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3-1 呪いの正体

「サクラちゃんに爺さん、この輪……桜火王のテリトリー内、禁足地に今の状態で入ったら死ぬよ。覚悟ができるまではそこにいた方がいい」

 着飾ったサクラちゃんが踏み出しかけた足を止め、林造爺さんは腰を抜かしたまま呆気に取られていた。私は紙皿に乗せられた唐揚げを一口で平らげると、ミートボールを二つ、それから小さなカップに入れたポテトサラダをそのまま皿の上に取り分けた。マヨネーズに塩胡椒、それから隠し味でビネガーを足したポテトサラダはしっとりとしながらしつこくない味付けだ。私にしては美味くできたんじゃないだろうか。

「あやめちゃん!」

 オレンジジュースの入ったもう一本のペットボトルの蓋を開け紙コップに注いでいれば結界の隙間から叫び声を上げるサクラちゃんの姿が見える。馬鹿の一つ覚えのように打ち込まれる毒桜吹雪は私には届かないというのに。無様な桜火王を鼻で笑って私は雑音に掻き消されないように声を張った。

「来れないように仕込んだのにいるからビックリしてるの?」

「それよりもだよ!」

 桜火王が呪根元締めを発動させドーム型の結界ごと私を絞めつけようと囲み始める。しかしオレンジジュースに口をつければ何かが燃えた音がして桜火王の叫び声が響く。根っこの一部が炭化していて林造爺さんがまた甲高い悲鳴を轟かせた。

「呪いを解いたって……。あやめちゃんが何で桜火王様の呪いを。一言もそんな」

「言おうとしたら眠らされちゃったからね」

 ばつが悪そうにサクラちゃんが言い淀む。しかし気を取り直して私に向かって声を投げかけた。

「何やってるの! そんな桜火王様の近くで! お花見って正気なの!」

「正気も何もこれが答えなんだよ。桜火王を倒す正しい──」

『黙れ! それ以上言うんじゃない!』

 ちらりと桜火王の本体である木を見上げる。光輝く桜の花の集合体は月のような球状に見え、光り輝いていた。ふと球が凹んでいる部分に目が留まる。満開の光り輝く桜の花を付けているはずの先端から花が失われ枝が露出していた。そして見る見るうちにまるで火を灯した線香の先のように崩れていった。口が裂ける程口角が上がり歯茎が外気に触れる。やはり正解を私は選び取っていた。

「サクラちゃん、協力してほしいって言ったのはこれだったんだよ。私とお花見をして桜火王を倒してほしい」

「訳のわからないことを言うんじゃない!」

 震える足に力を込めて錫杖を文字どおり杖代わりにして林造爺さんが立ち上がった。そして錫杖を私の方へ突きつけて怒鳴り始めた。

「何だお前は村から勝手に出て行ったくせに! 桜火王様に不敬であるぞ! そこは神聖な領土であるんだ。選ばれた者しか足を踏み入れてはならないのに、それを花見だと!」

『そうだ林造。この不届き者を追い出せ。手段は問わん』

「承知しました桜火王様!」

 林造爺さんが肥沃な土に足を踏み入れようとする。いけない──! 私は慌ててレジャーシートに積まれた荷物の中からフリスビーを振りかぶって投げた。

「やめろ! 桜火王はアンタを殺してサクラちゃんを怖がらせようとしているだけだ! あの家畜達のように苦しんで命を奪われたいのか! せっかく与えた……燃え尽きた枝の分の傷が無駄になる!」

 あの家畜達。その言葉に反応して林造爺さんが身体を強張らせた。毎年の炎花の儀で音頭を取っているからこそ自分がどうなるか想像してしまったのだろう。また尻餅をついた林造爺さんの頭上をフリスビーが回転して森の奥へ消えた。せっかくの「武器」だったが仕方がない。

『役立たずめ! お前ら全員みなご』

「できるものなら。焦っているね?」

 ぐう、と悔しそうな呻き声が頭上から響く。何もかも計算どおりだが気は抜けない。そのためにも素早く仕留めなければ──私は未だ止まない桜に包まれた結界の中でオレンジジュースで喉を潤した。

