成人の儀式、二
パァンと響いた柏手の音は、壁もない空間に不思議と木霊した。
その瞬間、足元から舞い上がった光の粒にセトは目を丸める。地面に生える草花の合間からシャボン玉のようにふわりと漂ったかと思えば弾けて消える。ほんの瞬きの間に光は終息して、辺りは先程と変わらない様子に戻った。
「……へぇ?」
思わず、上ずった声を上げて助けを求めるようにアステロを見上げた。
「どうかしたか?」
しかしそこにはきょとんと目を丸めたアステロの顔があるだけで、セトの素っ頓狂な声に首を傾げているが光について疑問に思っている風ではなかった。
「え、ええと……?」
混乱する頭で、セトは懸命に思考を巡らせる。
(驚いてないって事は光が出るのは普通って事……?)
それとも、まさかアステロには光が見えなかったのだろうか、とセトは不安になった。結局口から登ったのは思考を放棄する言葉だった。
「な、なんでもない」
まさかね、と。そんな事あってたまるか、といささか投げやりな事を考えてセトは首を振る。
「ん、そうか?……じゃあ、挨拶も済んだし、登るか」
「うん」
小さく頷いてセトは御神木を見上げる。
(わたしは普通。わたしは普通)
光が出るとか、きっと普通の事。アステロが驚かなかったのは見た事のある光景だから。きっとそう。と口の中で呟いた。
御神木には一番低いところにある枝まで梯子で登る。普段は祭事のための道具をしまっている納屋に置かれているそれを、二人で立てかける。安定したのを確かめてから、梯子に足をかけた。
最初の枝まではおおよそ二階建ての屋根くらいの高さだが、樹上生活をしているタンニ村の住人にとってはあってないようなものだ。するすると登るセトに続きアステロも危うげなく最初の枝までを登った。そこからは己の手と足だけで上を目指す事になる。
御神木は大きく、それに比例して枝の一つ一つもしっかりとしている。二人分の体重を乗せたところでびくともしない。また、枝自体がとても密集しているので木登りとしては難易度の低い木である。階段を登る気軽さでセトもアステロもひょいひょいと高度を稼いだ。
「証を返すのって、どの枝でもいいの?」
御神木の半ば程まで登ったところでセトがアステロに声をかけた。
成人の儀式は御神木の枝に生まれの証を結ぶ事で完了する。どの枝でもいいのなら、充分な高さに登ったのではないかとセトは思うのだ。
未だ足場となる枝も頭上の枝も太くたくましいが、それでもさらにそこから分岐する枝は生まれの証を結ぶ事の出来る太さに見える。しかし、アステロは首を振った。
「いいや。天辺近くまで登るぞ。生まれの証は新しい枝に結ぶ決まりになってるからな」
陽の光を得ようとその葉を広げるために、御神木の枝は上へ行く程に新しい。新芽のようなそれに結ぶのだとアステロは言った。
「へえ、……じゃあ、まだまだだね」
上を見上げてセトは感嘆の声をもらした。幹は依然として太く大きい。天辺は、葉が密集している事もあってさっぱり見えない。
「そういう事。ほら、きびきび登れ」
しばらく二人して無言で登っていると、セトは目に見える光景の変化に気がついた。
枝は徐々に細くなっていっているが、それでも新しい枝というにはまだまだたくましい。それでも、所々に木目とは違う模様があるように見える。
足を止めて、セトは目線の高さにある枝の樹皮を撫でる。木の皮特有のざらりとした感触はなんの変哲もないものだが、やはりどうにも違和感があった。
刻まれている訳でも、描かれている訳でもないが、枝の表面に模様が浮かんでいるように見える。
それは不規則にちらほらと、目を凝らすとそこかしこの枝にあるようだった。しかも、どれもが模様が違う。
「アステロ、これ」
「お、気がついたか」
セトの瞳に疑問が浮かんでいるのを見てとって、アステロはにっと笑って見せた。
「これは生まれの証だよ。よく馴染んでるだろ」
何代か前のご先祖様のものだとアステロは言った。
