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「それで、なに買うの?アルミラ」
「お姉ちゃん、買い物のメモすら持たないで出ていったもんね…」
「あはー」
アルミラくんは持ってきていた買い物袋からローズさんから預かった買い物メモをゴソゴソと取り出そうとしている。私たちは、あまり遅くなるとローズさんたちが心配するだろうということで、まずは二人のお使いを済ませるべくみんなで村の中心にある市場へ来ていた。市場の真ん中にある噴水からは雨上がりの香りが風に運ばれ、私の鼻腔をくすぐった。
「村で一番賑やかな場所と聞いていたけれど、閑散としているわね」
「田舎だもん、こんなもんだよガーネットちゃん」
目の前の市場は、噴水を囲うようにいくつかのお店が疎らに開かれているだけで、人で賑わっているということもない。ガーネットの言う通り、とても賑かとは言い難かった。
「えっと、頼まれたものは…相変わらず乱暴な字だなぁ、ローズさんは」
「ホントだ、これとかなんて書いてあるか分かんないじゃん」
二人が苦笑しながら買い物メモを見ている。私は二人の後ろから何かの切れ端に書かれたであろう買い物メモを覗き込むと、そこには巨大なミミズがのたうち回ったであろう痕跡が残されていた。しばらく二人が買い物メモらしきものと睨めっこしていると、「よし、ちょっと行ってくるね」とステラちゃんがアルミラくんの手を取り肉屋へと土煙を巻き上げていった。。
「……」
二人が買い物をしている間、次はどこを案内しようかと考えながらガーネットを見やる。ガーネットはその薔薇色の瞳で肉屋の店主と楽しそうに会話している二人の背中を見つめていた。
それからいくつかの店を巡り戻ってきた二人は、仲良さそうに買い物袋の持ち手を片方ずつ持っていた。
「ただいまー」
「おかえり、二人とも」
二人に挟まれている膨らんだ買い物袋を覗き込むと、中身は真っ赤に染まった苺がたくさんと木箱に入れられた肉や卵のようだった。
「お使いはこれで終わり?」
「うん!じゃあ私たち、ローズさんたちが心配するかもだから先に帰るね」
「そっか。それじゃ二人とも、気をつけてね」
「はい、ありがとうございます」
二人との別れ際、私はしゃがみ込み二人に目線を合わせると、夕日に照らされ橙色に染まった二つの頭を撫でる。すると私の傍らにいたガーネットが二人に歩み寄る。何かと思っていると、その薄い唇から「ねぇ」と言葉が漏れた。そんなガーネットを不思議そうに二人が見上げる。
「――二人はどうして、自分の母親のことを名前で呼ぶの?」
どきり、とした。ガーネットから零れた言葉を二人が浴びた瞬間、その表情が強張ったのが分かった。ガーネットを見やる。だけどその顔にはいつもの何を考えているのか分からない無表情が張り付いているだけだった。
「…どうしてって言われても、特に意味はない、よ」
ステラちゃんがぎこちない笑顔を浮かべる。アルミラくんはその後ろでロケットペンダントを握りしめ、目を伏せていた。
「…そうなの?一般的に、子は自分の親のことは『お父さん』『お母さん』と呼ぶものだと思っていたけれど――」
「ちょ、ちょっとガーネット!」
私はなおも抑揚のない声で続けようとするガーネットを慌てて遮った。
「そ、それじゃあ私たちはそろそろ行くね」
ステラちゃんは早口にそう言うとアルミラくんの手を引っ張って来た道を走り去っていった。
「どうして割り込んできたの?」
「どうしてはこっちの台詞だよ、どうしてあんなこと聞いたのさ」
今までもガーネットは人の気持ちや想いに鈍感な節があった。そういう人もいるだろうしそのことについて特別深く考えたことはなかった。でも今のステラちゃんとガーネットのやり取りの中には、ガーネットの鈍感さはただ人と接するのが苦手な人とだけでは納得できない不自然さがあった。
「…私の中にある想いと違っていたから聞いてみただけよ」
ガーネットの答えは揺れる水面に映り込む雲のようで、掴み所がなく形が見えてこない。思い返してみてもガーネットが話してくれることの大半は私にとって理解できないものだった。だからこそ、私は全て一つに繋がっているんじゃないかと直感した。
「ねぇ、ガーネット。前にバラバラになった自分を探しているって言っていたよね」
「急に話が変わるのね。…言ったけどそれがどうかしたの?」
「えっとね、そのバラバラになった状態でいると、今のあなたにどんな影響があるのかと思って」
「どうなのかしらね」
その短い答えに私は肩を落とす。もしかしたらガーネットの鈍感さはそこに起因しているのではないかと思ったのだ。心の裡で小さく溜息を吐く。そんな私にガーネットは「けれど」と言葉の続きを紡ぎ始める。
「何となく、想像はできる。…おそらく、私の中に存在していたものが希薄になっているのかもしれないわ」
「ガーネットの中にあるものって、記憶とか感情ってこと?」
「そうかもしれない。元々一つの存在として確立していたもの。分かたれたことによって私の裡もバラバラになっているはずよ」
ガーネットの話を全部信じているわけではなかったけど、ガーネットの無機質さを感じさせる表情と抑揚のない涼やかな声で紡がれると不思議と何の隔たりもなく私の中へ沁み入ってくる。つまり今のガーネットは記憶だけでなく、感情もほとんど失っているらしい。私は水で薄められた絵具を垂らしたキャンバスを想像した。そこに残ったものは、もはや色彩と呼ぶには程遠いただの水が広がっただけの染みだった。ガーネットは極度な鈍感さの持ち主などではなく、他者の気持ちを理解するための自分の感情が失われていたのだ。
私はそう理解した瞬間言葉を失った。ガーネットの話によると、元々は私たちと同じように喜んだり怒ったりしていたはずなのだ。ガーネットは目覚めたとき、麻痺したように揺れ動かない自身の心をどう思ったのだろうか。ショックを受けたのか、それともそれすら感じなかったのか。私には想像することもできない。そしてそんな状態になっても強く残っていたという使命とは一体どんな意味があるのだろう。
様々な考えが濁流のように私の頭を埋め尽くす。だけど私は強引に思考を打ち切り、黙り込んでいた私を見つめる目の前の少女へと唇を開く。
「ねぇ、記憶や感情って戻るの?」
「おそらく、散った私を見つけて復元すれば戻っていくでしょうね」
「じゃあそれまではずっと今のままってこと?」
「そうでしょうね。…それか失った記憶、感情を思い出させる程の強い何かがあれば別でしょうけど」
ガーネットの言葉に、一筋の光を見た気がした。だけどその光は一瞬で、残像ばかりが視界を占領し浮かんでくる景色を覆い隠す。
「…ベルはどうしてそこまで関係のない他人のことで悩めるの?」
眉根を寄せていた私にガーネットが涼やかな声を投げかける。目覚めたばかりのときにも似たようなことを聞かれたなと思い出す。あのときは困ってそうな人がいるから助けたい、という至極単純な理由だった。けど今改めて聞かれ、私はそれ以上にガーネットを助けたいと、新たな気持ちが生まれていることに気付く。どうしてだろう、とガーネットの考えの読めない薔薇色の瞳を覗くと、そこには幼いころの膝を抱えた私が映っていた。あぁなんだ、そういうことか。
「そうだなぁ、関係ないけど関係あるから、かな」
「…どういうことなの?」
私はガーネットの問いには答えず、クォーツとは反対の道を踏みしめる。その先にある丘の上では、太陽が未練がましく赤い手を紺色のカーテンに伸ばしていた。