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3-2 消費

 公園で見た花見の光景で全てのピースが嵌った音がした。

 何故、私だけが呪われ両親が平然としているのか。呪いが発動する時としない時があるのか。状況証拠と言えばいいのだろうか。呪いをかけられてから全ての出来事が桜火王の弱点を導き出していた。

 何か別のことを、と気を紛らわせていると波が去って行くのも正に恐怖心がゆっくりと小さくなっていったからだ。逆に考えれば考える程恐怖を掻き立てられ呪いの症状が大きく出るのは忌々しい殺人桜の思うつぼだったに違いない。両親が呪われなかったのもそもそも桜火王の存在を全く信じていないだけでなく、一日でも早く央齢村の出来事を頭から追いやろうとしていたからだ。恐怖どころか侮蔑も怒りも悔しさも全部捨て何事もなかったかのように振る舞う両親が呪われるはずがないのだ。

 怒りと恐怖の天秤が後者に振り切れそうになりながらも記録を取り思考を続けた結果だ。生まれた小さな光明をようやく掴んだきっかけはゼミ生の私を気遣ったお世辞にも出来が良いとは言えない冗談だった。擦り減った心だからこそクスリと笑ってしまった瞬間、全ての呪いが消えたのだ。

 そして一番の決定打は花見であった。花見を楽しむ人々を見た瞬間、私の身体を電撃が貫いたような衝撃が駆け巡った。

 花見客は誰しも桜を恐れない。花見客は桜そのものよりも自分の実益を優先させる。

 桜に呪いも怪異も見出さず、飲食を楽しみ歓談する。桜は桜としてだけそこに存在し、人は人としてその隣で桜を消費しあるいは意に介さず桜と共に生きていた。

 それが花見だった。私の知らない、桜と人間の一つの在り方。共存というには傲慢な人間の営み。桜に支配されるのではなく人間が選び取った季節の風物詩だ。

 その様を見て今までの全てが繋がった。ここに、花見に呪いも恐怖もない。新たな桜の「楽しみ方」を認識した途端、呪いは掻き消えた。目にした光景に全く恐怖が存在しないのだ。ある意味肩透かしを食らい確信する。桜火王の呪いの正体は人の心に巣食う恐怖だ。奴は恐怖で繋がりこちらに呪いをかける。そして呪いは恐怖を感じなくなったら勝手に解けてしまうのだ。

 では、何故恐怖で支配するのか? 呪いという怪異が恐怖を克服することで解けるなら、桜火王はある意味では呪いそのものではないか。人に恐れられることが奴の生でありアイデンティティなら──央齢村の慣習が、閉塞的な空間の意味が別のものに脳内で書き換わっていく。

 つまり、桜火王は呪いではなく、恐怖の対象でもなくただの桜として消費されるのを一番恐れているのでは。呪いが消えたのと同様に桜として消費してしまえば消えてしまう、つまり倒せるのでは──!

