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「ローズさーん!」
お世話になっている宿屋の店主の名前を店先で呼び、背負っている少女を落とさないよう気を付けながらローズさんを待つ。
その間、私は少女の体温を背中で感じながら、あの巨木の中での出来事を思い返した。
「あ、あなた大丈夫!?」
倒れていた少女に駆け寄り声を掛ける。
暗くて分からなかったが、少女は服も着ていない状態で気を失っているようで声を掛けても目を覚まさない。身体を見ても、外傷は見当たらなかった。
息はしているようだけど…とにかくこんな場所にずっといさせるわけにはいかないよね。
私は自分の上着を少女に掛け、なるべく揺らさないように背負う。
「絶対、助けるからね…!」
そう眠れる少女に声を掛けると、滞在中の村『カルセイト』に向けて歩き出した。
「あんた、その子どうしたんだい!?」
いつの間にか外に出てきていたローズさんが驚いた顔で尋ねてくる。
ローズさんに森の中で倒れていた少女を見つけたことをかいつまんで話す。
「よく分かんないけど大変な状況だってことは分かったわ。あたしはとりあえず医者を呼んでくるから、あんたはその子をベッドまで運んでやりな。」
「あ、ありがとうございます!ローズさん!」
そう言うとローズさんは「しっかり見といてやるんだよ?」と私の肩を軽く叩き、医者のいる方面へ足早に去っていった。
心の中でもう一度お礼を言うと、私がいつも寝泊まりしている部屋まで少女を運ぶ。
部屋の明かりを点け、窓際に置かれているベッドへと向かうと、その上に少女をゆっくりと寝かせる。
ベッドの傍に丸椅子を持ってきて腰掛け、しばらく待っていると医者を連れてきたローズさんが部屋へと入ってきた。
ここに来る途中に事情を話していたのか、すぐに医者が少女の容態を確認する。
が、特に異常はないようで「一晩経っても目を覚まさない場合はまた呼んでください」と私達に告げると部屋を出ていった。
「ひとまず寝かせておいてやるしかないみたいだねぇ…」
「そうみたいですね…」
「あんたも今日は疲れただろう?この子はあたしが見ておくから、あんたもちゃんと休みな。隣の部屋を使っていいから。」
ローズさんがそう促してくるが、この村に来てからずっと迷惑を掛けてしまっている。その上見知らぬ少女を突然連れてきて、ローズさんを巻き込んでしまっているんだ。これ以上甘えられない。
「…いえ、私は大丈夫なので、この子のことは私が。それにローズさんはまだお店がありますよね?」
私は椅子から立ち上がり、ローズさんと正面から向き合う。
ローズさんは何か言いたげだったが、私の顔を見ると、「わかった」と溜め息混じりに言う。
「それじゃあこの子のことは任せるけど、無理するんじゃないよ」
「はい!…ありがとうございます」
「何かあったらすぐに呼ぶんだよ」
ローズさんはそう言い残し部屋を出て行った。
部屋の扉がしまり、少女の小さな呼吸音だけが部屋に広がる。
私は再び椅子に腰掛けると、少女の顔を見る。
「(それにしてもこの子はどうしてあんなところで倒れていたんだろう…)」
少し考えを巡らせるが、名前すら知らない少女のことで新たに分かることなどなかった。
それにあの巨大な結晶や助けを求める謎の声の事も気に掛かる。
こちらも私には何だったのかさっぱりだったが、あの場に居た――というより突然現れた目の前の少女なら何か知っているかもしれない。
結局のところ、この少女が目を覚まさない限り何も分からないままだ。
「…あなたは一体誰なの…?」
視線を床に落とすと、ぽつりと誰かに聞かせるわけでもなく自然と言葉が落ちる。
「――…ぅん…」
すると先程まで規則的な呼吸音しかしていなかった部屋の中に、閉じた喉の隙間から漏れ出たような声が混じる。
慌てて少女の顔を覗き込むと、目蓋がゆっくりと開いていく。
まだ意識がはっきりとしていないのかぼんやりとした様子で、中途半端に開かれた目蓋の下で、薔薇色の瞳が左、右と緩慢に動く。
瞳がこちらを向くと覗き込んでいた私と目が合った。
「(綺麗な子だなぁ…)」
整った顔立ち、肩の辺りまで伸びた上質なシルクのような淡いピンクの髪、何者にも干渉を許さない神聖さを感じさせる薔薇色の澄んだ瞳。
その美しさ故か、はたまた彼女自身の持つ神秘的な雰囲気に吞まれたのか、いつの間にか私は目の前の少女をぼうっと見つめてしまっていた。
「……?」
未だ意識がはっきりとしない様子の少女が不思議そうな様子で喉を鳴らす。
「――っあ、えっとぉ…」
ハッと吞まれていた意識が一瞬で戻ってきた。
…戻ってきたはいいものの、こういう時ってまずなんて声を掛ければいいの?とりあえず自己紹介?それとも先に身体の具合について聞いた方がいいのかな…?
さっきまで別のところに意識が出掛けていたせいか、不意を突かれたかのように考えが纏まらず言葉が喉につかえて出てこない。
「…ここはどこ?」
私が一人であたふたしていると、少女の方から疑問が投げかけられてきた。少女の落ち着きのある声を聞いて幾分か落ち着きを取り戻した私はその疑問に答える。
「ここはカルセイト村にある宿屋だよ。森の中で倒れていたあなたを見つけて、ここまで運んできたの」
「そう」
少女のあまりに関心のなさそうな返事に、少し困惑しながらも今度は私から質問してみることにした。
「それで、あなたの名前はなんていうの?」
「名前……分からないわ」
目の前の少女は少し考える素振りを見せながらそう答えた。
「分からないって、覚えてないってこと?」
「そう、なのかも」
「倒れる直前のことはどう?覚えてない?」
「それも覚えてないみたいね」
まるで他人事のように語る少女の涼やかな声を聞いて、私は本当に体温が下がったような気持ちになる。これって記憶喪失ってやつなんじゃ…?
「…あなたが今覚えてることってある?どんな些細な事でもいいんだけど」
私は不安に苛まれつつも、諦めずに少女について何か新しい情報を得られないか聞き出そうとする。せめて出身ぐらいは分からないと助けようがない。考え込んでいる様子の少女を固唾を呑んで見守っていると、少女の口が開かれた。
「一つだけ、覚えていることがあるわ」
「それって?」
少女について何か分かれば今後どうするか方針を立てられるかもしれない。期待に満ちた眼差しで少女を見つめる。
「私の目的。使命って言ってもいいかもしれないわね」
「し、使命?」
「ええ」
「もしよければ聞かせてもらってもいい?」
「構わないわ」
名前も覚えていないという少女が唯一覚えているという使命。少女にとって非常に大切な事なのだろう。もしかしたらそこから少女に繋がる何かが分かるかもしれない。私は少女の言葉の続きを待った。
「私の使命、それは――世界中に散っていった私を探し出し、復元することよ」