終戦後の小高い丘の上で
隣国との戦争が終戦してから、約30年の月日が流れた。
周囲には溢れんばかりの彼岸花が咲き誇っている。
私と夫は町外れの小高い丘に小さな家を建てて、そこで密かに、だが穏やかな日々を暮らしている。
「ねぇ、もう朝ですよ。起きてくださいな」
隣国との戦争へ兵士として駆り出された夫は、負傷して帰ってきてくれた。例え負傷していても構わない。ただ帰ってきてくれた事が嬉しかった。この街では未だに戦争から帰ってきていない人が多数いるから。そんなことは戦争が起これば当たり前のことだと、身をもって体験をしてからようやく気付く。今までどれだけ平和に暮らしていたことなのか…それがどれだけありがたいことなのか…。
夫をベッドから起こし、朝食の準備が整っているリビングへと連れて行く。そして椅子を引き、夫を定位置の場所へ座らせる。夫の反対側、丁度夫の顔が見える場所へ私は椅子を設けており、そこへ腰を下ろす。
「いただきます」
食事を摂る言葉を軽く口にし、スープと燻製した肉を挟んだパンといった簡素な朝食。終戦したというものの、まだ物流関係は復旧しておらず、以前のように複数の食材を入手する事は難しいまま。特にこの国ではお肉が貴重とされている。以前は広大な土地を所有していたことから、それらを活用し農業が盛んだった。しかし、戦時中に家畜は巻き添えを食らっていった。餌を与えることは困難であり、敵からの空爆によって家畜は殺されていったのだ。
だが、私はとあるルートからお肉を仕入れて、それを冷凍保存して少しずつ食べている。
物流関係が復帰していないのは、戦争が起こったのが隣国だったからに過ぎない。隣国を通さないと自国は様々な物、精密機器や道具を仕入れる事が難しかった。逆に自国で作った肉や卵、お酒といった物資を売るのも隣国を通さなければならない。つまり隣国と戦争をするのは馬鹿げた話であって、理由は言わずとも売買の値段について折り合いがつかなかったからである。
戦争は約5年ほど続き、終戦の合図は情けない事ながら共に物資が尽きた為、話し合いを行った。最初から話し合いをして問題を解決していればよかったのにと、夫が戦場から帰ってくるまで不安な日々を過ごしていた私は思う。
戦時中の自国は酷いものだった。生きている者は誰でも、容赦なく戦場へ駆り出されていった。女子供問わない。私の友人も何人か、戦場へ行ったきりだ。
終戦後の詳しい話について、私はなるべく耳に入れないようにしていた。どうしても戦争のことを思い出してしまうから。それがとても苦しいから。
そのために街外れの小高い丘に小さな家を建てたのだ。以前は街の中心街に住居を構えて住んで居たのに、他人の目を気にせずゆっくりと二人の時間を過ごしていきたかったから。夫と二人きりの時間を増やしていきたいと思っていたから。
家を建てるお金については、夫が兵士として戦争に加わった為、終戦してからしばらくした後に国から報酬金としてまとまったお金を頂いた。私はそれを躊躇なく使用した。夫と過ごす時間を少しでも増やしていきたいと思ったから。当時夫に対して相談してみたところ、何も言わなかったので特に不満はないと判断をし、今に至る。
「ごちそうさま」
簡素な朝食を食べ、二人分の食器を片付ける。夫は黙って外を眺め、物思いに耽っている。終戦後の夫はこういう日々を過ごしている。少しでも平和的な日々を眺めていたいのだろう。自分の命を賭けてまで守ったこの平和を、実感したいのだろうと思い、私は声をかけない。
食器を片付けた後は、外が心地よい天気だったために洗濯物を干し、それが終わったらまた夫の前に座って夫が眺めているであろう景色と同じ方向へ視線を向ける。
以前のように広大な地を利用し、農業を再開している自国のことを思えば、本当に平和になったな、と実感している。
そんなことをしていたらお昼になったので、朝食と同等の簡素なご飯を口へ運ぶ。例えいまだに物流が復旧せず、物資が貧しくても、夫がいるだけで私は満足だった。
夫は黙って外を眺めながめている。私はご飯を食べながら、それを見ていた。
食事が終わった後、食器を片付け、二人分のホットコーヒーを出した。夫は甘党なので、ミルクと砂糖を適量入れて出す。私はブラックが好みなので、午後の穏やかな時間を二人きりで過ごしていた。
何時間経っただろう。ふいに冷蔵庫の中身が気になって確認をした。なるべく街へ行きたくない私は、買い置きをすることを心がけている。肉はまだあるが、他の食料が心もとない…。私は街へ行く決心をした。
