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「それで、どうかな…?」
旅に誘ってから少女は無言だった。こちらを見る少女の顔は目覚めた時とまるで変わらず、何を考えているのか分からなかった。
「それにあなた、旅に必要な道具とか持ってないでしょ?私、今まで旅してたから少しは旅慣れてるし、役に立てると思うんだけど」
少女はしばらく考え込むように目を伏せていたが、やがて考えが纏まったのか、その薔薇色の瞳をこちらに覗かせた。
「…一つだけ聞かせて。どうして一緒に旅をしようと思ったの?あなたには何の得もないのに」
「得って…こういうのは損得で考えることじゃないと思うの。目の前で困ってる人がいたから助けになりたいと思った、ただそれだけ」
「…ふぅん」
少女は納得していないのか、曖昧な返事だった。
「…て、言っても、実は私にもいいことはあるんだけどね」
「そうなの?」
「うん。私、今まで一人で旅をしてたんだけど、やっぱり話し相手がいないと退屈で。誰かと一緒に旅をしたいってずっと思ってたんだ。だから一緒に旅してくれるってことが私にとってのいいこと、かな」
「…それだけなの?」
「それだけだよ」
これも紛れもない私の本心だ。少女は不可解なものを見たかのように目を細めたが、やがて区切りをつけるように一度目を閉じ改めてこちらを見据える。
「…さっきの返事だけれど。――いいわ。一緒に行きましょう」
「ほんと!?よかったぁ!これからよろしくね!」
私は嬉しさを抑えられず布団から出ていた少女の右手を両手で包み込む。
「そういえば自己紹介がまだだったよね。私の名前はベル・ディモルって言うの。みんなはよくベルって呼んでるからあなたもそう呼んでくれると嬉しいな」
「そう、分かったわ、…ベル」
少女がその涼やかな声で私の名前をなぞる。たったそれだけのことだけど、私は少女の心に一歩近づけたような気がしてなんだか嬉しくなってくる。
「うん!あ、それであなたの名前はどうしようか。なんて呼んだらいいかな」
「…別に何でもいいわ。ベルが好きに決めて」
「何でもいい、って……うーん」
そんな夕飯の献立を聞かれた時のような軽い返事で丸投げしてくるとは思わなかった。私が頭を悩ませていると、こちらを覗き込んでくる薔薇色の瞳と目が合う。その瞳を見た瞬間、まるで水底から浮かんでくる泡のように、私の思考の海に一つの名前が浮かんできた。
「…ガーネット、なんてどう、かな」
少女の神秘的な雰囲気と、透き通る宝石のような輝きの瞳を持つ少女に、我ながらピッタリな名前だと思った。
「ガーネット…分かったわ」
少女――ガーネットは確かめるように呟くと、そう呼ぶのを承諾してくれた。
「それじゃあ改めてよろしくね、ガーネット!」
「ええ、よろしく。ベル」
これから始まる私たちの旅の行く末が希望に満ちていることを願って、私は包み込んでいたガーネットの手を優しく握りしめたのだった。
Ⅱ
私の右手を塞いでいるお皿の上には、ガーリックの芳ばしい香りが食欲をそそるパリッと焼かれた鶏肉のソテーと、それを彩る新鮮な野菜達がドレッシングを纏って添えられている。左手を塞いでいるお皿にはふわふわに焼きあがったロールパンと、爽やかな香りを放つオレンジのジャムが小さいガラスの器に入れられロールパンのお供に載せられていた。
それらの料理を落とさないよう気を付けながら注文票に書かれている番号を確認し、その番号が割り当てられたテーブルへと届けに行く。そんな私の後ろをウェイトレス服姿のガーネットが、たっぷり野菜の入ったコンソメスープを零さないようにゆっくりとついてくる。
「それ運び終わったら次これお願いねー!」
厨房からローズさんのハキハキとした声が飛んでくる。
宿屋と定食屋を兼ねている『クォーツ』の店内は、ちょうどお昼の書き入れ時で目が回るような忙しさだった。
「…ねぇ、なんで私、こんなことをしているのかしら」
スープを運び終わったガーネットが、相変わらずの無表情で問うてくる。私はローズさんに「はーい!」と店内に声を響かせ、裏方へ料理を取りに戻る道すがら、ガーネットと話す。
「ローズさん達にはお世話になってるんだし、お手伝いぐらいしていかないとね」
私は次に運ぶ料理を手に載せながらこうなった経緯を思い返していた。
共に旅をすることになったすぐ後のこと。
ガーネットはすぐにでも旅立つつもりでいたらしい。身一つだったガーネットは私から着替えを受けとり着替えると、いつここを発つのか聞いてきた。だけど私はしばらくここを発つつもりはなかった。
「うーん、まだもう少しこの村にはいるつもりなんだよね」
「…それはなぜ?」
若干不満そうな声音で聞いてくる。…というのはガーネットがここを早く発ちたいのだと知っているにも関わらず、まだここに残ろうとしていることに対する罪悪感が私にそう思わせただけかもしれない。
「えっとね、私この村にはもう結構前からいるんだけど、その間ずっとローズさん達のお世話になってたの。だからここを出る前に恩返しがしたいなぁって思って。…だめかな?」
本当はもう一つ切実な理由があるけど、なんだかとてもバカっぽく、小っ恥ずかしくて言い出せなかった。
ガーネットはなにやら納得がいっていないのか、考え込むように目を閉じる。私がどぎまぎしながら返事を待っていると、やがて結論が出たのかガーネットの目蓋が持ち上がる。
「別に駄目ではないけれど。どうしてそんなことをするのか不思議に思っただけよ」
