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3-3 油断

「ごめん。あやめちゃん……無理だよ」

 目の前が一瞬、真っ暗になる。ああ、そうか。無理だったか。鼻の奥がツンと痛むのを堪えて、私は小さく続きを促すように顎を引いた。この場に似つかわしくない透き通った声が更に続く。

「私……あやめちゃんと言うこと全部信じてるよ。だから一緒にお花見したい。多くの人間で消費した方が威力があるんだよね? けど、怖いの。やっぱり桜火王様が怖くて怖くて仕方がない。あのね、ずっと話を聞いてる時に何度もあやめちゃんの隣に行こうと考えていたの。でも駄目だった。一歩でも踏み出せば私も長郷君の一家みたいになるんじゃないかとか、お父さんみたいに腕が吹き飛ぶんじゃないかとか……そんな考えばっかりが頭を過ぎって……。だからそこに行けない。あやめちゃんの隣でお花見ができないの! 私は戦えない! あやめちゃんを助けることも、自分の命を守ることもできない!」

 揺れた瞳が潤み、そのまま溶けたように水滴が零れた。肩を震わせしゃくり上げ、白粉が取れるのも、袖が汚れるのも気にせず乱雑に顔を拭いている。

「ワシの答えなんぞどうでもいいだろうが」

 林造爺さんがばつが悪そうに俯いていた。私とも桜火王とも視線──桜火王に目はないが──を合わせたくないらしい。

「咲楽の言うことはもっともだ。ワシら央齢村の住民はそれこそお前が言うとおり恐怖を心身の一部として育ってきてしまっている。お前が真実を言ってようが何だろうが根源的な恐怖だけは小手先の意思ではどうにもならん。コントロールできない生理現象として、本能として染みついてしまっている。桜火王様は恐ろしい、従わなければならない……と」

『そういうことだ、村から逃げた敗北者め』

 神経を逆撫でする声が待っていましたと云わんばかりに鼓膜を揺さぶった。

『お前の理論が当たっているのは認めてやる。俺はこのままお花見を続けられれば間違いなく死ぬだろう。数百年生きてきてここまで追い詰められたのは初めてだ。褒めてやろう』

「化け物に褒められてもちっとも嬉しくないのよ。とっとと灰になってくれない?」

『だが、俺の敗北は有り得ない! お前が人間である以上だ!』

 風が吹き荒れ、どこからともなく燃え盛る葉が飛び出してくる。そして空中──私のはるか頭上で停止した。

「今更脅し? 攻撃が届かないのを認めた癖に」

『お前が花見を続けている限りだろう』

 やはり読まれていた──! 私は一瞬奥歯を食いしばり、涼しい顔を作りウインナーを噛みちぎる。

「どういうこと……なんですか?」

『この禁足地は俺の領土だ。この女が言うとおりここでの攻撃を続けられれば俺は死ぬ。だが代わりにここでは呪われていないこの女に対しても俺の呪いは、必殺奥義である毒桜吹雪も呪根元絞めも炎花葉も『私は貴方なんぞ怖くないです』と意思表示を続けていなければ当てることが可能だ。敏感に悟るということは弱点でもあり強みでもある。気を抜けばこの女なんぞ一撃で八つ裂きにしてしまえるぞ。それに』

 身体の半分を失っているとは思えない余裕を見せ続けた。

『この女が言う桜を人間の都合で消費する花見には桜よりも優先すべきものが必要だ。例えば弁当であったり、そこに積まれているガラクタであったり、くだらない小細工こそが花見を行なう武器となる』

「ちゃんとお重の中身見てる? 二人前分作ったからまだ山ほど残っている状態で既に半分ほどアンタは灰と化しているんだ。私が負ける要素が何処に」

『お前はそれを全部食い切れるのか』

「悪いけど、私結構大食いなのよ。アンタの口車になんか乗らないから」

 ペットボトルに残っていたオレンジジュースを全て注ぎ切り飲み干すと続いてクーラーボックスに入れていた烏龍茶を取り出す。私が口をつければまた桜火王が呻き、身体の一部が灰となり散っていった。

「サクラちゃん。……それから一応爺さんも」

 サクラちゃんが恐る恐る顔を上げる。枯れてしまうんじゃないか心配になる程の大粒の涙が地面に落ちその場を湿らせていた。

「あくまでも協力願いだから気にしないで。ずっと苦しんできたんだ。そう簡単に怖くなくなったなんて割り切れないよね。サクラちゃんが私を信じて、協力してくれようとしていただけで十分だよ」