まだ午後、といえる時間帯だ。お店は空いているだろう。街の人となるべく顔を合わせたくなかったのと、食後ということもあり軽くシャワーを浴びて顔をなるべく露出させないよう、フード付きの服を上から羽織って街へ行くことにしている。
街はといえば、徐々に活気を取り戻してきた、と思う。すれ違う人々は私に対して不思議な目というか、異質な目を向けるが格好が格好故に致し方ない。
行きつけのお店へ行き、食料の補充を行う。店主とは顔なじみだが、私があまり他の人と接したくないので必要最低限の会話だけで済ませている。そのことは店主もなんとなくくみ取ってくれているのだろう。特に詮索はされない。
数件店を周り、当分の食料の確保が出来次第、足早に自宅へ戻る。
やはり人が多く居る場所は私には合わない。以前の私なら人並みに社交的であったとは思うが、終戦後は性格が変わってしまった。やはり夫が戦場に行ってしまった事が、そして戻ってきてしまったという負い目を勝手に自分が背負い、極端に他人との接触を拒んでいる。戦死することが名誉だと言われているが、それは最早ただの戯言でしかない。当事者の気持ちを何一つ分かっていないことだ。ただただ帰ってきてくれたことが、どれだけ喜ばしいことなのかさえ、分からない人が多数だ。
自宅へ戻り、食料の補充を行った後に少しだけベッドで仮眠をとった。
夫は相変わらず椅子の上に居たままで、だけれどそれが日常的なので何も言わない。
本当に戦場から帰ってきた主人は、人が変わったようだった。今までは笑いがたえない人だったのに、今は無口でどこかぼんやりと外を眺めて、心ここにあらず、といった様子だ。それだけ戦争が過酷だったと思っている。今の夫には、ゆっくりとした日々が必要だと思っている。だから私は夫を咎めたりはしない。
仮眠から目覚めると、日も暮れていた。
こうして時間帯が夜へなると、嫌でも夫が帰ってきた頃を思い出す。
夫の帰りを今か今かと焦りながら、まだ街中で住んでいた頃、ふいに自宅のドアをノックする音が聞こえた。
ついに夫が帰ってきたと思い、勢いよく玄関のドアをあけた。
そこには一緒に戦場へ向かった戦友と共に、夫の姿があった。その時の戦友が何をいったのかは覚えていない。ただただ、夫が帰ってきてくれた事が嬉しく、涙を流して感謝を述べたのだけは覚えている。
こうして私は、毎日夫とゆっくりとした日々を送っている。これが私にとっても、夫にとっても、きっと良い過ごし方だと思っているから――――。
「なぁ、そういえばアイツの奥さん、大丈夫か?」
戦場に赴き、命からがら帰ってきた男性が酒場で同じ戦友とぼやく。
週末は酒場で飲み、心の中で燻っていることを無理矢理なかったことにして、勤めて明るく振る舞っている。生きたまま帰ってきてしまった負い目を晴らすかのように。そうするには酒が必要不可欠だ。
「多分、あれは駄目だろうな…」
お酒を片手にくいっと飲んで、ボヤいた。その目は同情と、悲しい思いとが入り混じった目をしていた。
「俺らがした事は、果たして奥さんにとってよかったことなのか、今でもさっぱり分からない」
タバコに火をつけ、煙を口から出しながら吐露する。
今日街並みで食料の買い出しを行っているのを目撃してしまったから、こうした重苦しい空気が流れている。
「アイツは未熟者だったけれど、国の為に、そしてなんといっても奥さんの為に頑張っていた。なのに、なんで終戦間際に地雷を――――」
「よせ、それ以上は話すな」
重苦しい雰囲気を、遮る。
未だに後悔している戦友達。あの光景は一生心に刻み込まれたままだろう。
目の前で、同じ戦地をくぐり抜けてきた戦友が、地雷を踏み抜いた瞬間を見てしまったのだから…。
「話すなって言われたって、奥さんをみたら考えてしまうよ。地雷は軽いものだったから、右足が吹き飛んだままで済んだけれど…」
「だけどよぉ、あの時は衛生概念なんてあってないようなものだったし。右足が吹き飛んだらそりゃあもう…」
戦時中のことを思い出す。手当らしい手当もなく、負傷した者に対して行われるのは、布で無理矢理作った包帯で巻かれることのみ。消毒すらされず、日々簡素な敷物の上で、痛みと戦いながら死んでいく者が多かった。
戦場へ赴くものに対して、何を渡されたかといえば、戦力となる者に対しては銃を。戦力外とされていた女性には爆弾を身にまとい、敵の場所へとただ歩かせた。時には子供すらも、勝つためならばと上からの指示によって、武器として扱っていた。
「その後の、アイツの言葉が重かったな」
そこで全員だまり、お酒を飲んだ。
目は伏し目がちで、誰もお互いを見ようとはしない。