ガーネットはあまり他者に関心がないのか、機械的に物事を考えることが多いようだった。どうして恩返しをするのか、なんて今まで考えたこともなかった。改めて考えてみる。けれど、やっぱりこれだ、と言えるような答えは出てこなかった。私は「これもさっきと似たようなことだけど」と前置きし、強いて言うならこれだという理由を話す。
「ただ私がそうしたいから、かな」
「…訳が分からないわ」
「そうかな」
「そうよ」
結局私の答えを聞いてもガーネットは納得がいかなかったらしい。それは当然だろう私だってよく分かってないのだから。でもそういうものだと私は思っている。
ガーネットは病み上がりの身体での会話で疲れたのか、「少し眠るわ」とそのままベッドで眠りについた。その後、店を閉め、私たちの様子を見に来たローズさんにガーネットが一度目覚めたこと、そして記憶がないことを伝え、人心地ついた私はいつの間にか忍び寄っていた眠気に連れ去られていた。
次の日、つまり今日。朝起きた私たちはローズさんに付き添われながら再び医者にガーネットのことを診てもらった。身体は至って健康で、記憶については時間が解決してくれるだろうとのことだった。
ガーネットと共に宿に戻り、私がいつものブラウンを基調としたウェイトレスの制服に着替えると、トントンとノックをする音が響き、直後勢いよく扉が開かれた。
「ガーネット、調子はどうだい?」
扉から現れたのはやっぱりローズさんだった。
「問題ないわ」
「そりゃよかった。――それじゃあほれっ」
そう言うなり、手に持っていた見覚えのあるブラウンの布の塊をベッドに腰掛けていたガーネットへ放り投げる。頭から被ったガーネットが布の塊を広げると、それは今私が着ている制服へと姿を変えた。
「…これは何かしら」
「何って、あんたの分の制服に決まってるじゃないか」
「どうしてこれを私に?」
「当然、今日から働くからだよ」
「待って。どうして私がここで働くことになっているのかしら」
「あんた、しばらくここに泊まるんだろ?ベルから聞いてるよ、持ち合わせがないってこともね。あんたを泊めさせることは構わないけど、自分の食い扶持ぐらい自分で稼ぎな」
捲し立てるように言い切ると、くるっと赤茶色の短く切り揃えられた髪を靡かせながら背を向け、店で待ってるからね、とさっさと部屋を出て行ってしまった。
「…着替えよっか」
嵐が過ぎ去った後のような静けさの中、固まっているガーネットに私が声を掛けると、機械人形のような動きでガーネットは着替え始めたのだった。
私たちが店内を駆けずり回っていると、騒がしかった店内が徐々に静寂を取り戻し始めた。
「二人ともお疲れさん!お昼食べちゃって」
厨房からローズさんの労いの声が飛んでくる。私は布巾を持ってテーブルを巡っていたガーネットを呼び止め、一緒になって裏方へ通じる萌葱色のカーテンを潜る。すると、三角巾姿のローズさんと、その旦那さんで、同じく三角巾姿で食材の仕込みをしていたマルコさんが振り向く。
「あ、お疲れ様。今日は何にする?」
マルコさんが人の良さを感じさせる柔和な笑みを浮かべ、聞いてくる。
「お疲れ様です、マルコさん!…いつものお願いします!」
「ベルちゃんはいつものね。…ガーネットちゃん、だったね。お昼、どうする?」
「うちのメニューから好きなの選んでいいよ!」
ローズさんが洗い物をしながら促す。ガーネットは私が客席から持ってきたメニュー表を眺めるが、料理名を見てもイメージできていないのか固まったままだった。どこの飲食店にもある一般的なメニューが大半で、聞いたことのない料理名だらけ、なんてことはないはずだけど。もしかしたらそういった常識に近いところの記憶も失くしてしまっているのだろうか。私がガーネットへ助け舟を出すか逡巡していると、「ベルと同じものを」とガーネットが二人に頼んだ。
「ベルちゃんと同じだと、『シーズンカレー』だね」
ガーネットのリクエストを聞き終えると二人は早速調理に取り掛かる。程なくして私たちの目の前に二つのカレーが並べられた。今の旬の野菜をふんだんに使ったカレーが、早く私を食べてと湯気を上げている。
「お先にいただきます!」
「…いただきます」
「はいよ!」「ゆっくり食べてね」とローズさん達の声を受け、私たちはカレーを手にカーテンを潜る。私はいつもお昼を食べるときに座っている窓際の隅の席にガーネット共に腰掛ける。「いただきます!」と私が改めて手を合わせると、そんな様子を見ていたガーネットが遅れて「…いただきます」とぎこちなく手を合わせた。
「私とおんなじのでよかったの?」
「えぇ。メニューを見てもよく分からなかったし」
それっきり、私たちは黙々と『シーズンカレー』つまりは野菜カレーを頬張った。すると水を飲んで小休止していたガーネットが「ねぇ、」と唐突に話しかけてきた。
「どうしてベルは旅をしているの?」
「あれ、話してなかったっけ」
私は持っていたスプーンを置いた。
「私、絵本作家になるために旅をしてるんだ。各地を巡って、絵本の題材になりそうな民話とか伝承を探してね」
と言っても未だに私のネタ帳は買い物メモ代わりにしか使われてないけど。
「それに街に住んでると見られないような風景と巡り合えるしね」
「……絵本、ね」
「あ、もしかして絵本、読んだことない?それなら今度私の一番大好きな絵本、読んでみてよ!」
この旅に出るとき、私は一冊の絵本をトランクケースにしまった。その絵本は私にとって特別で、とても大きな意味を持つ思い出の絵本だった。
ガーネットは「今度ね」と短く言うと、スプーンを手に取り、冷めてしまったカレーを口に運ぶのだった。