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2-8 決意

 「一人、随分とぎらついた目で講義を受けているんだ。流石に気になるだろう」と先生は頭を掻いた。どうやら私が怒りを伴って講義室で懸命にペンを走らせていたのに気づいていたらしい。

 先生の講義はプレゼミだけではない。必修である民俗学の基礎講義を担当していたのは春柳先生で、たしかにできるだけ前に陣取って一言一句逃すまいと立ち合いのような心境で傾聴していたのは事実だった。

「……俺は民俗学で一番大切なのは相手の文化への敬意だと思っている」

 洗いざらい吐き出す私を目の前にして先生はマグカップへと手を伸ばした。寛いでくれと紙コップに入った珈琲を勧められるがどうにも決まりが悪いような緊張感が拭えなく、ソファで何度か居住まいを正す羽目になっている。教授室。私にとっては馴染みのない、先生達の研究室であった。

「世の中にはどうしても自分には理解しがたい文化が存在し、直面させられることがある。だが、その相手の文化を内心嫌っても否定しないことこそが最低限『学ばせてもらう』敬意だ。……で、お前の場合だが」

 先生は立ち上がると天井まで届いている本棚から二冊、本を取り出し目の前の机へと乗せる。分厚いハードカバーのそれからは古い紙の匂いがした。

「呪いの根源の……桜火王か。お前が迷っている『一つの道』は村でどんな仕打ちを受けていようと一つの文化の否定になる。学問的立場から言わせてもらえば言語道断だな。相手の文化に触れてその根源を破壊する、とは大袈裟ではなく唾棄すべき行為だ」

「まだ勉強を齧った程度の私でもそれはわかります。母の口から信仰って言葉が出た時、正直何よりもゾッとしました。私は誰かの信じている物を踏みにじってしまうのかと」

「それくらいの冷静さと思慮深さはある……か」

 試すような物言いに些かムッとする。紙コップの縁を持ち上げ前のめりになって珈琲を啜った。

「露骨に不機嫌になるな。ただ、お前の気持ちももっともだろう。あまり良くない考え方かもしれないが……実際、当事者で苦痛を浴びせられたら怒りの一つや二つ抱いて攻撃に転じたくなるに違いない。転じていいかは別問題として」

「怒りはたしかに今もあります」

「わかっている。そしてお前が何を迷っているのかも」

 腕を組んで顎を突き出し続きを促される。私の口から直接言わせようとしていた。

「私は元々桜火王の呪いなんか全く信じていませんでした」

「科学に支配された現代社会人として真っ当な思考だろうな」

「それじゃあ先生は何故私の言うことを信じてくれたんですか」

 先生は面食らったように今度は顎を引いた。

「その本、あるだろう」

 先程のハードカバーの本を指差す。

「蓮河三十郎という学者が書いた『XX県郷土異種族怪異譚』シリーズの一部だ。もっとも眉唾物の怪異や伝承を載せているだけ、というのが通説だが」

「うちの村のことでも載っている?」

「いや。ただ、似たような事例がある。詳しくは貸してやるから読んでみろ」

 立ち上がりデスクの奥から有名雑貨店の紙袋を取り出すと私に押しつけてきた。これに入れて持って帰れということか。

「俺も蓮河が記した内容はよくある昔話に過ぎないと感じている。だが伝承だと切り捨てられないのも事実だ。証拠が無いからな。それに『あった』として解釈した方が辻褄が合うような後続の研究結果も発表されているんだ。無論、科学で証明できる何かをその土地に住む者達の大半が『錯覚して』怪異とし、今も口伝していると判断されているが。……神隠しって聞いたことあるだろう。よくある昔話だ」

 はあ、と頷けば先生は自分の膝に肘を乗せ考え込むような姿勢を取った。

「あれは今では人さらいや間引き、あるいは事故等で突如姿を消した人間に対して様々な感情から『神』に隠されたと真実を隠すために偽ったとされるな。だが俺はこうも考えるんだ。『もしかしたら一件くらいは神かは別として超常的な力が働いたのではないか』と。当然、それを訴えれば俺の居場所はここではなくオカルト雑誌だが」

「それが私の話を信じた理由ですか? つまり、その」

「お前の講義に対する姿勢からもしかしたらの一件の可能性にかけたくなった。他の連中には内緒だぞ」

「言いませんって。馬鹿正直に訴えたってオカルトに傾倒しているヤバい奴扱いされるだけなので」

「賢明だ」

 ニヤリと口角を片方だけ上げられる。話がかなり逸れてしまっていたので私は咳払いをして軌道修正を計った。

「それで……。先生の言うとおり私も科学に支配された現代人です。桜火王なんて全く信じてなく、正直に言えば心の中で央齢村の人達を馬鹿にしていました。だから私は大学に進学したら伝承と、それから人の心や行動について学んで『科学』で以って桜火王に打ち勝とうと思いました。存在しない相手に対してです。だから直接戦うとか、村に戻ってそんな者はいないと証明したいとかとは違います。自分の味わってきた苦痛に対して区切りをつけるために何が自分の身に降りかかったのか、整理したかったんです」

