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1-6 正しさ

「サクラちゃん?」

「いっつもいっつも正論で人に命令して……うんざりなの!」

 ここがホテルである、とかそんなことはもう気にしていなかった。突然荒げた声に喉が傷つき少しだけ血の味がする。突然吐き出し過ぎた酸素にくらくらし、視界が赤く染まった。それでも言わなければならない。怒りと共に沸き上がる衝動のまま私は叫んでいた。

「あやめちゃんの言うことはいつも正しいよ! 二年前だって今だって……私が自分のことを本当に考えるなら桜火王様を倒して央齢村を出るべきなんだ! 倒せなくても、呪いがあっても何とかする別の方法を探すことだってできた! でも無理なんだよ! ……そんな正しいことができるほど私は強くない!」

 あやめちゃんが顔を歪ませる。その姿に快感を覚えたからもう、末期だ。もっともっと傷ついてしまえと魂が叫んでいる。欲望のままに言葉を一方的に浴びせた。

「二年前のあやめちゃんは呪いの存在を知らなかったんでしょう? だから大学進学と同時に家族と引っ越す時に私にもこの村を出て行くようにアドバイスした。呪いがなければ、すごく正しいよ。けど呪いがなくとも私はあの村を一人では出られない」

「だから一緒に」

「あやめちゃんを頼れって? どこまで保証してくれるのよ」

 食い気味に言葉を被せる。グラスの汗がテーブルに滴り落ち、私の感情みたいにびちゃびちゃになっていた。

「両親は私以上に桜火王様のことを恐れていて、説得なんか無理だから私一人で村を出ることになる。でも絶対に許してはくれないし、まずそこで揉めるに決まっているんだ。央齢村は女は家事全般と男の手伝いか畑仕事をいればいい、就職なんて不要って古臭い価値観で動いているから私はアルバイト一つしたことがない。そんな状態で一からお金を稼いでどこかに暮らすことになるんだよ。しかも今回の件がなければ私は短大には行かせてもらえることになってたけど、二年前じゃ高校すら卒業していない。そんなのでどう頑張ればいいの? 簡単に家を出ればいい、自由になればいいなんて言わないで。生きていくにはお金も必要で、自由には犠牲がいるんだ。両親とだって家を出ただけじゃ縁を切れないし、あの土地の役所が仕事をしてくれるとも思えない。家を出ることが唯一の正解みたいに言わないでよ。……出るデメリットを軽視してさ。二年前あやめちゃんの手を取っていたら私が『両親という負債を抱えた上に社会的に労働力として未熟な高校を中退した一文無し』になるの、わかっていたの? わかってないから言えたんでしょう! 喧嘩して最後に別れたのに全く触れないで『会いたい』だなんてよく言えたよね!」

 ──サクラちゃんもあんな村、出よう?

 できるだけサポートするし、転校しようよ。色々手続きとか大変みたいだけど、サクラちゃんは成績良いから試験は絶対大丈夫だし。

 あやめちゃんは高校の卒業式の後で、突如そんなことを私に言ってのけた。何も知らされていなかったのと、余りにも浅はかな思考にショックを受けたのを今でも鮮明に思い出せる。冗談交じりではなく至って真剣な面持ちで説得しようとしているのが滑稽で、そして侮辱されているようで私は怒りに支配され結局それが別れとなったのが二年前の真実だ。

「……呪いで殺されるリスクがあることをあの時の私は信じていなかったから、そこは反省している。けど」

 あやめちゃんが目を逸らす。弱々しく紡がれる言葉に私の腹の奥はもっと熱を持ち息が荒くなっていった。

「今の呪いがない仮定の話ならやっぱり家を出るべきだったと思うよ。サクラちゃんはあの村の連中と違って外の世界も知っている。大変だろうけど閉塞的な村でやりたいこともやらせてもらえず、ただクソみたいな大人に消費されるよりずっといい。何にもせずあの村で生きるより努力して何とかなるんだから」

「あやめちゃんのそういう上から目線、大嫌い!」

 あやめちゃんがびくりと肩を震わせた。

「今の生活で努力していないとでも言うの? 馬鹿にしないで! 出て行くのも、あの村で暮らすのもどっちも努力が必要なのが何でわからないの? 私は外で勉強がしたかった! そして何とか町の企業に就職しようとしてたんだ! だから第一歩として両親に縋って頼み込んでやっと短大に行くお金を出してもらえるようになったんだよ。呪いの存在しない仮定の話じゃない! 私は桜火王様に叱られないよう、家から出ずに通える範囲の短大を探したんだ!」

 喉を傷めるような叫びと共に視界が滲んできた。短大の学費を見つめ、私は両親に何度も頭を下げることを決めた。とてもじゃないけど私の努力だけでは払えない。奨学金という制度も返済の目処がとてもじゃないけど立たなかった。だから頼るしかない。渋る両親をあの手この手を使って何度も説得した。

