ギルド、三
「セトさんは字は書けるかしら?」
ギルドの会員登録は、そんな質問から始まった。
魔導王国ウィンデルセンでは識字率は低くもないが高くもない。辺境の村落などでは金銭のやり取りよりも物々交換が主流のために平民の一定数が字というものに馴染みがないのだ。
しかしセトは事もなげに頷いた。
「書けます」
タンニ村での識字率は大体五割だ。村の人口の約半分は字を読む事も書く事も出来る。
職人気質の年配者などは書けなくても問題ないという認識を持っているが、行商に出る時や帳簿書きに有利だからという理由で若い者ほど字を学びたがる。
セトも例にもれずそういう若者の一人だ。
「字が書けないとギルド会員にはなれないんですか?」
こてりとセトが首を傾げると、ハーティは朗らかに笑った。
「いいえ。字が書けなくても会員登録は出来るわ。ただ新規会員が字を書けるなら、私達の事務処理の手間が一つ省けるわね。それに依頼をこなす上で字の読み書きはとっても大事なものだから、会員登録後カリキュラムを受けてもらう決まりがあるわ。そういう意味では貴女の手間も一つ省けるわね」
その説明にはなるほど、とセトは頷いた。確かに、字が読めなければ依頼内容を正確に把握出来ないだろうし、悪徳な依頼者がいるならば誤魔化す事も出来てしまう。字の読み書きはギルド会員にとって一つの防衛策になるのだろう。
「ではこのエントリーシートに記入をお願いします。ペンはこれを使って、あちらのテーブルで書いてね。書き方が分からないなら私に聞いてくれてもいいし、アレスさんに聞くのでもいいわね」
渡された紙と羽根ペンを手に示された丸テーブルに向かう。セトからするとほんの少しばかり高いテーブルはものを書く上で無理と言う程ではなかったが、それでも肘を鎖骨の高さまで上げなければならない窮屈さがあった。
わずかに難儀しているセトの隣で空気が微かに震える。セトはじろりと隣の男を睨み上げた。
「……なんですか?」
「……いや、すまん。こうして見ると、君は小さいな」
優雅に丸テーブルに肘をかけてこちらを覗き込むアレスにはぴったりの高さだ。セトからしたらアレスが大きすぎるのだ。
ふん、と一度鼻を鳴らしてからセトはエントリーシートに視線を落とした。
紙面をざっと見回してからスラスラと必要事項を書いていく。それをアレスが興味深げに見下ろしている。
一通り書き終わるとセトは無言でアレスを見上げた。不備がないかどうかの確認だ。
「大丈夫だろう」
セトの視線に気づいてアレスが頷くと、セトは受付のハーティにエントリーシートを渡す。
「貴女、綺麗な字を書くのね。……あら、セトさんは森の民なのね」
ハーティが嬉しそうな声を上げた。その視線は出身地の欄を見つめている。
「タンニ村をご存知なんですか?」
「もちろん。タンニの布製品はイーシャン領の特産の一つなのよ。知らなかった?」
タンニの布製品の売価がそれなりにお高い事はアステロから聞いていたセトはどこか誇らしげに頷いた。
「タンニの布は品質もいいし、なんと言っても刺繍よね。精度の高い守護魔法だもの」
「ああ、そう言えば幼馴染が言っていました。タンニの刺繍には付与魔法の効果があるって」
「そうなのよ。私は鑑定士の資格を持っているから、タンニの人達はどちらかと言えばお得意様なのよ?」
それに、とハーティは言葉を続ける。
「ケット族も元々は森の民だから、他の部族とは言え森の民に会うのは嬉しいわ」
そうなんですね、とセトは相槌を打った。
「ふふ、話が脱線してしまってごめんなさいね?……さて、記入漏れはないみたいだから会員登録の流れを説明します」
「はい。お願いします」
流れとしてはこうだ。
まずはエントリーシートに記入。これは字の書けない者であるなら受付職員が口頭で質問して代筆する事が可能だ。
そして会員証の発行。これは別室で行われる。会員証の発行には特別な魔法を用いる事で偽造などを防ぐ。
「紛失した際は会員証を発行した支部でのみ再発行が可能ですが、別途料金がかかります。なくさないのが一番ね」
ハーティの言葉にセトは頷いて続きを促した。
会員証を発行したら、次はギルド規約の大まかな説明。新規の会員にはカリキュラムを受けてもらう決まりがある。
「カリキュラムは他にも文字の読み書きに加えて、剣術指南、魔法指南、採集指南などがあります。後見人のいない人は必須のカリキュラムよ」
「後見人ですか?」
「ええ。後見人……師事する相手がいる場合はその人にお任せする事でこのカリキュラムを免除する事も可能よ」
そこでハーティはちらりとアレスに視線をやった。
「アレスさんがセトさんの後見人という事でいいのかしら?」
「それで構わない。諸事情でカリキュラムを受ける暇は取れそうにないしな」
「分かったわ」
短いやり取りの後、ハーティはエントリーシートの備考欄にその旨を書き足した。
ちなみに後見人になれるのはある程度のランク以上でなければならないと説明を加えてハーティはにっこり笑った。
「以上を終えたら新規会員向けの依頼を受けてもらうのが一般的ね。これは定期的に開催している常時依頼で、後見人がいない事がほとんどだからギルド職員が新規会員について毎週行っているわ。通過儀礼というやつね」
通過儀礼である依頼は、依頼主をギルド本部、内容は支部毎に若干異なるものの難易度の低い採集依頼となっている。開催は週に一回。次回の開催は明後日だ。
後見人がいる場合はカリキュラムと同様免除も可能だ。後見人をつけて新人の世話を分散する事でギルド職員の負担を減らす目的があるのだが、ほとんどの新規会員が後見人などいないのが普通なので、これは全くの余談である。
「ざっとこんなものかしら。質問はありますか?」
「……大丈夫そうです」
「分からなかったらアレスさんに聞けばいいわよ。この人、優秀なギルドメンバーだから」
セトがこくんと頷くと「それでは」とハーティが手のひらでエントランスホール中央の階段を示した。
「会員証の発行に移ります。こちらへどうぞ」
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