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5-1 将来の夢

 他人の家が実は昔から苦手だった。

 生活臭と呼ばれるものがある。簡単に言えばその家独特の臭いで、暮らす人間にとっては嗅ぎ慣れているので無臭に近い。しかし傍からすれば奇妙に感じる、つまりは友達の家に遊びに行くと嗅ぎたくなくても嗅がせられるあれだ。

 何となく居心地が悪かった。別に香りつきの制汗剤を購入しないだとか、香水やアロマに苦手意識があるとかそういうわけではない。央齢村の者に心を開いてなかったのも原因だろうが、拒絶されているような気持ちに勝手になっていた。だから回覧板を届けに隣の家に行く時は口で呼吸をしていたり、顔を顰めないようにしようと子どもながらに努力をしていた記憶がある。

「あやめちゃん」

 サクラちゃんがマグカップを二つ持ってキッチンの方から現れる。ベッドに上半身を預け、床に座り込んでいた私は慌ててサクラちゃんからマグカップを受け取り、ローテーブルの上に並べた。

「ごめん。」

「平気。私が飲みたかったついでだし、それに」

 頬を綻ばせベッドの上に置かれていた青い紙袋から小さな箱を取り出す。

「お土産早く食べたかったんだもん。この前言ってたバターサンドクッキーだよね?」

 首肯すればサクラちゃんが可愛らしい花柄の印刷がされた箱のシールを爪を立てて丁寧に剥がしていく。私なら包装紙を引きちぎるのに、と自分の乱雑さを少しだけ反省した。

 一人暮らしを始めたサクラちゃんの新居からはやっぱり独特の生活臭がする。それでも嫌いじゃないし、少しずつ薄まってきた気もしていた。

 桜火王を消滅させてから一年後。あと数日で私は大学四年生に進級し、サクラちゃんはいよいよ都内の短大に通い始めようとしていた。


 桜火王を無事消滅させた私達を待ち受けていたのは世間という荒波だった。まず央齢村が大騒ぎになったのは言うまでもない。正直、サクラちゃんだけ連れて逃げたかったんだけれど、彼女が決着を選んだのだから付き合うしかなかった。私にとって幸福でもサクラちゃんにとってはそうではない。現実問題として駆け落ちまがいの行動をとってもサクラちゃんは幸福にはならない。喧嘩で学んだ経験を裏切りたくはなかった。

 そもそも桜火王が消滅した事実を住民が信じるのかについては問題なく解決した。呪われていた者だけが感じたらしいが桜火王が消滅し呪いが解けたと感覚で理解したらしい。不可解だが怪異とは往々にしてそういうものだ。二年間の勉強の成果で無理に納得し翌朝を迎えてからが本番だった──といっても私は殆ど苦労はしていない。ただ荒波に揉まれた。それだけだった。

 村を捨て出て行った薄情者が戻ってきたと思いきや良くも悪くも村の中心だったものを根こそぎ奪い去る。信じていた恐怖の支配者の喪失は村に大きな衝撃を与えた。価値観と歴史の崩壊。虐げられてきた者の反乱。古臭い風習に胡坐をかき利権を啜っていた者の転落。怒号と罵声とすすり泣く声が響く村を沈黙させたのは──犯罪に対する国家権力。つまり警察の介入だった。

 央齢村の騒ぎはあっという間に村の外にも広がり、なあなあでやってきた役場や交番も無視できなくなったのだ。そうして介入して桜火王がいた跡地に向かえば血気盛んな警官が土の中から「証拠」を取り出す。

 多くの家畜の骨。奇妙な祭具。そして、長郷君一家の骨壺だった。

 刑法第百九十条。所謂死体遺棄を罰するための法律で、この死体には骨壺も含まれる。村の呪いは遂に刑法という名の現代社会のルールによって白日の下に晒される。古めかしい因習が蔓延る田舎で発生した儀式に使われた人間達。猟奇事件か、それとも怪異の仕業か。村の者達が陰惨な儀式を繰り返し、遂にはその現場から人間の骨が見つかっただけでもセンセーショナルなのに、直接的ではないが見て見ぬ振りをしてきた役場と交番といった所謂権力側とされる人間達の隠蔽も相まって非難の的となるのに時間はかからなかった。

