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聖女とよばないで(仮題)  作者: ありんこ
第一章 セトという少女
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ギルド、四

 


 ギルド会員証の発行のために案内されたのは、二階にあるエントランスホールを入って右側に設置された扉だった。

 ハーティがセトとアレスが室内に入ったのを確認すると扉をパタンと閉める。

 セトはぐるりと部屋を見渡した。何もない部屋だ。今入ってきた扉以外に出入り口はなく、窓もない。手続きに必要な調度すらない、本当に何もない部屋だった。

「……?」

 果たしてこの部屋でどうやって会員証の発行をするのか。セトは首を傾げた。

「ここからさらに移動します」

 セトの疑問を感じ取ったようにハーティが言う。

「こちらの転送魔法陣へどうぞ」

 言いながら示されたのは床。セトが視線を落とすとそこには円形の模様が描かれていた。よく分からない文字と数字の羅列が円の縁を彩っている。中心には五芒星をいくつも重ねたような模様があり、赤色に鈍く発行している。

「転送魔法陣……ですか?」

 耳慣れない言葉にセトはまたしても首を傾げた。

「そうよ。ギルド会員の個人情報は厳重に保管する決まりがあるから、会員証の発行にはこの魔法陣でしか行けない部屋で行うの」

 ギルド会員は誰でもなれるが、だからこそやんごとない身分の人間もギルドに籍を置いている。平たく言えばそういったやんごとない身分の方々の個人情報を守るために誂えられた措置である。

「さ、魔法陣の中央にどうぞ。……アレスさんも行くのかしら?」

「ああ」

 セトを促す傍らで、アレスにも質問をするハーティ。その言葉からアレスが会員証の発行に同行しなくてもいいのでは、とセトは思ったが、アレスが短く頷くのでそのままにした。おそらく、保護対象だとか、後見人だとか、そんな理由で同行するのだろう。

「えと、じゃあ、お願いします」

 ぺこりと一つ頭を下げてセトは魔法陣の中央へと進む。その横にアレスが並び、それを確認するとハーティがにっこり笑った。

「私の案内はここまでよ。向こうの部屋には会員証発行の担当がいるから、その人に任せればいいわ。帰りはまた魔法陣を通ってこの部屋に戻ってきて。そのまま帰ってしまって大丈夫だから」

「分かりました。ありがとうございます」

「新たな冒険者に祝福を。行ってらっしゃい」

 ハーティが言葉と同時に魔法陣に指で触れた。


 その瞬間、魔法陣が発光した。

「--っ!」

 こちらとあちらを分け隔てるように、魔法陣の外縁が光の壁を作り出す。

 ヒュッ、とセトが息を飲んだ瞬間、世界の色が一瞬消えた。

「--っ!!」


 ぎゅう、と目を瞑っていたセトはアレスの「セト」という静かに呼ばれる声に、ようやっと自分が目を閉じていた事に気がついた。

 恐る恐る目を開ける。詰めていた息を静かに吐き出した。

「大丈夫か?」

 気遣う声にそろりと横を見上げた。アレスをまじまじと見つめ、今度は肺いっぱいの息を吐き出して脱力した。

 ばくばくと、心臓が煩い。

 その時、くすりと空気を震わす声が響いた。

「転送魔法陣は初めてですか?あれは苦手にする人も多いんですよ」

 その言葉にセトはなるほど、と頷いた。

 言い表すならば、無遠慮に胸倉を掴み上げられたような、胃を引っ張り上げられるような感覚。あるいは、覚悟もなしにいきなり足元に奈落の口が開いて重力に引き引きずり下ろされるような感覚だ。

 そこまでのろのろと考えて、ようやくセトは今いる場所が先程までいた部屋と違う事に気がついた。

 足元には変わらず魔法陣があるが、今いる部屋は四方を壁に囲まれた完全な密室だ。出入り口と呼ばれるものも窓もない。

 重厚な佇まいの応接用の机があり、その上には見慣れない器具が乗っている。器具の向こう側にローブを着た男性がこちらを楽しそうに見ている。そこで初めて、先程の声はこの人のものだったのか、とセトは気がついた。

「初めまして。私はイーシャン領ブレイティア支部所属の登録管理官のセイアード・ディズリーです」

 ローブ姿の男性--セイアードが椅子から優雅に立ち上がり洗練された所作でお辞儀をした。それに慌てたようにセトもお辞儀を返す。

 ぺこりと下げられた頭の上で、セイアードが意味ありげにアレスに目配せをした。それに短く頷くとセイアードは素早くセトに視線を戻したので、その一連のやり取りに気がつく事は出来なかった。

「アレスがここにいるという事は貴方が後見人を?珍しい事もあるものですね」

「ほっとけ」

 アレスの気安い態度にセトは頭を上げて横にいる男と正面に立つ男を交互に見やった。

「二人は……知り合い?」

 セトの質問にアレスが「そんなところだ」と答えてセイアードに顎をしゃくる。

「さあ、それでは会員証の発行を致しましょう」

 物腰の柔らかい男をセトは改めて見る。水色と言うよりは薄い青色をしたローブを羽織ったセイアードは、やはりギルド職員の証である腕章をつけている。瞳の色は柔らかい栗色で、緩くウェーブのかかった金髪だ。目に痛い色ではなく淡い朝日のような色合いの髪は、セイアードの柔らかい雰囲気にとてもよく似合っていた。