それだけのことを、自分達はしてしまったという責任を各々は感じていた。
冷たくなった戦友を、抱きかかえた感触は忘れない。そのことを家族に知らせなければならない重さを、忘れはしない。
「右足がなくなったら、きっと今のままでは不自由をかけるから。それに苦しんでいくぐらいなら、ならいっそ、自分の命を――――」
「命なんて、そう簡単に差し出せるものではないのにな」
「けれど、そのあとの生活のことを考えたら、アイツの気持ちもわからなくもないが…。あれは過酷な選択だったな」
戦時中であったとしても、義足という存在は知っていた。だが戦争が始まる前から義足は高額であり、戦後はさらに高値になった。戦前の義足だとしても、とても庶民が手を出せる金額ではない。兵士として戦地に赴き、報酬金をもらったとしても釣り合わない。
「アイツさ、これ以上人様に迷惑をかけたくないからって…」
「自分でナイフを握りしめて、首を―――――」
「最期のアイツの泣き笑いは忘れられねぇよ。なんでアイツが…」
「そうはいっても、戦時中だし、死者はたくさんいる。俺らと同じ思いをしている人はたくさんいるさ」
「かといってもな…」
彼は絶望していた。この無意味な争いに。どうしてここまで命を賭けなければならないのだろうと。常々脳裏によぎっていたが、無理矢理振り払っていた。もがいていた。愛する家族を護る為に。
けれど、右足が吹き飛んだことによって、今まで張り詰めていた緊張、そして背負っていた重圧に、押しつぶされていく日々…。
「ただ、アイツの奥さんに無事届けられたのは不幸中の幸いかね」
「そこまで損傷も激しくなかったし」
「けどさ、アイツの奥さん、肉類一切買ってないんだよな。けれどパッと見た感じ健康的なんだよ。不思議だわ」
「なんか必要最低限の物しか買ってないようだよな、不思議なものだ」
「けど、戦時中なのにきちんと奥さんにアイツを届けられてよかったよ」
ようやく少量の、ほっとした息を吐き、お酒を飲む。釣られて他の人達もお酒を飲む。
飲んでいないとやっていられないような雰囲気に包まれていた。
「そういえば街中ですごい美人なお姉さんをみかけたんだよ」
「え?まじで?どこ情報よ?」
こうして男たちの会話は楽しい話題へと変わっていく…。
「小高い丘に住んでいる夫婦?の話って知っている?」
15時頃、喫茶店に居る婦人が2名、話をしていた。
どちらも元々は夫婦の友人であり、仲が良かった。
「あぁ、あそこはね…。仕方ないよ…」
「え?情報知っているの?教えてくれる?」
前のめりになりながら、情報を知りたいと思う友人。
そして、うつむいたままポツリポツリと話す友人。
「一応旦那さんは帰ってきたみたいだけれど…。戦時中だし…。」
「あぁ…そっか…」
少ない言葉だったが、それだけで言わんとする事は伝わってきた。
二人共少し沈黙が流れた。
二人には夫は帰ってこなかったものの、二人で慎ましやかに暮らしている。街なかでこじんまりとしたアパートを借りながら、働きつつ助け合っている。
「いつか、立ち直れる日がくるといいけれど…」
私はそっと冷凍庫の中身を確認した。中には貴重なお肉がぎっしり詰まっている。
見よう見まねで解体してみたが、案外コツを掴めば解体するのは楽だった。
貴重品となっているお肉がこれだけ豊富に揃っているのは嬉しい。燻製にしている分もある。だが、いつかこのお肉は消えていく。日々消費しているから、仕方がないのだ。
これだけのお肉を蓄える事ができたのは、夫が帰ってきてくれたからに他ならない。夫と同じ戦友の方々には感謝してもしきれない。
最初は初めて食べるお肉だったからこそ、抵抗は合ったものの、徐々に慣れていき今では臭みも独特の癖もなく、食べる事ができる。夫もきっと喜んでいるに違いない。
夫をいつもの椅子からそっと抱きかかえ、ゆりかご椅子に座りながら外を眺める。夫が戻ってきたから、それでいいんだ。
そうやって自分に言い聞かせている。
けれど、夫もいつか、近い内に居なくなってしまうだろう。
なんせ頭部しかないのだから。
冷凍庫に閉まってあるお肉はすべて、夫のお肉だ。
夫のお肉が尽きたら、それか頭部が腐っていったら、私は彼の後を追おう。
家の周りに敷き詰めた彼岸花を眺めて私は、また同じ日々を歩んでいく。
二作品目でしたが、どこで夫の状況を暴露するか悩みました。
最後まで隠し通すか、最後ですべて話してしまうのか…。
簡単なメモには隠し通す方向だったのですが、結局すべて話す方向になってしまいました。
拙い文章ですが、読んでいただきありがとうございます。