 私達は狂気の舞台で演じされられた役者となった。現代社会で当然怪異の仕業などという言い訳は通用しない。猟奇事件と地方権力の腐敗の温床、央齢村。ワイドショーやSNSで奇異と侮蔑の目で見られ、囃し立てられる材料と化した瞬間だった。

 幸い桜火王を倒した一件から松戸季家は早々に引っ越しを選択していた。呪いが存在しない今、虐げられてきた村に執着する必要はないとサクラちゃんが説得したらしい。そして私もサクラちゃんの選択を聞き届け、翌日には退散していた。それでもどこからともなく元央齢村の住民だと聞きつけたマスコミに何度か質問されたことが互いにあった。面倒くさい本心を隠し、被害者であり思い出すのも苦痛だとアピールし続けている内に「流行」が過ぎ去ってしまっていた。

 桜火王は大勢の人間に消費され、世間から波が引くように忘却される。花見なんかしなくても人間は無意識に、そして残酷に怪異を滅ぼしてしまえるのだ。

 釈然としないような、笑い飛ばしたくなる程滑稽なようなそんな気持ちを抱えながら、そうして日常と後始末を反復横跳びしながら激動の一年が経過した。

 役場の村長を始めとしたお偉いさんは懲戒免職処分になった。死亡診断書を偽造した懇意の医者も当然裁きを受け、炎花家の林造爺さんを含めた村の権力者達の死体遺棄やその他諸々の裁判は続いている。爺さんに関しては最後に桜火王を倒す協力はしたが、私もサクラちゃんも同情の一欠片も持ち合わせていなかった。やはりそれ以外の何年もの積み重ねが大きい。ざまあみろと溜飲が下がったのが正直な感想だ。

「廃村だね」

 マグカップから湯気が立ち上っている。熱い珈琲を一口啜り、菱形をしたクッキーの包みを開けた。

「そりゃあそうでしょ。あんな村、県も残しておきたくないだろうし」

「化け物跡地、お祓いをして県が公園にするらしいよ」

「人来るのぉ? 良くて肝試しスポットとして動画配信者が数人集まるくらいじゃない?」

 サクラちゃんが頷きながらクスクスと笑み、ピンク色をしたクッキーを齧る。サクサクと小気味いい音がして、口元に手を添えながら「苺味?」と尋ねてきた。

「箱の中に説明書、入ってない?」

「本当だ。えっと……うん、苺味」

 私も包みを剥がした黄緑色のクッキーを口に投げ込んだ。香ばしいナッツ類と固めのバタークリームが混ざる。ピスタチオ味。流行りの洋菓子店に立ち寄って良かった。値段以上の味はする。箱も可愛いし。

 サクラちゃんが説明書を指で叩きながら、箱から焦げ茶色のクッキーを取り出した。おそらくチョコレート味だろうとサクラちゃんの顔の前に手を差し出せば焦げ茶とピンクのクッキーを手の平に乗せられる。

「ん。ありがとう」

 さてどちらから食べようかと腕を組む。チョコか苺か。そんな思考回路に不純物が不意に混ざった。もはや無感動な世間話の一つと化したサクラちゃんの先程の言葉だ。

 央齢村は四月一日付で廃村となる。周囲の村に少しずつ土地が分割され吸収される形となり名が消えるのだ。村がバラバラに分けられるといっても問題はない。もうあの土地に人間は殆ど住んでいないからだ。世間の目に晒され嫌気がさし引っ越した者、呪いがなければと自由に飛び出した者、今までの行ないに気まずくなり逃げた者……様々な理由があるだろうが、とにかくあの村の記憶を皆消し去ってしまいたかったのだ。様々な理由で皆桜火王を忘れようと必死だった。これは本当に予想外でワイドショーを眺めて目を丸くした覚えがある。人の生き方、こびりついた風習はそう簡単に変えられないと踏んでいたが、いとも簡単に皆捨ててしまっていた。

 見方を変えなくとも、その原因を作ったのは私だろう。中には不幸になった者もいるのかもしれない。けれど、生憎と責任なんか取らないし罪悪感も──自分でも驚いたのだが──微塵も湧かなかった。私は悪習だろうと文化を破壊した、怪異を打ち滅ぼした。ただその事実だけが残り、そして──

