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1-9 沈黙

 あやめちゃんの首が突然、うたた寝をしているかの如くガクンと下がり船を漕ぎ始める。瞼が重そうに下がっては必死で上げるを繰り返していた。え、とかあ、と言葉にならない声を唇から漏らし目を擦っていた。

「な、何……これ……」

 テーブルに上体を預けるように倒れ込む。自分の身体に力が入らない事実に動揺し、必死で上体を起こそうと両手をばたばたと動かして足掻いていた。

 私は壁掛け時計に視線をやる。ちょうど良い時間だった。

「……お父さんが左腕を切断されてから村の皆に嘲笑われるような生活になったって言ったでしょ。一番、精神的に耐えられなかったのはお母さん。それで月に一度、こっちの病院に通院してたの」

「嘘……」

 聡いあやめちゃんは私が「何をしたか」気がついたようだった。けれど驚く元気もないのだろう。精彩を欠いた瞳にはもう、殺意も私に対する友情も映っていない。あるのは、眠気だけだった。

「本当はこんなことしちゃいけないのはわかっている。でも、あやめちゃんが生贄になる私に納得しない時用に少しだけ貰ってきたんだ。……睡眠薬」

 あやめちゃんが桜火王様を倒すと息巻いていた後、私は休憩を取る振りをしてボストンバッグに忍ばせていたそれを手にしてキッチンへ戻った。後はグラスに注ぐだけ。まさか私がこんな薬を盛るなんて卑劣な行ないをするとは夢にも思わないであろう。

「ふざけ……」

「あやめちゃん、あのね。私も本当は何も怖くないお花見を最期にしたかった。夜通し二人で二年間を埋める話も、昔話も沢山したかったんだ」

 お弁当も最後まで作りたかったな、と呟けばあやめちゃんが唇を噛む。プツリと端が切れて血が滲んだ。

「そんなことしないで。本当にごめん。でも私、最期にあやめちゃんに会えて、話せて本当に良かったって思ってるよ」

 あやめちゃんが最後の力を振り絞り、ペットボトルに手を伸ばそうとする。今更水分で薄めようだなんて無駄。けれど駄目押しのように私はペットボトルを掴み絶対に届かない場所へと置き直した。

 瞼が下りている時間が長くなっている。そろそろ、眠りにつく頃だ。

「あのね。私、ずっとあやめちゃんのこと好きで嫌いだったの。いつも私のこと守ってくれて、でも私のことは考えてくれないあやめちゃんが。さっき言ったとおりだよ。私の前を当たり前に歩いていくのが頼もしくて恨めしかった。一度でいいからあやめちゃんに勝ちたい、私の方が正しいんだぞって思わせたかったの。……でもね、本当は」

 うとうとと意識を飛ばそうとしているあやめちゃんに子守唄のように語りかける。椅子を持ち上げあやめちゃんの近くに置き腰を下ろした。生温い水が目から止まらない。深い眠りについてほしいのに、話は最後まで聞いてほしい。矛盾した、何だか胸の奥から温かい物が溢れてきていた。知らずに頬が緩む。たぶん、生きてて一番穏やかな気持ちだった。

「本当は今日、ずっと央齢村にあやめちゃんもいてほしかったって恨み言をぶつけるつもりだった。私を置いて行かないでって言うつもりだったの。あやめちゃんとなら呪いがあっても閉塞的な村でも楽しく耐えられると思っていたから。でも泣いて謝っているあやめちゃんを見て気づいた。私、本当はあやめちゃんに勝ちたかったのでも一緒に耐えてほしかったのでもない。……何だろう、離れていても隣にいたいっていうのが一番近いかも。矛盾してるよね?」

 ポツポツと言葉に過ごした思いを乗せていく。あやめちゃんの顔を覗き込めば、細めた目の奥が朦朧としているもののまだ辛うじて意識は残っていた。

 そういえば小学生の時、こうやってあやめちゃんの家に泊まって二人で布団の中で夜更かししたっけ? 懐かしい光景が目に浮かぶ。幼いあやめちゃんが悪戯っぽく微笑んだ気がしてまた涙が溢れた。

「私、同じ立場になりたかったんだ。あやめちゃんが私を助けてくれた分、私もあやめちゃんを助けたり頼られたりしたい。だから協力してほしいって言われて最後のお願いも叶っちゃった。……もう思い残すことはないや」

「サ……ク……」

「友達になってくれてありがとう。……できれば私のことも央齢村のことも忘れて生きて。おやすみなさい」

 あやめちゃんの頭をそっと撫でる。まるで机に突っ伏して眠る姿は学生の時のようだ。染め上げた茶髪は私と違って少しごわごわした。しばらくそうしていて、やがて規則正しい寝息と秒針を刻む音が部屋を支配する。これが私の、ある意味では人生の終わりだった。

 あやめちゃんは明日の朝までは起きないだろう。炎花の儀当日は村全体に「余所者」を入れないよう大人達が厳戒態勢になるからあやめちゃんは間違いなく村へ侵入することはできないはずだ。だから今から私が央齢村に帰って、明日の夜生贄になれば全てが終わる。安堵の息を吐いて立ち上がった。

 折り畳み式テーブルの上の料理を冷蔵庫に閉まっていく。何となく寂しかったけれど、つまみ食いもせずにきちんとしまい込む。一つでも口にしたら決意を鈍らせることになる、そんな気がしたからだ。

「じゃあね」

 ショルダーバッグからスマートフォンを出しタクシー会社へと繋ぐ。ここから駅までタクシーで戻って電車に乗ってしまえば二度とこの地に足を踏み入れることはない。観光客向けで居心地が悪い駅も、有名チェーン店の大型ショッピングモールも、雑誌のトップを飾るお洒落な喫茶店も、発売日当日に欲しい本が陳列される本屋もファッションビルも、全部お別れだ。

「あ、もしもし。……ええ、タクシーの手配を」

 十数分後の到着を告げられ通話を切る。履き潰したパンプスに爪先を捻じ込んで重いオートロックのドアに手をかけた。

 振り返ってあやめちゃんを見つめる。ぐっすりと眠りについていた。

「さようなら」

 できるだけ音を立てないようにドアを閉める。背後でガチャリと鍵がかかる。これでもう二度とあやめちゃんには会えない。

 タクシーに乗り、遂に駅に辿り着く。央齢村より色素の薄い青空はその中心で眩い太陽を光らせて春の始まりを告げていた。

 どこにも寄る気にはなれなかった。けれど胸のすくような心持ちで私は深呼吸をして駅構内へと向かう。

 ふんわりとお気に入りのスカートが揺れる。もう辿り着かない季節の風物詩のようで私は何だかどうしようもないくらい泣きたくなって、でも頬は緩んでいた。


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