「桜火王は人を虐げることを生きがいとした残虐非道な怪異だ。そして虐げ、呪いをかけた分だけ怪異として強くなり、勢力を伸ばしていく。怪異として人間に恐れられることこそが桜火王の力の源であり、呪いの正体なんだ」

「恐れることが呪い? だって桜火王様の呪いは支配しているこの土地に産まれた者全員に」

「違うんだよ。産まれは関係ない。だって土地に産まれた者が条件なら央齢村でない産婦人科で産まれているのに発動するのはおかしいでしょう。呪いにかかる条件はたった一つ。桜火王に認識された……つまり一度でもこいつのテリトリー内の央齢村に足を踏み入れたことのある状態で桜火王を恐れることなんだ。そして恐れを力に変え毒桜吹雪、呪根元絞め、炎花葉といった必殺奥義という呪いで返すのがこいつの本当の力なんだよ。サクラちゃんも林造爺さんもこんなことがあったんじゃないかな。暮らしていて桜火王を恐れた途端、耳元で葉や枝が擦れる音がしたり足を呪根元締めで縛られたりって。私もそうだった。こいつの呪いは恐れた瞬間に発動し、恐怖の感情が過ぎ去れば消えていくんだ」

 ハッとサクラちゃんと林造爺さんが顔を見合わせた。自然の風が舞い周囲の木々を揺らす。呪いではない葉が擦れる音が桜火王の攻撃のノイズの合間から聞こえてきた。

『林造! 咲楽! 俺よりもそいつの言うことを信じるのか!』

 桜火王が鞭のように根をしならせサクラちゃん達が立ち尽くすギリギリのあたりの地面を叩いた。ギュッとサクラちゃんが目を瞑る。そして恐る恐る瞼を開けて、ゆっくりと薄い化粧を施した唇を震わせた。

「あやめちゃん続けて。産婦人科の件も呪いの発動条件も理屈は通ってるけど、納得には足りないよ。だって実際に央齢村の人間だけが呪いの対象になってるんだから。それに……だったらあやめちゃんがかかるのは尚更おかしいし。全然怖がってなかったのに」

『見逃してやった生贄風情が!』

「すみません。桜火王様」

 見逃す、といった単語に林造爺さんが桜火王とサクラちゃんを交互に見やる。しかしサクラちゃんは意に介さず言葉を続けた。

「冥土の土産に知りたいんです。私達が恐れ、私がこれから捧げられるあなたの正体が何かを」

 視界を覆う薄桃の先に真っ直ぐとこちらに視線を向ける姿があった。美しい衣装を纏い、震える身体を押さえるように両手に握り拳を作っている。

 サクラちゃんは迷っているのだ。私か、桜火王か。

「呪いの対象は正確には赤子、もしくは幼少期から央齢村で育った者になるんだ。何故なら幼少期から桜火王という存在に触れなければ、現代の人間は『ただの桜の木』を恐れない。サクラちゃん、央齢村は桜火王がいるのが当たり前の世界だよね? けど央齢村の住民じゃない、他の大多数の人は存在すら知らないどころか私達が大真面目に訴えても誰も信じてくれないだろうね。それどころか非科学的な作り話だと鼻で笑われる、桜火王なんか存在しなくて当たり前の世界で生きている……ここまではいい?」

「うん……悲しいけど、わかるよ」

「つまりこの村で幼い頃から暮らす人間だけが皆ごく自然に桜火王という恐ろしい化け物に支配されているという前提と共に育っていく。三つ子の魂百までなんて言うとおり幼子が周囲から受ける影響は非常に大きく、桜火王がいる世界が常識の土台となり人格形成に組み込まれるんだ。簡単に言えば存在を空気や水と同じように当たり前のものだと信じてしまうんだね。要は生きていく過程で両親や周囲の態度や聞かされた話から間違いなく桜火王に恐怖を抱いて、あっという間に呪いをかけられるよう央齢村は作られている。そして逆に言えばだから外から来た余所者は呪われないんだよ。桜火王なんていないのが当たり前の世界で自分という人間の土台を作り上げているから。私が調べた限り、ここ数十年で村に引っ越してきた子どもの最年少は私でしょう。二位は中学三年生でもう外の桜火王を信じない世界で自我が確立してしまっている」