「生まれの証の帯はお前も知ってる通り御神木の樹皮を頂いて作るだろ。そのせいなのかは知らないが、何年か経つとこうやって馴染んできて、御神木に還るんだとさ」
神聖な御神木には力があるとされている。その樹皮を有り難くも頂き、それで作った帯をお守りとして子供の手首に巻く。タンニ村の住人とて魔導王国ウィンデルセンに住まう者として、魔力を有すると言われており、十六年間肌身離さず身につけた帯には持ち主の魔力が宿ると言われている。自身の魔力を帯びた生まれの証を御神木に結ぶ事で、その魔力の一端を御神木へと奉納している形になるそうだ。それを数年かけて御神木がその内に取り込むと、帯はこうして馴染み目を凝らして見なければ気づけない程に一体となる。「村のじーさん達の受け売りだけどな」と言ってアステロは説明した。
「ただこうして馴染んでるの目の当たりにすると、本当なんだろうとは思うよ」
魔力ってのがいまいちピンとこないけどな、と快活に笑って言葉を結んだ。
「確かに……わたし達って魔法とか使わないもんね」
狩りを生業とする、所謂狩猟民族であるタンニ村の住人は魔法にあまり馴染みがない。町に行けば魔法を行使出来る人間は溢れる程いると言うが、タンニ村の住人はそもそもあまり外界と関わる事をしない。その生活は森の中で完結している。
閉鎖的ではないにしろ、それで困らないのだからあえて外に行く理由がないのである。魔法についてもかねがねそんな感じである。
使えなくても困らない。だから使わない。というか使い方もよく分からないというのが現状だ。
「鑑定士の話じゃ、そうでもないらしいけどな。タンニの人間は物に魔力を込めるのが得意らしい」
セトの呟きにアステロがそう言えば、といって態で言葉をこぼした。
「……鑑定士?」
「ああ。月に一度、持ち回りで行商に行くだろ?狩った動物の肉なんかもそうだけど、布とかも売るんだ。タンニの布は出来がいいんだとさ」
はて、とセトは首を傾げる。
「大人が二週間くらい出かけてるやつだよね?」
「そうそう。お前も成人したからその内当番がくるはずだ」
タンニ村にも色々と役回りがあるのだ。単に毎日狩りをしていればいいという訳ではない。
この土地は魔導王国ウィンデルセンの国土であり、またイーシャン領という、辺境伯が治める土地でもあるので、税を納める義務があるのだ。そのために、月に一度持ち回りで行商に行き、そこで出来た金子を税として納めるのだ。
「でだ。物を適正価格で売るためには手っ取り早く鑑定士に鑑定してもらうのが確実だ。鑑定書付きの品物を買い叩く馬鹿は少ないからな」
さらに、とアステロは言葉を続ける。
「タンニの布は描かれている文様なり模様によって効力が変わるというのが一般的だ。それも中々に精度が高いと鑑定士のお墨付き。って事で鑑定士が言うにはタンニの人間は物に魔力を込めるのが得意って事になるらしい」
なるほど、とセトは頷いた。布作りはタンニ村の特産と言ってもいいだろう。セトも布作りには小さい頃から参加していたので、そういうものか、と納得出来た。
「でも、魔力込めてる自覚……全くないけど」
「それな!」
糸を縒るところから始まり機織りに刺繍、染めに裁縫。布の関わるものなら大体作る。
狩りは日々を生きるための手段だが、布に関してはそうでもない。ただ、タンニ村では家屋の壁の代わりに布を垂らしたり、赤子の成長を願って両親が帯を織ったりと、その生活から切り離せるものではない。そこに魔力という付加価値が加わるのは、自覚がないと言っても嬉しいものだ。
「タンニの布ってすごかったんだ。身近すぎて実感湧かないけど」
「お前も行商に行ったら分かるさ」
そのためにもまずは生まれの証を御神木に返さなくてはならない。二人は木登りを再開した。
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