 繋がった思考の線が切れないのを確認すれば自然に残酷な笑みを浮かべていた。

 奴を倒せる。散々弄んでくれた礼を返せるのだ。

「こうやって長話をしていること自体が有効打なんだよ。そもそも意味なく手の内を明かすほど馬鹿じゃないし」

 桜火王の攻撃の手が止まる。息を呑むような音が聞こえ私は薄ら笑いを浮かべた。

「そこの殺人桜に恐怖を抱いていない意思表明と攻撃にもなるし、何よりサクラちゃんが一緒にお花見してくれるかもしれないからね。一石二鳥ってやつだよ」

 一拍置き小さく息を吸う。だがあまり悠長過ぎるのも危険ではあるのだ。

「サクラちゃん、蓮河三十郎が書いた『XX県郷土異種族怪異譚』シリーズの話したよね?」

「うん……それが何か」

『まさか亜殺花か。お前が奴を……!』

「勘違いしないでよ。書かれたのは私が産まれる前。そいつを倒したのはその村の人達だ」

 桜火王の声に怒気が籠る。知ったことではないが、知り合いだったのかもしれない。

「怪異の交友関係なんて興味ないけどさあ。その亜殺花とアンタ、同業者なんでしょう?」

「同業者?」

「あっちはもっと積極的に人を食らっていたらしいけどね。通常の朝顔に乗り移って人間を食らう化け物のため、一時期その地域では朝顔の種をまくこと自体が禁忌とされたくらい被害が出ていたらしい。とにかく桜火王と同じく恐怖で土地を支配していた殺人朝顔がいた記録が残っているんだ」

 根っこが風を切ってまた私を叩きのめそうと振り下ろされる。涼しい顔を作り、今度はお浸しを取った。水気の多い食べ物なので別のタッパーに入れ慎重に持ってきた代物だ。

「ん……ちょっと浸かり過ぎたかもな。まあ、これはこれでいいか。殺人朝顔、亜殺花とこいつには共通点がある。燃やそうとしたり、枯らそうとしたりだとかそういった攻撃に対しては全くの無傷であり、多くの人間を返り討ちにしてきた。つまり」

「待て! 今倒したと言ったのか!」

「何、爺さん? 興奮しちゃって」

 私が小首を傾ければ爺さんは握り拳を作って大きな口を開ける。

「興奮も何も……殺人朝顔か何だかわからないがとにかく怪異を」

 桜火王が再び私に根っこを振り上げ激しい打撃音が響き渡る。「ひい」と林造爺さんが喉から悲鳴を絞り出した。

 だが村で散々甘い蜜を吸ってきたであろう爺さんすら揺らいでいるのは意外だった。じいと爺さんの青ざめた顔を見つめる。あまり期待はできないが心の片隅には留めておこう。

「攻撃で無傷だった点は後回しにする。今言いたいのは殺人朝顔がどう倒されたかだ。そいつを倒すのに人間がやったのは物凄く単純。……緑のカーテンを皆で作ったんだ」

「緑のカーテンって私の家の庭でもやっているあれのこと? ヒョウタンやフウセンカズラを育てて簾代わりに涼む……!」

「そう、それだよ」

「もしかして」

 サクラちゃんがハッとして手を叩いた。

「さっきの例でいくと……朝顔を恐れず緑のカーテンという人間の都合で消費したからってこと?」

「そのとおり! 段々わかってきたね。昨日言ったとおり殺人朝顔とそいつが同種の怪異であるなら同じ『消費する』手段で倒せるし、私の仮説の補強になるんだ。こいつらは人からの感情がなければ生きていけない。……卵が先か鶏が先かみたいな話になるんだけど」

「勿体ぶるな」

 林造爺さんが不機嫌そうに唸った。

「人間の恐怖を得るために呪いをかけるのか。呪いをかけるために恐怖を植えつけるのか。どっちが先かは別として恐怖と呪いが正に紙一重なんだ。言い換えればその人の恐怖を呪いとして反射させてくる存在ってことになるかな」

「恐怖を呪いとして反射? まさか!」

 サクラちゃんが顔をくしゃりと歪ませ声を震わせる。

「長郷君……お父さん……」

「うん。他の村に伝わっている伝承も全部そうだ。こいつは恐怖から手を出す攻撃が全く効かないんだ。だってエネルギーそのものなんだからご飯を食べさせてもらっているようなものだよ。それどころか呪いとして反射するんだ。だから皆負けてしまった。恐怖を抱えて『化け物として』挑んだばかりに」