「それじゃあ火浦の馬鹿共が呪われていなかったのは」

「人の両親を馬鹿とか言わないでくれる? でも正解だよ爺さん。さっきも言ったとおり村の外の大人はそんなもの信じないんだ。……爺さん達だって率先して央齢村以外の人間に桜火王のこと、伝えていなかったじゃないか」

 桜火王を妄信する大人達も自分達の村の常識が異常だと理解はしていたのだ。地域の子ども達が集まって通う合同学校で交流をする際は誰しも桜火王の件を一言も口にしなかったのを当時疑問に思っていた。そこまで恐ろしい存在であるなら伝えた方がいいのではと、助けを何故求めないのかと首を傾げ両親に尋ねたこともあったのだ。けれど、今ならはっきりとわかる。私が呪いの相談を大学の友人達に直接的にはしなかったとおり、非科学的な怪異の実在を真面目に語れば距離を置かれるだけだ。恐怖と呪いが当たり前の世界で育ちながら幸か不幸か、それが外から見れば異常だと央齢村の者達はしっかりと理解していた。

 林造爺さんが顔を歪ませて口を真一文字に結ぶ。無言の肯定だった。

「それならあやめちゃんは結局どうなの。ここに来たのが小学三年生だったから外の世界の常識をまだ土台にできてなかったの? 央齢村で育っていたから本当はずっと怖かったの?」

 首を横に振る。できるだけ言葉を選んで声を張った。

「ただ一度だけ、引っ越す時に桜火王を怖いと思ってしまったんだ」

「引っ越す時?」

「私も一応、小学三年からこの村にいた人間だからね。いざ離れるとなったら少しだけ怖くなった」

『違うな! お前が本当に恐れたのは俺と』

「黙って」

 横槍を入れてきた桜火王を振り返り私はミートボールを放り込む。とろみのついたソースが舌の上で広がり、桜火王の枝の末端からまた桜が灰になり地に落ちていった。

 桜火王が耳障りな悲鳴を上げ、攻撃の手が止まる。花びらのマシンガンが止み、炎を纏った葉が消火され何処かに飛んでいった。激しく唸っていた根も鳴りを潜め桜火王のテリトリーは途端静まり返ってしまった。馬鹿だなぁ、悲鳴を上げ、手を止めれば私の理論を補強するだけなのに。サクラちゃんが「あ」と口元を覆う。花見による攻撃が有効打だと遂にその目で、耳で認識していた。

「あやめちゃん」

 風が吹き、ドーム状の結界に積まれた花びらが舞う。その隙間からサクラちゃんの表情を何とか窺った。眉間に皺を寄せながら一拍考え込んで、唇を震わせながら言葉を紡いでいった。

「たぶん呪いが生まれつきでないのとか、呪われる条件はあやめちゃんの言うとおりなんだと思う。でもわからないよ。どうしてお花見なんてしているの? 本当にわからない……生贄にされるのだとここまで来たら、あやめちゃんがお花見をして……シャボン玉みたいなバリアが出て、それで桜火王様が苦しんで……何が起こっているの!」

「そうじゃまるで不敬を働いたから桜火王様の気分が悪くなったみたい……に……?」

 林造爺さんが身体を強張らせ信じられないような物を見る目で私と桜火王を交互に見やった。小さな疑念が、三百年以上も続く殺人桜の卑劣な支配の正体を朧気に想像してしまっているようだった。

『何を考えている林造!』

 桜火王の幹が左右に大きく揺れる。その反動で空に舞い上がった花びらが毒を纏い、林造爺さんを狙おうとして──空中で不自然なカーブを描き再び私目がけて降り注いできた。素早く二つ目のミートボールを食べる。するとまたドーム型の結界が形成された。

