客人、四
夜半、セトは胸にくすぶる感情を発散させるように村の中を当て所なく歩いていた。
昼間は繊維作りを途中で抜け出し村長宅で村の客人の対応をしていたから、体に疲れはない。元より狩りに比べたら繊維作りなぞ大した労力ではない。休むにはどうしたって体力が有り余っていた。
夕餉の時間を過ぎた辺りで、村は温かな空気を残しつつ静まり返っている。子供達は今頃寝床に入り始めているだろう。狩りに行く若衆はその時間になるまでの束の間で体を休めている頃か。その若衆が存分に休息を取れるようにと、夜の村はとても静かだ。出歩く者など極少数で、それも用が終わればすぐさま家へと帰って行く。
夜の村を歩く事を注意される事はないが、それでも陽が沈んでしまえば外にいる人間は見張りの者くらいで、散策したところで娯楽もないので味気ないものである。でもだからこそ、取り留めもない気持ちを整理するには絶好の時間だった。
家にいたところでセトは一人暮らしであるから、そこでも考え事は存分に出来ただろう。それでも体を動かしていた方が落ち着くのだ。
足は自然と昼間に歩いた道を辿っていた。物見櫓の梯子を登れば静寂に包まれた森と満天の星空が見える。澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込んで、ほうとため息を吐いた。
(アレスさんは……いつ帰るんだろう)
頭の中を占めるのは昼間に村に訪れた客人。ギルドに所属しているという男で、光について、そして聖女について調査に来た人間だ。
アレスの話によれば聖女捜索は国からギルドに対して依頼をされているらしい。騎士団、魔道士、調査団、それだけでは探しきれないとして異例の長期的にして拘束力の高い依頼。
ただしその拘束力はあまり発揮されていないらしい。というのも、その依頼内容は聖女の足取りの調査に保護と王都への護送。しかし足取りも何も召喚直後ですら聖女の姿を見た者はいないのだから、すでに雲を掴むような話である。その姿形も分からない聖女の足取りの調査すら闇の霧の濃度を測って薄いところにいるかもしれないという曖昧なもの。濃度調査をして結果を報告するだけで一定額の報酬が払われるというからそれ自体はいいとしても、その結果聖女が見つかるとは誰も思っていないらしい。
(でもアレスさんは来た)
そもそもアレスは言っていた。濃度調査はもっぱら新人がやっていると。依頼の最終的な成功率は極めて低いとはいえ、その途中経過の報告としてはとても単純な内容だ。魔物とやり合う危険もなく、街中ですら出来る簡単な調査。調査に必要な器具は国から支給されるから、初期費用すら必要ない。とても易しい依頼だ。だから中堅以上のギルドメンバーはこの依頼を精々が依頼と依頼の合間の暇つぶし程度の扱いしかしていない。
(アレスさん……どう見ても新人には見えないし)
見たところ二十歳台後半から三十歳台前半くらいだろうか。新人というには貫禄がある。そして暇つぶしと称すには随分真剣に調査に取り組んでいるのが気にかかる。
(この村にいると分からないけど、聖女の捜索は国の一大事みたいだし……あれが普通なのかな)
タンニ村は辺境にあるため、王都とは物理的にも情報的にも距離がある。狩りを生業としているからか、その脅威を実感として認識しているが、それが国を揺るがす程なのかは分からない。タンニ村は魔物との関わりが深いので危機意識は根幹にあるが、だからこそ対策も昔から講じられているので、魔物に対して耐性がある。王都は王のお膝元とあって守りも堅いため、逆にそういった対策には後手に回ってしまうのだろう。そうであるなら、タンニ村との聖女に対する温度差というのも頷ける。
(いや、村でくくるのもよくないか。村長や十五年前に聖女召喚の光を見たっていう人は、早く見つかればいいって言ってるし)
闇の霧が視認出来るようになる前を知っている者は特にその傾向が強い。逆に小さな子供やセトのように聖女召喚以前を知らない者は闇の霧が空を薄く覆うのが普通の光景となっていて、その重要性にいまいちピンとこないのだ。
「……ん?」
そこでふと、セトは視線を下げた。物見櫓は村の端にある。森の中とはいえ村内では木々もいくらかまばらだ。所々に見える地面を、何かが動いているように見えたのだ。
「あれは……」
セトは物見台の手すりから体を乗り出すように眼下を見やった。見覚えのある、しかし見慣れない姿は間違いようがない。
「アレスさん?」
目を凝らして注意深く見つめる。どうやら一人のようだった。アレスは昼間物見櫓から降りた後はまた村長宅へと戻っていった。調べたい事があるからと。その調べ物が終わるまでは村に滞在するとは夕方の時点で村長から村全体に知らされているので、アレスが村の中を歩いている事自体は何ら不思議はない。
それでもこんな村全体が寝静まるようなタイミングで歩き回っているのはどういう事だろうか、とセトは首を傾げた。
いい大人なのだから心配する必要もないだろう。ましてギルドに所属しているなら腕も立つはずで、森に入ろうと自己責任と言えばそれまでである。
しかし--
「……あの方角って」
今セトがいるのは物見櫓。そこからは御神木が見える。セトは小さくなっていくアレスの背中から、そのまま顔を上げて遠くを見た。視線の先、一寸の狂いもなく御神木が目に映る。
「……まさか、御神木に行こうとしてる?」
呟くと同時に、セトは物見台の手すりからひらりと躍り出た。近くの木と繋いである縄に難なく掴まり勢いを殺しながら下降すると、地面に足が着いたと同時に駆け出した。
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