「だが予定が狂った。実際にお前は体感してしまったんだな。桜火王の呪いを」

「はい。でもそれについてはもう解決しました」

「お前の言う呪いの解き方だが……これは准教授という立場ではなく俺個人の意見だ。俺としては『正解』だと思っている」

 「良かった」と自然に唇を震わせていた。自信はあったが他者に肯定されるとやはり安心できるのだ。

「解決した今、私には入学当初よりも多くの道が大きく分けて三つ開けました。一つは予定どおり央齢村とは今後一切接触せずに生きていく道、二つ目は私が到達した呪いの解き方を央齢村に伝える道、そして三つ目は……先程言ったとおりです」

 一端視線を先生から逸らし唾を飲み込んだ。相談したい本命であり、私の今後を決める指針となる。

 小さく息を吸って口を開く。一つ一つ、荒唐無稽に聞こえるかもしれない理論を先生に伝えていった。呪いがこの方法で解けるなら、桜火王の今までの性質を考えるなら、間違いなく。

「呪いを解くのを応用すれば……桜火王を倒せるというのが私の仮説です。村に乗り込んで『それ』を行ないさえすればあいつを滅ぼしてしまえる。先生の指摘どおり文化の否定を私一人の力でやってのけてしまえるんです。自分の心の納得だけでなく、本当に元凶である怪異を倒してしまえる可能性に気づいてしまったからこそ悩んでいます。私はあの殺人桜を倒しに挑むべきか否かを」

 耳鳴りがする程部屋が静まり返った。先生は鼻の頭を指で掻きながら唇を尖らせ唸っている。「うーん」と数回先生の口から困惑が零れていくのを私は固唾を飲んで見守るしかなかった。

「結論から言えばもう少し勉強してから決めろ、だ」

 珈琲を啜ってマグカップをローテーブルに叩きつける。僅かに残った珈琲が波打ち零れそうになっていた。

「火浦ぁ。お前にきっと着飾った言葉を並べ立てても突っ込んでいくだけだろう。だから今から話すのは学者ではなく、妖怪図鑑ばかり読んでいたガキがそのまま大人になっちまった奴の妄言だと聞き流せ」

「わかりました」

「……詳細は省くがおそらくお前の仮説は当たっている。お前が考えている手段で桜火王は理論上倒せるんだ」

 湧き上がる歓喜に頬を緩ませた。あの全ての元凶を叩きのめせるなんて──! 怒りや憎しみといった暗い感情が暴力として出力されようとしているのに、口角が上がるのを止められない。自分の中に潜む黒い感情に身震いしながら私は大きく頷いた。

「ただし、今のお前に倒せるとは思っていない」

「どうしてですか!」

「お前はライオンには銃が有効だとライフルと持たされて、いきなりライオンがいる檻に入って引き金を引けるのか」

 無意識に浮かせていた腰をそのままソファへと沈めた。舞い上がった剥き出しの感情に冷や水を浴びせられたようだった。

「お前の理論が正解を導き出しているのはあくまで桜火王を倒す手段だけだ。それだけじゃ足りないんだ」

「怪異を倒す経験を積めと?」

「そうは言っていない! どうしてより物騒な方向に持っていくんだ!」

 先生は頭を抱えると大袈裟に溜め息をついた。

「いいか。まずお前が仮に桜火王に戦いを挑んだとしてその間に人質のように村人を取られる可能性を考えたのか? いくら腹の立つ相手とはいえ、目の前で顔見知りが死んでいくのに耐えられるとは思えない。倒すだけで終わりじゃないことをしっかり自覚しろ。それに実戦経験を積む選択はそのまま自らの命を危険に晒すものなんだぞ。そもそも俺としてはお前が桜火王を倒しに行くのは反対だ。お前はもう呪いの外にいて助かっているんだ。プライドが許さないのかもしれないが、それは捨てろ。残りの虐げてきた村の者のためにお前が無理をする必要は全くないだろう」