「やっぱりここで私が花見を続けている限り、アンタは他の奴に呪いをかけられないんだ。私に消されないように必死だから」

『黙れ!』

「じゃあ何で爺さんを狙わなかったの? 明らかに爺さんの思考を止めるための行為だったのに毒桜吹雪は私に降り注いできた」

「花見をしていれば……待って。それじゃあ今の私達は」

「呪いは解けていないけど、私がここで花見を続けている限り発動はしないよ。だから逃げるなら今の内だ。こんな殺人桜、とっとと倒して家に帰りたいからできれば手伝ってほしいけどさ」

 二人の顔が輝く。仮初だが産まれた時から背負っていた呪いから解放された瞬間だった。

 忘れずに竹輪と出汁巻き卵を皿に取り分けて胃に収めていく。「お花見を続けなければ」負けてしまう。用意したお重やセットが尽きる前にこの化け物桜を灰にしなければならないのだ。

 それを桜火王も理解しているのだろう。だからこそ威嚇のように攻撃を繰り返し私の手を止めようとしてくる。かなり動揺している様を見ればおそらく用意したお花見セットは致死量に違いない。まだ有利なのは私だ。でも気を抜けばやられる──! 首筋を汗が伝っていく。緊張を悟られぬよう常に不敵な笑みを浮かべるよう努力はしているが、相手は腐っても数百年土地を支配してきた殺人桜だ。そのためにも──ちらりとサクラちゃんに視線を送り、小さく息をついた。

 元々一人で戦うつもりだった。だから私の準備してきた武器は弁当の量が何人前だろうと一人用である。けれど、昨日昼間のサクラちゃんの訴えを聞いて私は自分の思い上がりを知った。身勝手だろうと桜火王だけは確実に仕留めるつもりだがサクラちゃんの意思が、協力がほしい。サクラちゃんに桜火王ではなく私を選んでほしい。二人で何とか乗り越えた先を見たい。自分の罪滅ぼしにサクラちゃんを巻き込むなんて最低だが、それでも彼女の意思を尊重した上での人生の「続き」を歩みたかった。

 けど、現状の迷いを抱えたままでは絶対に参戦させられないのも事実で今の私にできるのは何が起きているかの説明だけだ。説得のため話を続ける方針に舵を取り、オレンジジュースをまた一口飲んだ。

『何を安心している』

 桜火王が低く唸った。

『咲楽、林造。たしかにお前達に毒桜吹雪を浴びせることはできない、それは認めよう。だが俺の呪いそのものは解けていないのだ。こいつがしくじった瞬間、お前達を呪い殺してやる。せいぜいつかの間の自由を謳歌しておくんだな』

 二人が身体を縮こまらせ、場の空気が張り詰めた。

『咲楽。そもそもおかしいとは思わないのか。この女はたしかに俺が呪い、そして解いたのも認めよう。だが、そうであれば何故お前達に今すぐにでも伝えないのだ? こいつはお前達を助ける気なんか毛頭ない。自分勝手にこの俺を殺しにやって来た』

「言わなかったのは呪いを解く方法と、こいつを倒す手段が密接に関わっているからだよ。それにサクラちゃん、ホテルで解く方法を私が言ってもアンタにはできなかったんだ。桜火王を恐れ、生贄となる嫌な覚悟まで決めていたアンタには」

 林造爺さんについては助けてやる義理はなく、桜火王が正しい。心の奥底を読まれたようで腹立たしさを覚えたがそれごと出汁巻き卵と共に咀嚼し飲み込んでいった。まだお重はかなり残っている。大丈夫、平気だ。

 私が一口お重に手をつける度、ジュースを胃に流し込む度に桜火王の桜が灰へと化し風に運ばれていく。凸凹になってきた光り輝く桜の円をしたり顔で確認し二人の方へと向き直った。

「何故桜火王が人を呪うのか。どうして呪いを伝染させた村というコミュニティを作り所謂ここのような『禁足地』を作ったのか。それはさっき言ったとおり、桜火王にとって死活問題だからだよ。桜火王は人を恐れさせることで呪いをかけ、同時にその恐怖を吸って養分としている。人との呪いでの繋がりがこいつにとっての本当の根で、人の恐怖が水分に等しい。桜火王にとって人に恐れられることが自身のアイデンティティでこの世に存在するのに必要不可欠な要素なんだ」