 本心だった。サクラちゃんが桜火王より私を信じ選んでくれた。それだけで胸が燃えるように熱く、闘志が湧いてくる。

 満たされている。先程とは別の理由で潤む瞳を誤魔化すように天を仰いだ。

「でも! ……ごめん」

「桜火王と私がまだ使ってない秘蔵のお花見グッズとお重の残りを見なよ。全然余裕だって」

 決意を漲らせるように唐揚げを食いちぎれば、桜火王からまるで伐採されたような呻き声がする。うん、美味しい。自然と頬が緩んでいく。醤油に浸かったもも肉と大蒜のほのかな香りは冷凍食品とは思えないくらいの香ばしさだ。

 もぐもぐと無言で口を動かす。胡瓜入り竹輪を齧ればバリバリと心地良い音がなる。胡瓜独特の青臭さを竹輪とマヨネーズが中和して口の中に広がる。パプリカの甘さと塩胡椒が混ざって甘じょっぱい。アスパラのベーコン巻きもふにゃふにゃにならない程度に火が通っていて噛み応えがある。口内のリセットのためにこくりと飲んだ烏龍茶の苦みが癖になりそう。おにぎりのおかかチーズの具の比率もばっちりだ。

 私が一口ずつ食べ進める度に桜火王が呻き声を上げ、花びらと同時に灰が降り注ぐ。ドーム型の膜のお陰でせっかく作ったお重が台無しにはならないが、不快なのは間違いない。月と桜のコントラストは悔しいが美しいのに勿体ない。やはり早く黙らせるに限る。

『お前……!』

「煩い」

 出汁巻き卵と砂糖で味付けした卵焼きを食べ比べれば「ぎゃあ」と甲高いノイズが響いた。太めの枝が根元から灰となり折れる前に砂のように地面へと落ちる。そして風にとって舞い上がり虚空で消滅していった。

 最早桜火王と話すことなどないのだ。あいつがボロを出して私の仮説を実証してくれた今、余計な情報はむしろ私の不利になる。だから私は奴が声を上げた瞬間に弁当に手をつけるようにして的確にダメージを与えていく。

「信じられん……本当に花見で倒せるのか! あんなに静かに、食事をしているだけなのに!」

「食事じゃなくてお花見だって」

 爺さんが興奮気味に叫ぶ。いつの間にか拾っていた錫杖の先で地面を小刻みに叩いていた。

 いけるかもしれない。私はお重のミートボールとウィンナーを紙皿に取り分けながら桜火王を見上げた。七割程の桜が散り、左半分の枝がすべて失われ、年輪が剥き出しになっている。右半身も不自然にチェーンソーで切れ込みを入れたように削れていた。失敗した盆栽──そんな言葉が脳内を過ぎりふき出しそうになってしまった。

 勝てる! この化け物殺人桜を葬れるのだ!

 にたりと笑い、再び烏龍茶に手を伸ばした時だった。

『そろそろか……ぐっ!』

 喋らせない! 私がまた竹輪を齧れば苦痛の声を上げ──しかしそのまま喋り続けた。

『女……火浦朱芽。俺がさっき丁寧に教えてやった言葉の本当の意味を理解していないようだな。その弁当箱も底が見える面積が随分と増えたようだが』

「……だから何?」

 ミートボールを口に放り込めばまた呻く。すると突然クスクスと甲高い笑い声が禁足地を震わせた。

 背筋に冷たい物が走る。ぼろぼろと身体を灰にしながらも桜火王は笑い続けている。私はウィンナーを咀嚼して残りのおにぎりを一気に口に入れ烏龍茶で流し込んだ。右側の太い枝が折れたのに一段と笑い声が甲高く響いた。

『さっきも心配してやっただろう? お前が用意してきた弁当は恐らく三人前くらいだな。そして既に二人前はいかなくとも一人前半は食っているはずだ。そろそろ胃の限界だろう……その証拠に先程から口に運ぶ速度が遅くなっている。満腹……いや既に限界を越えて無理に食べているんじゃないか』

「あやめちゃんは一人で三人前くらい中学時代は食べてたんだから! まだ食べられます!」

『嘘はやめるんだな。仮にそうだったとしても今現在それ程までの食欲を抱えていればもっと大きなお重を用意するはずなのだ。お前と共に花見をする予定だったのだろう? 自分の分だけお重に敷き詰める程薄情ではあるまい。そのお重の中身は二人で食べるのを想定した量だ』

 ぐっとサクラちゃんが言い淀む。悔しげに歪んだ顔を見たのか桜火王が更に続けた。

『咲楽を引き込もうと悠々と会話をしながら食べていたのが仇となったな。火浦の娘。ダイエットには少量の食物で満腹感を味わうテクニックとして食事をゆっくり行なうものがあるが、今のお前は正にそれだ。俺が消滅するまで花見を、食事を続けられるか?』

「当たり前じゃない。私はこのお重を空にするつもりでここに」

『胃を先程から押さえているな』

 私は身体を強張らせて自らの腹部に視線を落とす。箸を握る手ではない左手がたしかに胃のあたりに無意識に添えられていたのだ!