「会員証の発行にはこちらの器具を使います」

 セイアードが示したのは応接机の上にある上皿天秤のような器具だ。台座があり、そこから伸びる柱の天辺には鋭い針がある。そこから糸が伸びて、両脇にある皿に向かっている。天秤のようとは言っても重さを計るものではないようで、支点のところは固定されている。

 会員証の発行と言うからには何がしかの媒体に印字なりを行うとばかり思っていたセトは、果たしてこの器具はどうやって使うのだろうと、セイアードを見上げた。

「ちょっと痛いので申し訳ないのですが、こちらの針に血を垂らして頂きます」

「……血、ですか?」

「はい。会員証の発行には血の記憶を使うのです」

 ぎょっと目を丸めたセトに、セイアードは申し訳なさそうに頷いた。

 セイアードの説明によると、人は多かれ少なかれその身に魔力を宿している。そしてそれは千差万別であり、一つとして同じものはないのだとか。魔力は血に宿り、それを器具に施した魔法で情報を固定して会員証を発行するそうだ。

 針に血を垂らすとそこから糸を通って皿に落ちる。その糸に情報を固定する魔法がかけられており、固定された情報は石となって二つの皿に現れる。

「石が会員証?」

「そうです。一つはご自身に持って頂き、もう一つをギルドで保管します。二つの石は対になっており、またご自身とも繋がっている。貴女の情報が更新されれば石の情報も更新される、という優れものです」

 セイアードの説明にセトはぎこちなく頷いた。情報の更新とか言われてもさっぱり意味が分からない。分からないが、会員証の発行の仕方は理解したのでよしとした。

「血を垂らすというのは、どうやって?」

 森で狩りを生業にしていたのだから怪我なんて日常茶飯事だったセトだが、自ら傷を作る趣味はない。なので、少しばかり腰が引ける。

「こちらの針に指をぷすっとやって頂ければ大丈夫ですよ」

「……うわぁ」

 思わずといった様子でセトの口から声が漏れる。だがしかし、やらない事にはギルド会員登録が出来ないのだから仕方がない。セトは意を決したように右手の人差し指を針に突き立てた。

 ぷつり、と皮膚が破れる。そこからつう、と血が二つの糸を伝って落ちた。

 魔法陣のように光るでもなく、糸の先からそれぞれ小さな石がコロンと落ちる。二つの石が皿に受け止められたのを確かめてセトは針から指を離した。ぷくりと玉を作る指先の血を口に咥えて、セイアードを見上げる。

「はい。これで発行は完了です。お疲れ様でした」

 石を皿から拾い上げて、セイアードはにこりと笑む。その内の一つをセトに手渡して、もう一つは引き出しから出した用紙の上に置いた。

「そのままですと紛失の可能性が高いので持ち運び易く加工するのがいいでしょう。ペンダントトップやブレスレットタイプでしたら受付に言って頂ければ無料で加工出来ますよ。こだわりがあるようでしたら鍛治職人のところに持って行けば有料ですが任意の形に加工してくれます」

 ペンダントトップと言うと、初めてアレスに会った時に見せられた会員証がそうだろう。首にぶら下げておけばいいのだから石をそのまま持っているより失くす可能性は低そうだ。

 元よりこだわりなどないので、セトはこくんと頷いた。

「無料のでいいです」

 そう言ってから、ぺこりと頭を下げた。

「ありがとうございました」

「いえいえ、私は私の仕事をしたまでですからね。新たな冒険者に祝福を。ご活躍を祈っていますよ」

 セイアードの言葉に見送られて、セトはアレスと共に魔法陣の中央へと足を進めた。

 ごくり、とセトの喉が鳴る。

「苦手か?」

 顔が引きつっているのが自分でも分かる程だから、アレスから見ても酷い顔をしているのだろうと、気遣う言葉にセトは理解する。無意識に左腕を右手で握り込んで、セトはこくりと頷いた。

 それでも、魔法陣を通らなければこの部屋からは出れないのだから覚悟を決めるしかない。魔法陣が発動すれば一瞬だ。たった一瞬、我慢すればいい。

「……お願いします」

「はい。では、送ります」

 セトの言葉にセイアードが魔法陣に触れる。行きと同様、魔法陣が光の壁を作った。

「--っ!」

 ぐいっ、と胃が引っ張られる感覚に痛い程に左腕を握り締める右手に力を込めた。手甲に爪が食い込む。

 ふっ、と世界の色が一瞬消える。セトが認識出来たのは、そこまでだった。


(--ああ、()()は駄目だ)


 一瞬遠退いた感覚が再び戻ると同時に、セトの意識は真っ黒に塗り潰された。

 身体が崩折れるその瞬間、慌てた声がセトの名前を呼んだが、それをセトが認識する事は出来なかった。

ここまで呼んでいただきありがとうございます。

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