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2-3 限界

 こんな生活がずっと続いていた。私はサクラちゃんという素敵な友達がいたからまだマシな方だったのだろう。差別的な言い方をすれば大人より頭の柔らかい子ども達が世界の中心だった私は我儘を押し通してやっていけたのだろう。

 一方で父と母は年を重ねるごとに、いや、毎日神経をすり減らしていった。

 過疎地域を救いたい。そんな崇高な理想を持った父は医者ではなく何でも屋の幻想を着せられ使い潰された。プライベートなど無い閉塞的な空間で無理難題を突きつけられては働かされる毎日だった。一方で母も村の住民から小言を言われ続ける毎日を送っている。男が働き、女がその補助をする。そんな前時代の価値観に支配された央齢村にとって共働きとは許容できないものだったらしい。伴侶を働かせる男は甲斐性なしで、男を立てない女は役立たず。父という医療の恩恵を受けられる「装置」を逃さぬギリギリのラインを攻め続けて、煽てては無自覚の図々しさで痛めつける。そんな毎日だった。

 そして村の住民が私達家族に対して当たりが一番強い理由はやはり桜火王だった。その架空の残虐化け物桜を村で信じていないのは私達家族だけだ。私達は村の住民の思想の問題だと面と向かって否定はしていないが、その態度が気に障ったらしい。「私は信じていないが、あなたを否定しない」ではなく村民は私達にも信じろ、と。寧ろ空気が存在しているように当たり前に在るものだから信じる、信じないの問題ではない。桜火王は絶対的な恐怖の存在であり、共にこの村の住民として支配され恐れろとそう要求してきていた。やんわりと拒否をすれば炎花の儀で家畜を解体する役目を父と母に押しつけようとする。流石に腹に据えかねたのか儀式自体を断り診療所を閉めようとすれば途端泣き縋って家の前で土下座をし続ける……そんなことを数年繰り返した。

 父がどんなに手術を勧めても桜火王様から離れたくないと拒否をして症状を悪化させ、それが父のせいになるなんてことは日常茶飯事だった。

 私が転校してからの一年間で一番苦労したのも桜火王を信じていないスタンスからだ。近辺の町と合同で授業を受ける学校の中ならまだいい。しかし思い返せば都会から引っ越して村で「浮いていた」原因はやはり桜火王だった。子どもながらに否定はしないが桜火王を恐れない態度を取っていた私は皆からすれば、自分達が罰せられるかもしれない矯正すべき不安要素だったのだろう。

 母もまたそうだった。古臭い男尊女卑の価値観を持つ大人が村に多かったのは事実だが、一番村の住民が母を蔑んだ理由は桜火王を恐れなかったからだ。桜火王という恐怖に支配され生きる価値観に迎合するのが無理ならばとまず男尊女卑で以って母を潰しにかかっているのが当時の村の現状だった。

 どうみても異常だ。碌でもない生活に嫌気がさしているのは家族全員であり、何度も村を出るか否かの話し合いが発生していた。こんな村でこき使われるより、都会に戻って医師として働いた方がいい。なのに、父も母も本音として間違いなく抱えていたそれを断固として認めなかった。

「僕の夢なんだ」

 中学二年の初夏の話し合いを今でも思い出す。父が虚ろな瞳で微笑む。目の下の隈が痛々しかった。

「私もここでなら仕事ができるから……家族は一緒にいた方がいいと思うの」

「ああ。一緒なら乗り越えられる」

 背筋に冷たいものが走ったのを覚えている。元々、共に暮らすことを重要視していた夫婦だった。だが周囲の狂気とのずれが家族という閉塞的なコミュニティを頑なにして縋る矛先へとなっていた。

「父さん、私は引っ越した方がいいと思うよ。この村の桜火王とかいう化け物に対する態度は異常だよ。父さんの夢なら他の過疎地域でも叶うでしょう? 母さんも。WEBデザイナーのお仕事なら他の場所でも」

