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聖女とよばないで(仮題)  作者: ありんこ
第一章 セトという少女
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ブレイティアの都、四

 


 明くる日。

 セトは宿屋の部屋でぽかんと口を開けてベッドの上にいた。窓からは朝の訪れを告げる小鳥がさえずる声が聞こえる。

 暇を持て余すばかりだったはずの昨日は、部屋のベッドに腰を下ろすなり終わっていたらしい。

「……知らなかった。わたし、疲れてたのか」

 夜ご飯を食べた記憶すらない。ふかふかとは言い難いがそれなりに柔らかいベッドに完敗だ。昼日中から翌朝まで寝こけるなんて、初めてだった。

 意識すると、途端に腹が空腹を訴えて泣いた。

「……とりあえず、朝ごはん」

 ところでアレスはどこだろうか。戻ってきたのか、と首を傾げながらようやっとベッドから足を下ろした。その足で、部屋に唯一ある窓へと向かう。カーテンのかかってない木枠の窓からは燦々と太陽の光が降り注いでいた。

 寝起きでしょぼくれた目を擦りながら、セトはなんとはなしに窓の外を見やる。宿屋の部屋は全て通りに面しているので、眼下には行き交う人々が見えた。

「……ん?」

 様々な格好をした人を眺めながら視線をうろつかせると、部屋のほぼ真下、宿屋の入口あたりに見知った人影を見つけた。

「アレスだ」

 この街で唯一顔と名前が一致する人物なので、視線は自然とアレスに固定される。しかし、セトは一度部屋を振り返った。

 部屋には二つ、ベッドがある。恋人でもない男女が一つの部屋で寝泊まりなんて事ははしたないと言われるが、それは貴族階級に限っての話。さらに言えば保護対象と保護者なので、別々の部屋を取っては有事の際に対応し辛いとアレスは言っていたし、道々路銀を稼ぎながらの旅になるので出費は出来る限り抑えたいと言うのが本音だ。

 セトが先程まで寝ていたベッドはその様が容易に分かる程シーツもしわが寄っているし、枕も頭の形に凹んでいる。掛け布団も足元でぐちゃっとなっているのに対して、アレスが使うはずだったベッドは昨日部屋に入った時のままびしっと乱れの一つもない。

 どうやらアレスは昨日出かけたきりこの部屋には帰ってきていないようだ。

 そこまで結論付けて、セトはもう一度窓の外を見下ろした。

「……お」

 よくよく見ればアレスの横にはもう一つ人影があった。その人と何やら話し込んでいるようだった。

 見方の整った女性だ。真上からではその全容は分からなかったが、栗色のふわっとした髪が肩の辺りで切り揃えられている。通りを行き交う平民と同じような格好をしているが村では糸から布を作ったり、そこから服を作ったりを長年してきたセトにはその衣服に使われている布がそこらの人とは違うというのはすぐに分かった。平民のふりをしている商人か貴族の娘だろうか、とセトは首を傾げた。

 とは言え、セトは商人も貴族も見た事がないので完全なる想像でしかないのだが。

「もしや依頼を片付けるというのは建前で昨夜はむふふな展開に……?」

 思わずにやにやしてしまう。村では惚れた腫れたなんて事態はほとんどなかったのだ。全員顔見知りで、同年代は皆が幼馴染。村が一つの家族みたいなものだったので、仮に誰々に惚れた、なんて事があっても恋人をすっ飛ばして家族としての絆が深まるだけの緩やかな恋しか村にはなかった。そしてほとんどの若者は外の世界に憧れを抱くので、顔馴染みや幼馴染に惚れるという事がそもそも少なかった。

