世界と夢世界の境が曖昧になり、二度と目覚められなくなります。ずっと夢を見ていたいがために。』

そう言ったニュクスの顔はとても悲しげで憂いを帯びていた。

「なんでだよ…!」

絞り出した声は震えていた。そしてその声は行き場のない怒りとなって口から溢れ出す。

「今まで明晰夢の報告は世界中で上がっているじゃないか!それなのにただ人に会いたいっていうのが駄目なのか!理不尽すぎるぜ…!ニュクスさんよ…!」

悔しさが滲んだ叫びに我ながら哀れだと思う。

その時だった。

頭にニュクスが手をのせ撫でてきたのだ。

『申し訳ありません。だけど夢世界に囚われることを彼女が知ったら悲しむでしょう。きっと自分のせいで貴方が帰れないことを悔やみ続ける。それでもいいのですか?』

(…良いわけが無い。俺は悲しむ音夢は見たくない。)

ニュクスは続ける。

『貴方が出来ることは彼女を忘れないでいることです。』

「夢から覚めれば忘れてしまうかもしれない…。」

『ならば、記録に残してはいかがですか?そう、夢日記、といったでしょうか。』

「夢日記…。それはいいかもしれないな。」

俺は落ち着きを取り戻してきた。

『貴方は夢の事を真剣に考えてくれました。夢とは都合のいい妄想世界ではないと理解してくれました。』

ニュクスは言った。

『特別に教えます。

貴方はこれから先様々な夢を見るでしょう。楽しいもの、悲しいもの、恐ろしいもの、そして愛おしいものも。

その全てをよく受け止めて下さい。

夢は貴方の心の鏡なのですから。』

俺は頷いた。心の鏡とは中々いい響きだ。

きっとその通りなのだろう。

そう思うと明るい気持ちになった。

『夢とは儚いものですがそれ故に美しいものです。』

「同意見だ。脆く弱い夢だからこそ大切に思える。」

微笑んだニュクスが言う。

『もう夜が明ける。お別れです。』

俺はニュクスに

「ありがとう。」

と言った。

薄く消えていく世界の中でニュクスの言葉が聞こえた。

『良い夢を』と……


まぶたの裏に光を感じて目を開ける。

カーテンの隙間から淡い日光が差し込んでいる。

「もう夜は明けたのか…。」

身体を起こして下を向くと、枕が湿っている事に気づく。

夢の中で泣いた事が現実でも影響したようだ。

(泣くってのは情けないが、夢の中の心は現実の身体とリンクしてたってことかね。)

何だか感慨深くなってしまった。

(柄でもないな。)

フッと笑ってカーテンと窓を開ける。

そよ風と日光を浴びて身震いする。

「おっと、忘れないように…。」

机に向かい充電していたスマホを開く。

メモアプリを立ち上げてあの世界の、あの子との物語を打ち込んでいく。

物足りなさを感じ、それが題名が無いこと故の物だと気づく。


「タイトルは…そうだな、夢日記…いや、

『夢幻日記』、かな。」


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