「あやめちゃんは結局大学院を目指すんだよね? 春柳先生のところで」

 とても現実的な話を振られ意識が引き戻される。頷きながら包みを見ずにクッキーを口に運ぶ。チョコレート味だった。

「内部推薦貰える成績を保てたからね。申請はする予定だよ」

「あやめちゃんのこと将来的には『先生』とか『博士』って呼んだ方がいいの?」

「何言ってんの」

 正直に言えば桜火王を実際に滅ぼしてしまえた一年前、私の大学に通う当初の理由は全て解決されてしまっていた。それでも続けて学んでいきたくて、なにより春柳先生に随分と叱られそして大学院進学を勧められたのが理由として大きい。「馬鹿野郎! 本当に倒しに行く奴がいるか! 死ぬところだったんだぞ!」と教授室で怒鳴られたのを今でも覚えている。その後、個人的な興味と念押しされた上で怪異を滅ぼした時の様子を根掘り葉掘り聞かれたのも。

 まだ大学を卒業してはいない。それでも就職活動より進学のための対策に舵を切っていて、気持ちもそちらに向かっていた。サクラちゃんの言う「先生」や「教授」になるのかはまだわからない。最終的に就職を目指すのかもしれないし、目下の悩みの「もう一つの道」を選ぶのかもしれない……こっちの確率は宝くじ一等より低いけど。でもとりあえず。

「……お金が足りそうで良かったよ」

 珈琲をこくりと味わって胃を温めれば安堵の息と共に言葉が零れていき、思わずマグカップを落としそうになる。やってしまった。

「お金……え?」

 案の定、サクラちゃんの顔つきが見る見るうちに険しくなる。ああ、せっかく一年間黙っていたのにな。

「あやめちゃん」

「そうだ。今日はそもそもサクラちゃんの入学祝いに行くレストランを決めようと」

「あやめちゃん」

 対面に座っていたサクラちゃんがマグカップとクッキーの箱を持ったまま腰を浮かし、私の隣にそのまま下ろした。ふんわりと柑橘系の香り──以前一緒の香水をつけていいか尋ねられたので了承したらすぐに購入してきた──がして、がっしりと左腕を掴まれる。長袖のブラウス越しに綺麗に切り揃えられた爪が突き刺さって少し、痛い。手を繋ぐというか、こうして身体で感情を表現してくる癖は未だ健在だった。

 顔をぐいと近づけられ、じいと睨みつけられる。蛇に睨まれた蛙、という単語が過ぎっていった。参った、降参。右手を上げれば少しだけ左腕の力が緩まった。しくじったなぁ、本当に。

「……うちさ」

「うん」

「大学はまあ、あの村を出るために必要だったから両親が入学費も含めて最初は払ってくれたのよ」

 少し間を置いて視線を逸らす。別に恥ずかしいことじゃないが、何となく言いにくいのだ。

「ただ、その……実は一年目の後期くらいかな? ちょうどサクラちゃんに連絡したくらいかも。それくらいから二人の家庭内別居が酷くなって私も殆ど会ってなくてさ。顔を突き合わせた時の会話が基本、私の学費をどっちが払うかで揉めるって状態になって……結果、私が払えるだけ払って残りを二人で折半してもらうのに落ち着いた。だから院はもしかしたら全部自費になるんじゃないかな? 奨学金制度は……難しいし」

 私にとって大学生活はアルバイトと勉学の繰り返しだった、と溜め息をつく。

 都内に引っ越してすぐに両親の関係は冷え切っていった。おそらく央齢村という共通の敵を憎み、団結することで生き残りを図るしかなかったからだ。その敵がいなくなった以上、私達を繋ぎ止めるものは何もなくあの村に引っ越す前の光景は戻ってこなかった。敵を失った二人の目に映ったのはあの状況を打開せずに停滞し切っていた互いの姿だ。病的なまでに家族一緒に在ることに縋っていた二人は、怒鳴り合いの喧嘩を続けた後に仕事に打ち込み家を空け続け、そしておそらく互いに不倫をしているのだろう。もしかしたら数年以内に離婚するかもしれない。他人の陰口を叩いてはいけません──小学校の道徳の授業で先生が力説していたのはこういう意味だったのかと感心する反面、一人きりのダイニングで夕飯を突っつくのに一抹の寂しさを覚えた日もある。だが、不倫を除けば今の家族の在り方に納得はしていた。無理に一緒にいて苦しむよりかはずっと良い。この距離感が冷たくて心地よかった。