 みじめだった。何処から聞きつけたのか近所の人々に「女が親を困らせて」と眉を顰められるのも。畳に額を擦りつける自分もだ。

「あの時家を出ていたらできなかったことだよ。そのために毎日、朝早く起きて畑を手伝ってそれから学校に行く。帰って近所の老人共の手伝いと家事をしてやっと深夜に夢のための勉強をして眠るんだ。そうやって私なりに人生を選んで頑張ってきたことをどうして簡単に否定するんだよ! あやめちゃんの家みたいにうちは金持ちでもないし恵まれていないんだ! 医者のお父さんに、WEBデザイナーのお母さん! 小学校の時に引っ越してきて簡単に出ていけてしまう。何が『限界集落を支える診療所』だ! あやめちゃんが自己満足で妙な勉強をして桜火王様に勝てるって妄想してる時に、私はずっと自分のために耐えてきたんだ。どう足掻いても損をする人生の中で選択したんだよ。それをどっちが正しいとか勝手に決めつけるな、自分が正しいとか思い上がんな! 本当はずっとあやめちゃんの言うことなんか正しいって思ってない!」

 視界に水の膜が張り、崩壊して熱い頬を伝っていく。自分の呼吸音が、心臓の鼓動音が聴覚を支配していた。

 ぽろぽろと水が零れ、テーブルに落ちていく。しゃくり上げる度に視界が滲んだり、クリアになったりした。そのクリアになった視界の先であやめちゃんは──泣いていた。

「ごめん……」

「何であやめちゃんが泣くの」

「本当にごめんなさい」

 あやめちゃんが頭を下げる。声が震え鼻をすする音がした。震える俯いた頭を私は冷ややかに見下ろした。

「ごめんって何に」

 勝気な女の子だと思う。いつも前を歩いて怖い物など何も無いと朗らかに笑っていた記憶ばかり存在している。そんなあやめちゃんが、泣いていた。私が泣かせたんだった。

 黒い、見ぬ振りをした方がいい恍惚が私の中で湧き上がり心をあっという間に染め上げた。勝った。勝ってしまった。あのあやめちゃんを泣かせて謝らせている。自分が間違っていたと認めさせている。なんて素敵なんだろう。

「知らなかったの。サクラちゃんが……ごめん」

「謝ってばかりじゃわからないよ」

 わかっているのに私は意地の悪い笑みを浮かべ蹴り飛ばした椅子を元の場所に戻した。恍惚と椅子を引き乱暴に腰を下ろして、ようやく罪悪感が正常に起動し始める。

 私より背丈の高いあやめちゃんが妙に小さく見える。身を乗り出し手を伸ばせば届く距離にいるのにテーブルが無限に溝を作っているような錯覚を覚えた。

 あやめちゃんが泣いている。私が泣かせた。身体から血の気が失せて視界が涙ではないもので狭まっていった。

 どうしよう。墨汁を水に垂らしたように罪悪感が体内に広がっていく。あやめちゃんは両肘をテーブルについて手を組んだまま身体を震わせていた。高揚感と罪悪感が脳内でごちゃ混ぜになる。びちゃびちゃのグラスを取って飲み込めばその冷たさが一層私の中のちっぽけな良心を刺激した。

 私はあやめちゃんに勝ちたかったのか。いつも一歩前を行く彼女に一泡吹かせたい、私を傷つけたことを思い知ってほしい。そんな感情を抱いていたのは事実だった。お気に入りのワンピースの裾で濡れた手を拭く。傷ついた喉にお茶が沁みていて不快感から唾を飲み込んだ。願いが叶ったのに何も晴れない。既に高揚感は消え去り、胸やけのような不安感がせり上がってくるだけだった。

 本当は──全身を貫くような衝撃に目を見開く。と同時に肩の力が抜け椅子に座っていなければ膝から崩れ落ちてしまうような虚脱感に見舞われた。

 ああ、何だ。本当は。途方に暮れていれば小さく呻くような声が遠いテーブルという名の溝の先からした。

「知らなかった……。サクラちゃんがそんな思いをしてたなんて」

「言ってないもん。知らなくて当然だよ」

 それでも私の声は刺々しくあやめちゃんを責め立てた。ごちゃ混ぜの感情はまだ全身を統率できていない。

「違う。言ってたかじゃなくて私は考えるべきだったんだ。私が思う正しさじゃなくてサクラちゃんが何を考えてるかを。私がこうしてほしいって意見をアンタに押しつけていた」

「そうだね。……うん、そうだよ」

 覚束ない相槌を打つしかできず奥歯を噛みしめる。それはきっと。

「でも」

 あやめちゃんの声の震えが止まり、俯きがちだった顔が上がる。涙の跡が頬に痛ましく残っていて目は赤く充血していた。けど、真っ直ぐだ。あやめちゃんはもう、いつもの真っ直ぐさを取り戻して私を見つめ返す。部屋の重苦しい空気が晴れていく。背筋が独りでに伸び、えづくように思わず息が止まる。

 罪悪感に支配された心臓が跳ねた。

「でもサクラちゃん。現実問題として結局アンタは化け物桜に殺される未来が待っているんだ。だったら私がやることは変わらないんだよ。──桜火王を倒す」


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