 セトも例外ではなく、村の異性に惚れた事はない。初恋もまだなお子様である。恋に恋する性格ではないものの、そこはお年頃。他人の惚れた腫れたは見ていて単純に楽しい。

「アレスも隅に置けないなぁ」

 にやにや、にやにや。下世話な視線を送っていると、その邪念に気がついたのかアレスがふと視線を上げた。

「……」

「……」

 しっかりばっちり目が合った。

 いたたまれないというかそこはかとなく気まずい雰囲気にセトは両の手でむぎゅっと頬を潰して変顔を披露した。覗いていた訳ではないですよ〜、とたまたま見かけただけですよ〜、と届くはずもない思念を飛ばす。じとっとしたアレスの視線に気がついた女性が一拍遅れて視線を上げた。

「……」

「……」

 しっかりばっちり目が合った。

 女性は一瞬ぎょっと目を見開いたが、それもすぐに引っ込めるとアレスに向き直り一言二言、言葉を交わすと左胸に右の拳を当てるような仕草をしてから去っていった。その後ろ姿をしばらく見ていたアレスは、もう一度セトを見上げると呆れたような顔をして宿屋の扉をくぐり、セトの視界から消えた。

「……」

 ふむ、とセトは考える。最後のやり取りはなんだか事務的なものに見えた。とすると、むふふな展開ではなかったのだろうか。つまりアレスは言葉通り依頼を片付けていたのだろう。

「一晩中仕事とか、不憫な」

「人を勝手に憐れむな」

 ガチャリと部屋の扉が開かれ、窓から見下ろしたまんまの呆れ顔でアレスは開口一番そう言った。

「おはよう、アレス。……いやぁ、今更ながらこんな子供のお守りをしなきゃいけないなんて大変だなぁと思って」

 言外に発散したきてもいいですよ?と目で訴えてみると、アレスは眉間をぐっと寄せてセトをじとりと見やった。

「そういう事を子供が言うもんじゃない」

「残念でした。村ではもう成人扱いでーす。早い人なら成人したと同時に結婚してまーす」

 住人の少ない村ではそういった事情は割と明け透けだったりする。同年代より少し上の兄貴分とか姉貴分とかからからかい混じりにそういった知識は継承されていくのだ。そもそも平民に、はしたないとか男だから女だからなんていう知識の垣根はないのである。貴族のように段階的な教育が施されない分、耳年増は一定数いるのだ。

「それでも法律的に見ればセトはまだ子供だ。子供が大人のそういった事情に首を突っ込むな。まして女の子だろう。はしたないと言われるぞ」

 盛大な嘆息をこぼして諭すように言うアレスにセトはこてりと首を傾げた。

「アレスって実は結構潔癖?いるよね、女の子がそういう話題出すの嫌がる男の子って」

「……大多数の男はそんなもんだ」

 ふーん、と適当に相槌を打って苦い顔をしたアレスをしげしげと見つめてからセトはこの話題を終わらせた。からかいにも乗ってこないのでは面白くない。

「それよりお腹空いた!」

 ぐぅ、と切ない音を響かせた腹をさすってセトは朝食に思いを馳せてみた。よくよく考えると昨日の昼を食べたきり今の今まで寝ていたのだ。自覚すると、途端にものすごくお腹が空いてきた。

 アレスは無言でもう一つ嘆息すると、セトの髪をぐしゃりと乱暴にかき混ぜた。この仕草一つでセトの失礼な妄想を不問にしたのが窺えて、これが大人の対応か、とセトはほんの少しだけ感心するようにアレスを見上げたのだった。

「食堂に行くか。……その後はギルドだな。今日は忙しいぞ」

「はぁい」

 不可抗力とは言え他人のプライベートをにやにや眺めてしまった事に今更罪悪感が芽生えたセトはアレスの言葉に素直に頷いて、二人は揃って朝食を摂るために部屋を出た。



 セトは浮かれていた。楽しんでいた。

 旅の目的を忘れた訳ではなかったし、それを踏まえても目一杯楽しむと決めていたけれど、それ以上に目の前に広がる未知の世界に魅了されていた。

 だから、忘れていた。

 世界は広くて綺麗で、でもだからこそ残酷だという事を。


 世界はいつだって、セトに対して残酷だという事を。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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