 時間も金もかかる運転免許を早々に取得できたのだけは救いだったのかもしれない。サクラちゃんが眉を下げ、左手から力が抜け床に落ちる。私は慌てて顔の前で手を振った。

「あ、心配しないでね。嫌な予感がして入学して呪いを解いてからすぐアルバイトをひたすらやって貯金してたし、むしろ金銭的に少し余裕も」

「馬鹿! あやめちゃんの馬鹿!」

 ローテーブルを拳で叩く。零れそうになるマグカップの中身を心配しつつ苦笑いを浮かべた。

「また馬鹿って言った」

 サクラちゃん一家が神奈川県郊外に引っ越してから半年後、サクラちゃんは東京との県境で一人暮らしを始めた。改めて短大進学への勉強をしながらだ。桜火王が消滅してから今まで抑圧してきた願望を解き放ち、ありとあらゆるものを吸収しているのに罵倒の語彙力だけは増えなかった。性根が優しい、という解釈にしておきたい。

「そんな無理してたのに……あの時私に黙って怒鳴られて泣いてたの? 言い返せばよかったじゃん!」

「あれは自分がどういう状態かじゃなくて、私がどうサクラちゃんを傷つけていたかだったからいいんだよ」

「愚痴ぐらいなら聞いたのに何で。受験があるから気にしたの? 私の家の愚痴は聞いてくれてたのに」

 サクラちゃんが不貞腐れてそっぽを向く。弁明だけはしておこう。

「私だって遠慮なくキツかったら愚痴の一つや二つ聞いてもらってたよ。でもあんまり辛くはなかったからかなぁ。むしろ無理やり仲良くされてた村での生活が苦痛だったからね」

 これが嘘偽りのない本音だった。本当に辛くはなく、むしろ放っておかれた日々は気が楽だったのだ。私の勉強内容に眉を顰められ、「私達にあの村を思い出せと?」と嫌味を言われた入学当初よりはずっと。

「……もう知らない」

「知らないのはちょっと寂しいな」

「黙ってた癖に」

 頬を膨らませてサクラちゃんがローテーブルにオレンジ、ピンクのクッキーを並べピンクの方を勢い良く噛み砕く。こうやって物に当たるのは私を許す合図だった。調子に乗ってもしかして苺味気に入ったの? と聞く。不機嫌さが戻り、肘で脇腹を小突かれた。

「もしかして一人暮らしをしないのって。実家で不便がないからじゃなくて貯金のため?」

「そうだね。本当に辛くなったら出て行くけど」

「……他には隠してること、ない?」

 藪蛇だったと気づいた時には遅い。珈琲で流し込み、サクラちゃんがじろりと再び私をねめつけた。

「隠してる、の定義がわからない」

「その言い方はあるんでしょう!」

 小さく肩を跳ねさせれば呆れたように顔を顰められた。たしかに、ある。何故言わないのかと問われれば、私が「その道」を選ぶ可能性が限りなく低く余計な心配をかけたくないからなのだけれど、あくまでも私の問題で言う義理だってないのだ。……サクラちゃんに言ったら眉をつり上げて怒られそうだけど。もう既に怒られているけど。

 隣からの真剣な怒りに観念する。仕方がないと私は口を開いた。

「あのさ。私、こう見えて桜火王を倒したじゃない? 勿論サクラちゃんの協力がなければ危なかったし、ムカつくことは置いておけば林造爺さんもだけど」

 計画を立て挑んだという意味で、と付け加えればサクラちゃんが首を縦に振る。

「そうやって怪異に挑み生き残った人間は怪異に対して何ていうのかな……他の人間よりも呪いを跳ね返せるようになるとか『耐性』がつくらしいの。そして私が知らないだけで怪異は無数にこの世に存在し、それを祓って人を守ることを生業にしている奴も大勢いるんだって。で、とんでもなく胡散臭いんだけど……そこの団体の人にスカウトされているんだ。まずは大学院に通いながらアルバイトをしてその後正式にそっちの道で、つまり怪異退治を仕事にしないかってスカウトが来ている」

 サクラちゃんが物凄い形相で目を剥いた。険しい顔と半開きの口のコントラストが可笑しくて、そして申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「さすがにそんな漫画やゲームみたいな世界に入り浸りたくないから断ったからね! ちょっと、サクラちゃん。そんな顔しないで! ああもう! だから言いたくなかったの!」


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