1-8 謝罪
ガタッとあやめちゃんが机を揺らし前のめりになる。鬼気迫る表情で私を見つめていた。
「お父さんって……サクラちゃんのお父さん、まさか」
「死んではいないよ。けど左腕を炎花葉と呪根元絞めで失ったの。私が生贄に選ばれて斧と灯油のポリタンクを持って森に向かってそれで……」
「納得できない」と父は声を荒げ物置小屋から灯油入りのポリタンクと斧を軽トラックに乗せ畦道を走らせた。多くの住民が、司祭の炎花家を中心とした村の支配層が慌ててその姿を追う。人が殺される瞬間を見た私よりも桜火王様を恐れていたはずの父は、私が短大に行くのを最後まで渋っていた父は命の瀬戸際で遂に怒りを爆発させたのだ。
炎花の森の前で軽トラックのドアを乱暴に閉め灯油を森の入り口に撒こうとした瞬間、私以外の村の住民も遂に桜火王様の刑の執行を、科学では証明できない恐ろしい怪異の暴力を目の当たりにすることになる。
宙から突然桜の葉が舞い落ちる。そして父の左腕の上に落ちた瞬間、激しく燃え上がったのだ。
「あああ!」
悲鳴を上げた父が右腕のポリタンクを落とし地面に灯油が染み渡っていく。何とか着火しようと身を挺して父が左腕ごとポリタンクに向かえば地面から鋭い四、五本の筍をそのまま大きくしたような何かが勢い良く飛び出し父の身体が宙を舞った。
桜の木の根だった。何処からともなく生えたそれが父の身体を吹き飛ばしたのだ。
「あれは桜火王様の必殺奥義、呪根元絞め!」
誰かが叫んだ。
「絞め殺される者が多くその名が付いたがまさかあんな使い方ができるとは……」
感心している場合じゃない──! しかしどうにもできないまま落下していく父をただ見上げているしかなかった。
宙を舞う父の左腕に更に虚空から次々と桜の葉が生成され襲いかかる。勢いを増す炎と鼻をつく肉の焼ける匂いにその場の誰もが呆然として縫い付けられたように身動きが取れなかった。
炎花葉。葉を燃やし攻撃する桜火王様の攻撃に誰もがなすすべもなく立ち尽くすしかなかった。
「お父さん……!」
遅れて到着した母が泣き崩れる。私が、私が何とかしなければ! 涙も出ぬほどに混乱した頭で導き出されたのは──命乞いだった。
「お願いします! 父を許してください! 私が生贄になります! ならせてください! だからどうか!」
地に頭を擦りつけて森に向かって土下座をする。父が死んでしまう恐怖から私は自らの命を差し出すことを良しとして叫んでいた。やがて──
バキ、と嫌な音がして父が地面に叩きつけられる。桜火王様の根の先端が丸まり斧の柄を握りしめていた。
父の左腕があったはずの場所から血が噴き出ていた。肘から下を桜火王様に切断されたのだ。父が持ってきていた斧を使って。
父の狼藉は左腕と私の命で許す。ただし今後逆らったら。無言の、何よりも強いメッセージだった。以前私に語りかけてきたような言葉ではない。それでも村の住民全員に対しての何よりも恐ろしい、改めて上下関係を突きつける桜火王様の残虐なやり口だった。
「お父さんが左腕を失った日から私の家は村で浮いた存在になった」
何とか一命をとりとめた父が村から距離のある大きな病院を退院してからが所謂村社会の本当の地獄だった。私が苦々しげに吐き捨てればあやめちゃんが眉を下げる。
「私の命で桜火王様は怒りを鎮めると決まっているのに、その日までうちは村から爪弾きにされたも同然の扱いを受けてる。石を投げ込まれるとかポストに虫の死骸を入れるとか物的証拠が残るものではないよ。けど、例えば外を出歩けば後ろ指を文字どおり指されるし、八百屋に行けば『本当は売りたくない』みたいな顔で舌打ちをされるの。長郷君の件が一部の大人達に揉み消されたのも『長郷といい面倒な後始末が必要なことをしやがって』と炎花家に溜め息をつかれて始めて知った。皆、次は自分なんじゃないかって恐怖を私達にぶつけてきている。だから早く私が生贄になってもう何も起こらないと示さなければならないの」
「サクラちゃんのお父さんの左腕も奪ったなら尚更だ。私のやることは」
「あやめちゃんまで失いたくないって言ってるのが何でわかんないの……もう人が桜火王様のせいで傷つくところなんか見たくない!」
「私が知っている倒し方は除草剤でも物理的に攻撃を加えるものでもない! 確実にあの手の怪異に効果があるものだ! それから……私一人でやるって言ったけど、ごめん。できればアンタにも協力してほしい」
両手で口元を押さえ、目を見開く。今、何て?
「ごめん。最初に説明をすべきだった。アンタは殺人桜に呪われているからもしかしたらこの会話も聞かれているかもしれない。そうすれば私の作戦も筒抜けだからどう仕留めるかをここで言うのを迷っていたんだ」
「違う。そこじゃないよ。今私に協力してって」
「……虫が良過ぎるのはわかってる。でも実は一人よりも二人で行なった方が確実だし、何より今までの話し合いで私一人で突っ走っていくのを少し反省したんだ」
ごめん、と呟きあやめちゃんは深々と頭を下げる。心の奥に僅かに残っていた蟠りが氷解していく。溶けて崩れて……目から流れ出ていった。
「勿論、嫌だって言っても私一人で絶対にやり遂げる。そこは譲れない。けど、サクラちゃんに叱られて協力できるかだけは聞いておきたいって思ったんだよ。サクラちゃんの意思を知りたい。そしてできるなら当事者であるサクラちゃんと一緒に立ち向かうのが筋だと思ったんだ。勿論、ここで手を取ったらおそらく呪いが発動する。だから本当に協力するなら呪いを──え?」
「あやめちゃん、ありがとう。それから……本当にごめんなさい」