「村の人なんかどうでもいいんです。一人だけ助けたい子がいる」

「……例の子か。なあ火浦。お前に呪いがかかった一番の原因は──」

「そうであっても、です」

 紙コップに注がれたすっかり冷え切ってしまった珈琲に視線を落とす。黒い水面が私の複雑な心境を表したような歪んだ顔付きを映している。

「色々考えたんですが、それでもサクラちゃんは友達なんです」

「……泣きべそかいても慰めないからな」

「どういう意味です?」

「友達付き合いについてもお前は少し考えた方がいい」

 じろりと睨むように先生を見上げれば肩を竦められた。結局のところ、私が桜火王を倒しに行くか否か迷っている一番の原因はサクラちゃんであった。村を居場所にしたのはあの子が選んだことだ。それでもやはり一人村に置いてきてしまったと感じてしまうのだ。

 私が助けられるなら助けたい。怒りと憎しみに満ちた心の中でそれだけが清らかだった。

「止めてもやはり行きそうだな」

 苦虫を嚙み潰したような顔でマグカップに先生が手を伸ばした。

「だったらやはり最初に言ったとおりだ。勉強をしろ」

 紙袋を空になったマグカップで指し示す。ハードカバーの角が少しだけ潰れていた。

「今のお前はただ怒りに支配されナイフを虚空に向かって振り回しているだけの存在だ。お前が立ち向かいたいと願う者が何か。お前が挑もうとしているものがどれ程危険なのか。挑むとしたら何を用意すべきなのか。倒すとして障害になる不測の事態をどれだけ予測し事前に対処できるか。お前が助けるのをその友が望んでいるのか。……他にも沢山あるぞ。とにかくお前は当初の予定どおりこの学び舎で『決着をつけて』から結論を出すといい。その結果、現状と結論が変わってもそれは恥じることじゃない。考えを知識で以って変えられる者こそ本当の意味で賢いと俺はそう思っている。だからまずはその本を読め。桜火王と央齢村の関係と似た事例が何件か載っている。体験と照らし合わせて自分の考えが浅はかだと認めてからが本当のスタートだ」

 ポカンと口を開けたまま私は先生を見つめてしまっていた。膝の上に置いた両手を握りしめる。ばつが悪くなり眉間に皺が寄った。

「浮かれて視野が狭まっていると言いたいんですね」

「自覚あるじゃないか」

 何もかもが図星で居た堪れない感情で胸が詰まる。ふと「せっかちだね」とサクラちゃんに苦笑した記憶が蘇った。

 ──そのとおりだよ。サクラちゃん。私、アンタとの関係をどうにかできそうで焦ってるんだ。あの高校での別れの先を見つけてしまったから。

「わかりました」

 それでも今は圧倒的に先生が正しい。深く自信を落ち着かせるように頷いた。

「協力できることはしてやる。教え子が死んだら寝覚めが悪い。それに」

 「妖怪図鑑ばかり読んでいたガキがそのまま大人になっちまった奴の妄言だ」と念を押してとんでもないことを言い放った。

「あらゆる倫理や常識を隅に追いやれば怪異を倒す瞬間を見てみたいのも事実だ。妖怪を倒すアニメを見て育ったからな」


 大学生活は何も学ぶだけでは終わらない。

 私がそれに気づいたのは先生との会話から一カ月も経たない頃だった。追い立てられるような忙しさに目を回しながらとにかく決着をつけるための勉強だけは続けようと必死だったのは覚えている。

 学ぶことは尽きなくて終わりはない。私は果たして桜火王をどうしたいのか。央齢村とどう付き合うのか。私の行動が何を引き起こしそれに対処できるのか、あるいは問題が無いのか。知識と共に広がっていく思考の海を私は揺蕩っている。どちらに舵を切るかを決めるために、何度も何度も考えてそうして一年半が経過した。

 サクラちゃんと連絡は取らなかった。自分の中で結論を出すまでは前回よりも悪い別れを繰り返すだけだと確信があったからだ。

 ある日のことだった。朝食の食パンを口に運んでいればテレビ画面に台風の光景が映る。央齢村の近くを通過していく予定のそれに私は胸騒ぎを覚えた。

 桜火王が何かを仕掛けてくるかもしれない。いや、仕掛けるに違いなかった。この手の怪異が人間を狙うチャンスなのだと一年半の勉強で学んだのだ。

 震える手でサクラちゃんに連絡を取り、半年後会う約束を何とか取りつけた。何かを隠しているサクラちゃんの態度に確信し、準備を始める。この日程ならまだ炎花の儀に間に合うはずだ。

 先生、ごめん。私やっぱり桜火王を倒しに行きます。あらゆる理論より常識より何よりも、罪を犯そうともサクラちゃんの命が大切だから。

 燃え上がった怒りの炎を胸に自動車にエンジンをかける。高速道路を抜けて高層ビルの代わりに緑が増えれば懐かしい、そして忌々しい土地に近づいていた。

 何が待っていようともう覚悟は決めていた。私は桜火王を倒す。

 アクセルを踏む足に力が一層込められた。


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