1-4 とある昔話
桜炎王様。私達央齢村の住民が恐れる怪異であり支配者。恐怖から崇めているが決して神ではなく、その正体は桜の木の形をした怪異である。いっそ神だと信仰の対象と誤認させてくれたら私達はもっと幸福であったのに、それすら許してくれないのが桜炎王様の恐ろしく残酷なところだ。
央齢村は江戸時代中期の年貢の帳簿のようなものに始めてその名が登場する。が、実はその前から村自体は存在していた。明治初期から大正後期までに当時の学者が口伝を纏めた記録によれば央齢村は鎌倉時代の荘園領主と地頭が年貢の賦課で争った土地であるとか、室町から戦国にかけてかなり過酷な戦いが行なわれた戦場になったと記されている。山に挟まる小さな土地は敗走した者達の逃げ場にも、奇襲を行なう前の隠れ家にもなり土地は豊臣秀吉による天下統一が成されるまで荒れ果てていたんだとか。
ここまでは小学校から中学校までの授業で何度も習う話だ。「争いが続いた土地だからこそこれからは平和を大切に生きていきましょう」と熱く語る教師を前にここら一帯の僅かな子ども達は欠伸で返しているのが日常茶飯事だった。私もあやめちゃんも何度も船を漕ぎ額に青筋を立てた教師と放課後に指導を受ける、なんてことがあった。
桜炎王様が央齢村にいらっしゃったのはその後江戸中期頃だと言われている。村から一時間程の町にある民俗郷土資料館に残された資料によれば──私達央齢村の住民は幼い頃から大人に聞かされ育つが──最初に姿を見せたのは局地的な飢饉の年だった。雨も降っているのに何故か央齢村の土地だけが乾き稲が育たない。食べていく米すら収穫できない、水を貯めたはずの田んぼが翌日には干上がり地面がひび割れている……そんな状態であったが代官は年初めに年貢割付状に記載された年貢量を出せと譲らない。寧ろ余りにも局地的であったため年貢を逃れるための嘘と怪しまれたと言う。次々に飢えや病で亡くなった村の住民の死体の前で途方に暮れる生き残りの元へ、不思議な声が聞こえた。
「代官を殺し年貢を踏み倒させてやろう。代わりに村から一人生贄をいただく」
声のする方へ棒切れのような足を進めてみればそこには季節外れの満開の桜の大木が一本存在していた。乾いた地面に似つかわしくない程瑞々しいその木は桜の花びらを散らせながら中性的な声で再度語りかけてくる。
「年貢を船で運ぶんだろう。運んだ先の役人共が全員死んでいけば、猶予ができる。それを続ければやがて不気味だと恐れられ、今年の年貢の納めは無しになるだろう。俺は米を増やすことも雨を降らすこともできないが人間に呪いはかけられる。どうせお前達は放っておけば飢えと病で全滅するんだ。一人を生贄に捧げればその他全員は助かるかもしれないが……どうする」
当時の記録でそれがどこまで正確なのかはわからない。ただこの取り引きを央齢村は受け入れその年の年貢がなくなった結果、生き延びたのが私達の祖先らしい。「赤信号は止まれ、青信号は進め」と同じくらいの常識として私達は家族から、近所から桜炎王様への負債として受け入れさせられる。飢饉を乗り切るために桜火王様と契約した私達の祖先はその後、土地を干上がらせていたのが桜火王様の呪根の力によるいわばマッチポンプだったと知るがもう遅かった。央齢村の住民は毒桜吹雪を通して皆呪われ、末裔まで枝先一つで死を迎える存在となった。