『やめろ!』

「こいつが狡猾なのは自分の根を全国に張り巡らそうだなんて思わなかったところだ。大勢の目に留まれば呪いなんて非科学的なものには綻びが生まれる。早い話が大多数の信じない者に嘘だと書き換えられてしまうんだ」

「だからこの央齢村だけを対象にしたというの?」

「人は自らの過ちを怪異のせいにしてきた歴史がある。口減らしを天狗に攫われた、神隠しにあったと呼ぶように。だから社会全体の生活水準が上がれば次第に偽物の怪異は減っていくんだ」

「ワシらの村をまるで生活水準が低いみたいに」

 林造爺さんががなり立てた。

「実際不便でしょう? 交通の便も最悪な山間の田舎という閉塞的で小さなコミュニティだからこそ、殺人桜なんて馬鹿げた存在を皆信じたんだ。古臭い家父長制の考えをこびりつかせるように一部の人間に司祭なんて役職を与えたのも『上の者の命令は絶対』だとした方が余計な考えを起こさずに済むから。価値観を一律化させ従わせるのが一番支配に向いていたんだ。東京の繁華街の大通りに幽霊が出ないのは明るくて人間が大量にいるからだよ。良くも悪くも多種多様な考えの奴がいれば誰かが『答え』に辿り着いてしまう。例えば呪いを解く……怪異そのものを倒すって根本的な解決で立ち向かってくるのを恐れたんだ」

 お重の二段目からツナマヨのおにぎりと手掴みし齧りついた。少しマヨネーズを入れ過ぎたかもしれない。そんな場違いな思考が一瞬脳裏を掠めた。

 立ち上がっていた林造爺さんが錫杖を落とし私をねめつける。私に向ける敵意に反して手は情けないくらい震えていた。無理もない。ある意味特権階級として君臨していた自分がただ呪いの蔓延のために利用されていただけと知ったのだから。同情するつもりもないけど。

「私達は呪いで桜火王様と強制的に繋げられている」

 サクラちゃんがポツリと漏らした。

「もしかして呪いを解く方法って」

 白粉をはたかれた頬が更に青白く染まっている。私はおにぎりを嚥下するとゆっくりと頷いた。

「そう、解く方法は二つあって一つはこの化け物殺人桜を倒すことだ。そしてもう一つは恐れないこと。単純に呪いを解くだけなら本当にそれだけでいい。化け物だが近づかなければ害はないと心から思い込むか、あるいは──」

 桜火王が遮るように炎花葉を降り注がせたが炎が宙で消え、ただの葉と化す。ゆっくりだが灰となっていった枝が増え、満月みたいな桜の円は子どもの落書きのようなギザギザの太陽の形となっていた。

「ただの桜の木だとして消費してしまえばいい。さっき桜火王にとって人間から恐れられることがアイデンティティと言ったよね? 逆に桜火王にとって怪異であることを人間から否定される、つまりただの桜の木として消費され続ければ消滅してしまうんだよ」

『やめろと言っている!』

 呪根元絞めが、毒桜吹雪がサクラちゃん達が来た時のように私に再び襲いかかる。根を伸ばした勢いで幹が揺れ、枝が数本折れて消えていった。

 薄桃色の隙間から哀れみすら感じる視線を桜火王に投げかけている二人を捉えた。桜火王は認めてしまったのだ。その行動で、自身の敗北への道筋を確かに示してしまった。

「花より団子という諺があるよね」

 ツナマヨおにぎりを食べ終わり、甘い味付けの卵焼きに手を伸ばす。オレンジジュースを飲んで月と散りかけた桜の木を見上げた。怪異そのものの発光と月の光でライトアップされた夜桜がそこにあった。

「怪異を退治するのに大切な心構えだよ。ただの桜の木として消費するのにもっとも残酷な手段! 桜を楽しむ振りをして飲食や会話、カラオケに運動と実益を優先させる人間の営み。つまり桜を桜として愛しながらもっとも無下に扱う儀式。それが──お花見だ」


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