「あなたが転校することになるじゃない!」

 母が声を張り上げ思わず肩をびくつかせた。転校? それくらい、別に。

「ああそうだぞ。朱芽。そろそろお前も高校受験の勉強に本腰を入れる時だ。今から引っ越しの準備をして様々な手続きに追われれば勉強が疎かになってしまうだろう」

「大丈夫だって。それに受験先を引っ越し先に変えればやる気だって今より出るし」

「駄目だ」

 反論を許さない、と云わんばかりの声色だった。

「とにかく朱芽のためにもまだ僕達は央齢村で暮らしていくことにする。大変なこともあるが、家族で支え合えば乗り越えられるだろう」

 父の目から涙が零れ私はギョッとする。母が嗚咽を堪え俯いた。泣く程嫌なら引っ越せばいいのに、そう怒鳴りたかった私の闘志はすっかり消火され、胃が膨らんだような苦しさだけが残った。父も母も、もう現状を変えるだけの力が残っていないのだ。

 両親はこの村で生きていくために私を理由にしている。今なら誰かを理由にしなければ折れてしまっていたのだと理解できるが、こちらとしてはたまったものじゃない。「私がいるから引っ越しができずに仕方なくこの村で苦しんでいる」と遠回しに告げられているようだ。冷たい血液を全身に流し込まれたような感覚に襲われ私は自室へ戻る。嗚咽を押し殺しても濡れていく枕の感触がただ不快だった。

 それでも幸か不幸か限界というものが遂に我が家にも訪れた。何か決定的な出来事があたのではない。ただ蓄積されていた怒りや悲しみに遂に耐えられなくなったのだろう。高校二年の二学期が始まる前、私達は久し振りにダイニングテーブルを囲み家族会議を開いた。

「今は女性も活躍する時代だ。母さんのように。この村とは違う」

 白髪と皺と贅肉が増えた父が機械のアナウンスのように私に告げる。常に仕事から逃れられないため飲酒を控えていた父は代わりに過食気味となっていた。医者の不養生という言葉が相応しい健康診断結果が出た、と昨年の秋に嘆いていた。

「都内なら選択肢が沢山あるでしょう。大学、受けてみたら? 勿論突然一人暮らしをしろ、なんて言わない。新しい生活も一緒なら大丈夫だからあなたについて行くわ」

 反して痩せこけた母が薄くなった頬を緩ませる。最近食べ物が喉を通りにくくなり、仕事の依頼を受ける頻度も減っていた。

 二人に薄っぺらい笑みを向けられ膝の上に置いた手を握りしめる。要は私を出しに村から逃げると、失敗は許さないと暗に脅しをかけられたのだ。

「そうだね。私もせっかく大学に行くんだったら選択肢が多い方がいいな」

「ああ。……そうだ、最近では一般的なテストを受ける入試だけじゃなくそれよりも早い推薦入試というものもあるじゃないか。朱芽、何か進路は決まってないか」

「そうよ。何学部でもいいわ。あなたが望む未来を選んで」

 既に中学時代から少しずつ私の心は両親から離れていた。けれど、共に被害者だ。この村の悪しき風習に傷つけられた被害者団体の方がしっくりきてしまう関係性は果たして家族なのか。考えれば考える程に米神のあたりが痛み、悔しさで吐き気を催す。それでもこの村を出る選択には大賛成だった。

「うん。頑張るよ」

 虚ろな顔付きをした両親の目に光が灯る。片腕ずつ掴まれて「ありがとう」と縋られてしまった。両親の体温が腕から伝わっているはずなのに骨が氷になったみたいに身体が冷え切っていた。

 ──あやめちゃん。

 ふと友人の声が脳裏を掠める。一日でも早くこの村を出るのには賛成だが、あの子には会えなくなるのか。インターネットが普及した時代、いつでも連絡は取れるがそれでも。小学校三年の時から半身のように側にいた存在と別れるのは胸が痛んだ。

 これからの目標と友との別れ、そして両親の変わり果てた姿に眩暈を起こしそうになりながらも私はただダイニングの天井を見上げていた。


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