旅立ち、三
素っ頓狂な声を上げて、セトはアレスの言葉の意味を考えた。沈黙はたっぷり十秒。
「…………質問の意図が分かりません」
結局のところアレスの少ない言葉の真意など汲み取れる訳もなく、セトは眉を下げて隣の男を見上げるに留めた。
「意図という程のものではないな。君のような子供は聖女について、聖女召喚についてどう思っているのか気になっただけだ」
あっけらかんと言ってのけたアレスに、セトは再び沈黙した。どうと言われても、とその顔には困惑がありありと浮かんでいる。
「難しく考えなくていい。率直な意見を聞きたい」
軽く笑って質問に重要性などないと言外に告げるアレスだが、それでも質問自体を取り下げる気はなさそうだ。
この問答の終着点はどこだろうか、と訝しみながらセトはふむ、と顎に手を当てて考える。
(子供……と言うからには聖女召喚以前と今の差を知らない人間の現状の捉え方を知りたいという事……かな?)
それならば聞く相手はセトでなくともいいはずだ。アステロだって聖女召喚が行われた十五年前は物心がついた頃なのだから。なのにアレスはセトに声をかけた。夜歩きの折に丁度よくセトが現れたからと言われればそれまでだが、それにしてはセト自身に興味を持っているような節がある。
「……やっぱりよく分かりません。おとぎ話とか、そういう遠いところの話のような感じです」
足元を見つめながら、セトは言葉を探す。
「ただ……」
小さく呟いて、セトは己の左腕を見た。手甲に覆われた、光を放った傷痕。
「ただ?」
「ただ、理不尽だとは思います」
ほお、と感心するようなため息を吐き出したアレスを、セトはちらりと見上げてからもう一度左腕に視線を戻した。
「だって……いきなり縁もゆかりもない世界に強制的に連れてこられて、帰れるかも分からないのに見ず知らずの人達を救えだなんて、いい迷惑だと思います。勝手に喚び出しておいてあとの責任は聖女に押し付けて……そういうの、なんか狡いです」
手甲越しに傷痕を見つめていたセトは気がつかなかった。アレスがセトの言葉に目を細めた事を。
「なるほど、そういう見方もあるか。だが聖女は国王と並ぶ権威を持つ事になる。贅沢な暮らしを約束されたようなものだ。悲観する程の事か?」
聖女は伝説の中の人物だった。神格化され崇める対象である。世界を救うための危険は冒してもらわなければならないが、それ以外の憂いからは王が臣下が騎士が民が聖女を守る。国家予算の中には聖女のために割かれたものもあり、この十五年間手付かずのまま膨れ上がっている。おそらく一生優雅に暮らせるだろうと思われる額だ。闇を祓ってくれさえすれば、あとは何をしてもいいのだ。
「それがなんだって言うんです?」
アレスの説明に、しかしセトはぐっと目に力を入れて男を真正面から見据えた。
「世界を救えって言いますけど、聖女は別の世界から強制的に召喚されたんですよね?帰る方法がないとしたら、その人はもう自分の世界に帰れない。それって、召喚した側が聖女の世界を滅ぼしたようなものでしょう?だって聖女はもう帰れない。家族にも友達にも会えない。生まれ育った場所の土も踏めない。聖女の手には何一つ残ってない。それとも、権威っていうのはその全部を返してくれるんですか?」
語気を強めたセトにアレスは瞠目した。それは急に感情を露わにした少女に対して驚いたという事と、彼女の言葉の端々に虚を衝かれたからだ。
「自分の世界を滅ぼした相手にこっちの世界を救ってくれなんて言われても……相手に都合がよすぎて笑えてきます。……わたしなら、ですけど」
最後の一言はぽとりと落とすような声だった。逆立っていた感情に我に返って戸惑ったような表情をするセトに、アレスは痛ましい思いで少女を見つめた。
「それでも、……君は聖女を哀れだとは言わないのだな」
セトの視点は、正直面白いとアレスは思った。この世界の住人側よりも聖女に寄った考え方なのではないかと。
確かに、聖女は断りもなくこの世界に召喚された。帰る術があるのかないのかはアレスには分からないが、十数人の魔導士を集めて行われた召喚の儀式は容易いものではない。ましてその召喚自体正しく発動しなかったのは聖女の行方が十五年間も分からない事からも明白だ。
聖女の世界が滅ぼされたというのも言い得て妙だと思った。セトの言うようにもう二度と自らの世界の地を踏めないのであれば、それは故国の消失と同義かもしれない。
聖女は伝説の中の人物で、神格化されていて、召喚するのが当然で、世界を救うのも当然だと、なんの疑問もなく思っていた。だがセトの言葉にアレスは困惑する。セトの言葉からは、聖女もまた人なのだと考えさせられる。
そしてアレスは思うのだ。セトが言うように聖女もまたこの世界の住人と何ら変わりない人であるなら、それはなんと哀れなのだろうと。
そんなアレスの思考を読み取ったのか、セトは見上げていた目を見開いたかと思うとその表情を盛大に歪めた。
「わたしが聖女なら、この世界の人間に可哀想だなんて、死んでも言われたくない」
皮肉ったような、傷ついたような、そんな笑みだった。
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