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聖女とよばないで(仮題)  作者: ありんこ
第一章 セトという少女
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成人の儀式、三

 


 見上げれば果てのない青。眼下には生い茂る緑。ついに辿り着いたそこは、セトに世界の広さを教えているようだった。


「やっと着いた」

 ふう、と達成感にため息がもれる。登り始めて十五分程でセトとアステロは御神木の頂上に到着した。上から見ると御神木がいかに大きな木か分かる。周りを満たす木々は御神木の半分も高さがない。それが全方向に広がっており、御神木からの眺望を邪魔するものは一つもなかった。

 アステロが、セトの立つ枝より一段低い場所から指で彼方を示す。

「セト、見えるか?」

 西を指し示しながら、アステロは説明するように言葉を紡いだ。

「御神木から西……ほんの少し、南西寄りだな。そこに村がある」

 目を凝らせば木々の合間に葉の緑とは違う色がちらほらと見える。恐らくは民家の布だろう。よくよく見れば細い煙も立ち昇っているから、どこかの家で火を使っているのかもしれない。

「さらに西に行くと丘陵地帯に出る」

 言われてセトは視線をさらに遠くへ転じた。森の切れ目があり、その先には一定間隔毎に標高を低くしていく丘が見える。遠目では爪で引っ掻いたように見えるのが、恐らくは街道だろう。この丘陵地帯を「(きざはし)の丘」と呼ぶ。

「階の丘を抜けて南に進むと、一番近い平地の村がある」

 タンニ村の住人は、自らが住まう村を森の村、と言い表す事がある。それに対して森の外にある村や町は平地の、とつけるのだ。

「ここからじゃ、さすがに平地の村は見えないね」

 いくら見通しがよくとも、高低差の激しい丘陵地帯の向こうにあるという村は見えない。セトの眇めた目を見てアステロが笑った。

「そりゃな、平地の村まで歩いて一日の距離がある。日が昇る前に村を出て、夜中に着くっていう按配だな。もちろん、行商でそんな強行軍はしないから、階の丘の途中で野営する事になる」

「へぇ、じゃあ、行商はその平地の村でするの?それにしては期間が長くない?」

 セトがこてりと首を傾げた。

「いいや。行商は街まで出る。平地の村は通過地点だ。平地の村でやるのはもっぱら物々交換だな」

 そう言ってアステロは今度は東を指差した。

「御神木からさらに森を分け入ると峻険な山がある。登頂不可能と言われる山脈の頂上線がそのまま国境だな」

 知っている、と言わんばかりにセトは頷いた。登頂不可能と言われる山脈の名を「巨剣山脈(きょけんのさんみゃく)」と言い、山頂に行く程に剣の切っ先のように鋭い山がいくつも連なっている。視界の遥か彼方の山脈は青く霞み、山頂は早朝以外では大抵雲に覆われていて見る事も叶わない上に、頂上付近は季節に関わらず雪に覆われている。

 登頂不可能と言われると共に国境という事も相まって(つるぎ)の壁という呼び名の方が浸透している。

「その山脈を南に降りていくと行商に行く街に出る」

 地平に近くなる程視界は木々に遮られて見えないために、やはりその街を肉眼で見る事は出来ない。それでもセトはアステロの示す方角を懸命に見つめた。

「そこがイーシャン領の最大の街だな。領主様のお膝元、東の国境防衛の要。ブレイティアの街だ」

 ブレイティアの街までは歩いて五日の距離がある。五日かけて街まで行き、二日間を行商に当て前後共に一日ずつ休養を取り、また五日かけて村に戻ってくるという。それを月に一度成人を超えた大人達で持ち回りで担当しているそうだ。

 森を突っ切ればさらに時間の短縮になるが、商品となるものを運ぶ手前野生動物や魔物が多い森の中を行く事は出来ない。なのでいくつかの村を経由して、五日もかけて街に行くのだ。


「セト。世界は広いだろ。大人になる第一歩として見るこの景色に……俺はわくわくしたよ」

「うん……広いね。すごい」

「俺が成人の儀式の時に親父に言われた言葉をお前にやる。……きっと、お前のご両親もそう思ってる」

 そう言って、アステロは真摯な瞳でセトを見上げた。

「この時をもって、お前は大人だ。大人とはあらゆるしがらみと自由を背負う者。森に生きるも、外で生きるもお前の自由。ただしそこに責任が伴う事を忘れるな。それさえ忘れなければ、きっとお前の目に映る世界はどこまでも広く、どこまでも自由だ」

 そうしてアステロはにやりと笑う。

「セト、成人おめでとう。……しがらみと自由。相反するように見える二つを背負う覚悟を立てて……御神木に生まれの証をお返ししろ」

 アステロの言葉に、セトはこくんと喉を鳴らす。生まれの証を、手首に巻かれたそれと手に持たれたそれをしばし見つめて、そうして意を決したように眼前の細い枝に手を伸ばした。

(しがらみと自由。それを背負う覚悟)

 そんなの、と口の中で音もなく呟く。

(知ってる。……知ってるよ。この世界は広くて、理不尽で、綺麗だ)

 あの、死んだはずの日。奇跡と言われた日。特別なんだと言われた今日。その全てが、間違いなくしがらみだと、セトは知っている。

 そこから、選択する自由を、選択した現実を背負う覚悟を決めなければならない。そしてそれ以上に。

(しがらみはあの日からずっとついて回る。きっと死ぬまでずっと。わたしの自由は、そのしがらみに抗う事)

 全部飲み込んで立ち向かう事こそが、自分の自由だと信じて。

(ここに覚悟を立てる)

 セトの心に呼応するように、手首に巻かれた生まれの証がするりと解けた。そうして本来の生まれの証もまた、ひとりでに枝へと巻きつく。

 両親が織った生まれの証と止血帯だったはずのそれが連理の枝のように絡み合い、そして淡く発光しながらするりするりと枝の表面を覆う様は、まるで生き物のようだ。


 --帯の動きが完全に止まった時、()()は起こった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

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