「倒し方が間違っていたってそんな意味だったの」

「腹が立つ仕組みだよ。恐怖で支配しておいてそれを抱えて挑んだらそのまま呪いとして反射してくるんだから」

「私達に……この場に入るなと言ったのもそれが原因なのね」

「だからもし協力してくれるなら絶対条件として必要なことがある。もうわかっていると思うけど」

 焦げ茶色の土が薄桃色の花びらで覆われている。サクラちゃんはそこを見渡した。私は首肯して困ったように微笑んだ。

 そろそろ説得のための理屈の並べ立ては終了する。果たしてサクラちゃんがどちらに傾くのか。

 桜火王は四割程の桜が散り枝が灰となり半月型に近くなっていた。言葉が少なくなっているのも体力温存のためだろう。だが私には懸念材料が主に二つあるのも事実だった。

 額の汗を拭って笑みを浮かべる。一番問題なのは私が恐れてしまうことだ。最後の一押しとして祈るような気持ちでサクラちゃんを見つめた。

「この場はまさに桜火王と一心同体に近い。自分に恐怖を抱えてる人間を一撃で呪い殺せるくらいなんだから、逆を返せばそれだけ近くにいる人間の感情に桜火王は敏感なんだろう。だからここを禁足地として人が来れないように命令した。だって私みたいな奴にお花見をされたらそのまま感情を受け止めるしかないからね。呪いが攻撃手段だからこそ、恐怖をカウンターで返すしかないからこそ克服した私には攻撃が届かない。流石に妙なバリアーのような膜が現れた時は驚いたけれど」

 絶対に呪いが効かないと信じてやってきたがまさかシャボン玉を半分にしたような膜こと結界が張られるとは。花見をし始めた時の光景を思い出す。一瞬私も、桜火王の攻撃も止まり沈黙が走ったのは傍から見れば何とも滑稽な光景だっただろうな。

「とにかく」

 サクラちゃんは自然では有り得ない散り方をしている桜火王を見上げている。困惑と選択で瞳が揺れていた。どうか、お願い。

「一方的に消費された先は死だよ。そして私だけでなくもっと多くの人間がここに入り込み、花見を始めればその無残な散り方をしている桜はあっという間になくなってしまう。化け物殺人桜、お前はお花見によって死ぬんだ。……だからサクラちゃん」

 地面に撒かれた花びらも灰となり消えていく。薄桃に黒い破片が混じりサクラちゃんの装束の袖を汚していた。こんな状況じゃなければ罪悪感からクリーニング屋に走るだろうが、それどころではない。

 お願いサクラちゃん。どうか。

「これが私が到達した、呪いを解き桜火王を倒す方法だ。サクラちゃんの選択の良し悪しを決めつけることはもう止めた。けどもう生活が脅かされることもなく、少しだけどサクラちゃんは前より自由にこの村で生きられるかもしれない。だから……お花見を一緒にしてくれないかな。二人で、倒したい」

 サクラちゃんの身体が強張る。無理もない。お花見をするのはそのままサクラちゃんの認識の問題へと繋がる。一歩間違えれば死なのだ。

 禁足地に足を踏み入れ花見をするには桜火王への恐怖を捨て切らなければならない。そうでなければたちどころに恐怖心をめざとく感知した桜火王の手によって入った途端呪いで八つ裂きにされてしまうだろう。私の要請は感情を完全に掌握し切り自信を持てという無理難題に近い。そのための根拠は語り尽くしたがいくら積み上げても足りるものではないのだ。そして元々命を投げ出そうとしているが、それでも生贄として消費されるのと戦いを選ぶ覚悟を問われるのは訳が違う。私の目的のために命を懸けろと最低な願いをしている自覚はある。それでも、だからこそ。

 重苦しい沈黙が場を支配し、肌寒い春の風がその場の全員を撫でつける。桜と灰が舞い、冬の央齢村に漂っていた焚き火の匂いが禁足地の外まで流れていくようだった。

 満天の星空の下で切り取られたように美しい衣装を身に纏ったサクラちゃんが俯いて、私はお重を広げ弁当を頻りに食べている。傍から見れば奇妙だろうがこれが私達の昨日の喧嘩の先だった。

 ドクン、ドクンと煩い心臓を抑えたくなりながら、私はただサクラちゃんから目を逸らすのだけはやめようと誓ったのだった。


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