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聖女とよばないで(仮題)  作者: ありんこ
第一章 セトという少女
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日常、三

 ぐわり、とまるで空気が膨張したかのように光が円状に広がった。瞬間的に二度瞬いて、まるで光の矢のように。

 セトは見た。左腕が光を放った--正確にはかつてシルウァウルフに噛みつかれた際の傷跡からその光は溢れた。

 たったの五日前までは、生まれの証で隠れていた傷跡から、まるでセトを守るように光は広がり、やがて終息した。

「な、なに……今の」

 想定外の現象に、セトはたまらずその場にへたり込んでしまった。

 夜の狩りはまだ三回目であるが、今目の前で起こった光景は初めて目にするものだった。

「セト!」

 状況判断が出来ないでいると、いつの間にやらアステロが側近くまで来ていた。彼が木から飛び降りた音も、走る音も、完全に意識の埒外だったとその時になってセトはハッとした。何が起こるか分からない夜の森では一瞬だろうと呆然としている暇はないというのに。

 しかしだからと言って混乱から覚めた訳ではなかった。セトはアステロを見上げるものの、未だにへたり込んだままだ。腰を抜かしたと判断したアステロがセトの腕を掴んでぐいと引っ張る。たたらを踏んで、それでもしっかりと自分の足で立てると見て、アステロはセトの腕から手を離した。

「大丈夫か?」

「大丈夫……だと思う。えと、何が起こったの?」

 外傷がないのは目視で確認出来るだろうが、それでもアステロはセトの無事を確認した。セト自身、怪我はないのでもちろん大丈夫と答えたが、むしろ頭が追いつかず、そっちの方が大丈夫じゃない。そのせいで、随分曖昧な物言いになってしまった。

「何がもなにも……光ったな」

「……うん。光った」

 見たままの光景を口にされ、セトは頷く事しか出来ない。そう言いながら、まじまじと自分の左腕を見る。より正確に言うならば左腕手首にでかでかと残る傷跡を。

 一歳の時にこさえた傷は、丁度手首から肘関節の距離の半ばくらいまである。手首から牙が三本分穴が開いたのだと誰が見ても分かるような生々しいものだ。成長と共に縦に引き伸ばされたようで歪に引きつっている。縫い跡などはなく少し凹んでおり、初めて見た者なら十人中十人がぎょっと目を剥くような痛々しい傷跡だ。

 その傷跡が光った。そのようにセトには見えた。

 それが何を意味するのかを、セトは考えなければならない。

「しっかし、どうするかな。コレ」

 物思いに沈みそうになるセトの耳に、アステロの困り果てた声が届いた。

「へ?」

「シルウァウルフ、蒸発しちまったぞ」

「……へ?」

 言われて、セトはきょろりと辺りを見渡した。視界に入るシルウァウルフの死骸は二匹分。一匹足りない。

 残された死骸には、それぞれ矢と槍で串刺しにされている。つまり、セトが最初に昏倒させて、先程襲いかかってきたシルウァウルフが影も形もなくなっていた。

「え……えぇ、なんでぇ?」

 蒸発ってそんな、とセトはあわあわと呟く。

「えー、嘘……。毛皮……」

 最初に仕留めた二匹は毛皮の採集を考えていなかったため、絶賛血まみれである。まだ乾いていないから今すぐ洗えば場所によっては毛皮として加工出来るだろうが、精々が端切れ程度のもの。売価はどうしたって安くなる。--という、現実逃避をセトはしていた。

 問題はそこではない。

「……なんか、お前を守るみたいに光ったな」

 一部始終を見ていたアステロがぼそりと呟く。

「まあ、それもこれも使者が来たら分かるだろ」

 気を落とすなと言うように、アステロはセトの肩をぽんと叩く。


 成人の儀式で空に奔った光は、聖女召喚の光と同じ。少なくとも誰の目にもそう見えた事から、村長はその日の内にイーシャン領の領主に宛てて書簡を出した。それが領主の元で留まるのか、はたまた王都まで行くのかによって多少の差が出るが、それでも使者が派遣されると村長は見ている。その使者が来るまで果たしてあと幾日あるか。

(使者が来る)

 じわじわと、まるで真綿で首を絞められているようだとセトは思った。

(日常を壊す、使者が来る)

 逃げ道は遠の昔に塞がれている。それこそ十五年前から。

 それでも、セトはあと幾許も残されていない日常という名の普通を、大切にしたいのだ。使者を歓迎している、という意味ではないけれど。

 はふ、と肺を空っぽにするように重たいため息がこぼれた。

「毛皮……」

 とはいえ、目下気にしなければいけない事は狩りが失敗に終わってしまった。この一点に尽きた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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