『俺達怪異が吸い取る人間の恐怖には限界がない。お前達人間で例えるなら胃袋の容量が無限なのだ。だがお前には胃の容量や満腹中枢といった限界が存在する。過剰な食事は胃のムカつきや痛みを引き起こす! お前は耐えられるか。過剰な満腹後の苦しみに!』

「花見とは何も飲食だけじゃないのよ。私が見た花見では子ども達は遊具を使い遊び回り、大人達はカラオケに勤しんでいた。満腹になってもシャボン玉を吹いて、更にアンタがガラクタ呼ばわりしたスピーカー付きカラオケマイクで熱唱してやる。覚悟しなさい、私は今日のために一人カラオケで鍛えてきた!」

 左手で荷物をまさぐる。そしてシャボン玉液と緑色のストロー、それからスピーカー付きカラオケマイクの箱を引っ張り出し鼻で笑い飛ばした。

 動揺を隠すためだ。奴の言っている私の肉体的な限界はこの戦術の懸念材料の内の一つで実際胃がもたれ始めていた。私が主な武器として用意したのは花見の代表格である飲食だ。つまり私の食欲や体調次第であり人間である以上コントロールできる範囲に限界があるのだ。ちなみに花見のために用意した全ての武器を使い切っても桜火王を灰とできるかも不安だったが、こちらについては明らかに足りているから問題はないだろう。

 思わず唇の端を噛みしめそうになり、口を緩める。動揺を悟られたらそこから恐怖に繋げられる可能性があるのだ。特に。

 もう一つの懸念材料を殺人桜は気づいている。それの開示はできるだけ避けたかった。

 ただの桜の木にして数百年も人間を苦しめ続けた化け物だ。用心に越したことはない。気を引き締め直しお重の中から食べ物を選ぶ。余裕を見せるためにもここは油っぽい唐揚げを選ぼうと箸を伸ばした瞬間だった。

「あっ」

 しゃがれた声。そして二人の絶叫と食べたものを戻しそうになる匂い。振り返れば林造爺さんの錫杖と右手が燃えていた。

『馬鹿め。林造。あれ程火浦の娘がこの輪の中に入るなと忠告したのに。浅はかに興奮しおって』

 ふと見れば爺さんの右足が一歩分、禁足地に侵入している。頭上で待機していた葉が全てなくなっていた。私にかけようとしていた呪いが奴のテリトリー内に入った林造爺さんに降りかかったのだ。いけない! このままだと。

 一瞬、過去の記憶が過ぎる。司祭を名乗り偉そうに父の診療所の看板を殴りつける姿が。「大学? 親不孝者め、わざわざ無駄な金を親に払わせるとは」とすれ違いざまに告げられた嘲笑が。放っておいてもいいんじゃない? だってあんな奴どうなってもいいでしょう。

 一番大切なのは花見を続け、桜火王を倒すことだ。生贄として生を終えようとしているサクラちゃんが自分の人生を選択できるよう、支えるだけだ。

 それでも身体が動いていた。持ち込んだ二リットルのペットボトルを開け、タオルに染み込ませる。そして余った水と濡れたタオルを手に走り出していた。

「あやめちゃん! どうしたら」

「爺さん! 錫杖を離せ! それから!」

 燃える手をタオル越しに掴み、そのまま包み込む。そして更に上から水をぶっかけた。これで消えるはず。これで──

『隙ができたな。お前は今俺を消費していない……花見をしていない!』

 全身の血液が凍りつくような声がした。

 瞬間、両足が何かに掴まれたかと思うと身体が宙を舞う。視界が美しい星空で染まり、そして茶色い棒状のものが次々と襲いかかってきた。

「呪根元締め!」

 あやめちゃんが叫ぶ。くそ、やっぱり助けるんじゃなかった。後悔で舌打ちをしようとすれば全身に圧迫感が走る。地面から一メートル程浮いた場所で桜火王の根に胴体を、四肢を縛り上げられていた。


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