第37話「熟練新人冒険者③」
「今度はなんだ?黒い破滅鹿?」
「アイツの名前は黙示録鹿さ。その名前の由来は、四本の角が天に祈りを捧げている様に見えるからとも、天に祈りを捧げる人間の祈りは、そもそもこの鹿の角を真似たとも言われている。そんな、古来から生息している獣だよ」
種族名が明かされた事により、モンゼとブルートは素早く危険動物図鑑を開いた。
モンゼは前から、ブルートは後ろからページをめくっていく事で、効率よく調べる事が出来る。
それを繰り返していけば、その内、全ての内容を覚えられると、ワルトナが指示を出したのだ。
「ありましたぞ!黙示録鹿、ランク7を超える危険生物だと書かれております!」
「だろうな。今目の前にいる個体も、片方がレベル8万を超えている」
破滅鹿を斃し先に進んでから、約30分。
一行は既に森の奥まで足を踏み入れており、何度か戦闘を行っている。
害敵を目視したソクトとシルストークは二人で出撃し、剣の威力にものを言わせて切り捨てる。
指導教官として近くにリリンサが控えているので、事故が起こる心配もない。
だからこそ、見知らぬ二匹の獣が現れても慌てる事はなく、ソクトとシルストークは走り出そうとして――リリンサに止められた。
「あの鹿に近づいてはダメ。二人とも減点!」
「そう……なのか?」
「ぱっと見た感じ、動きが鈍そうだけど……?」
「その理由はブルートとモンゼが持っている本に書かれている。ん、読みあげて!」
リリンサに促されたモンゼは、出来るだけ黙示録鹿を刺激しない様に、静かな声で語り出した。
『黙示録鹿』
*動物界
*脊椎動物亜門
*哺乳類網
*偶蹄目科
*シカ族
*沈黙種
体長2m、体高1.5m(角を含めれば2.5m)、レベルが60000を超える四足歩行獣。
一見して草食獣の様であるが、実際は雑食性であり肉も草も食べる。
何でも喰らう大食漢であり、『黙示録鹿の群れが通った後には、草一本も残らない』とは比喩ではない。
そして、その戦闘力は同レベル帯の危険生物と比べても高い。
名前の由来には諸説あるが、確実に言える事は、黙示録鹿を前にした冒険者は、天に祈りを捧げる者のように沈黙する事になる。
雄々しき角に刻まれた魔法紋の影響がある周囲5mの範囲内では、バッファ魔法が無効化され、屈強な戦士も『普通の人間』に成り下がるからだ。
それはすなわち、人間が持つ身体能力だけで近接戦闘を行うという事であり、踏み殺される冒険者が後を絶たない。
危険生物としての脅威度は『特A~特B』クラス。
※ただし、攻撃魔法が使える魔導師がいる前提であり、前衛職だけの場合、危険度は増加します。
というかそもそも、前衛職だけでは勝ちようがありません。速やかに逃げても追いつかれます。合掌。
「……と、このような説明となってますな」
「そう。野生動物とは違い、人間の体は軽く力も弱い。それをバッファで補っている訳だけど、それが出来なくなったら普通に惨殺される」
「あの、それはリリンサさんでも難しいという事ですかな?」
「んー。たぶん勝てる、はず。私はあの鹿よりももっと意味不明な動きをする危険生命体と、バッファ無しで戦った事がある」
「仮にも幼女なリリンサさんが、どうしてそんな危険な目に?」
「そいつは私の師匠、『筋肉露出卿』。魔法の練習がしたい私に肉弾戦を強いてきた変態!」
「字面がヤバいですな。完全に不審者ですぞ!」
そう言ったモンゼは空に向かって十字を切り、「おぉ……神よ!この幼女に、変態を近づけさせない加護を与えたまえぇ!」と祈りを捧げた。
それを後ろから眺めていた魔導師組は「それだと、お前も近づけなくなると思う」と心を一つにしている。
「はいはいー、格闘の世界チャンピオンたる、ボディファントム様の悪口は置いといて、僕らは黙示録鹿を斃して先へ進むよ。エメリーフ、ナキさん、キミ達の出番だ」
「……分かったわ。この凄そうな杖を使う時が来たのね」
「は、はい。頑張ります……」
二人の胸に抱かれているのは、ワルトナが二人に貸し付けた高級魔導杖。
青い宝珠と流れる水の意匠が綺麗な『水質杖―ピュア』を持つのは、ナキ。
緑の宝珠と吹きすさぶ風を意匠とする『暴風杖―トルネア』を持つのは、エメリーフ。
それぞれ、自分の適性に合った属性の杖を与えられており、その性能は以前所持していた杖と比べるまでもない。
「ナキさんは水魔法、エメリーフは風の魔法の適正が高い。で、その杖は他の属性魔法が使いにくくなる代わりに、魔法の威力を三倍くらいにしてくれるものだ」
「威力が三倍って……三倍大きい氷結杭が撃てるってこと?」
「その解釈は少し違う。速度や硬度や破壊力、全ての要因でロスが無くなり、品質の悪い杖を使ったときよりも三倍くらい性能差があるよってこと」
「うーん?ちょっとした要因が掛け合わさることで、全然違う威力になる?」
「正解。魔法は神の摂理によって決められた物を取り出しているから、上限値は決まっている。大きさや形が変わってしまうのなら、それは別の魔法になっちゃうからね」
「ちょっと待って、おかしくないかしら?だって、ワルトナの氷結杭は形が全然違うわよ?」
「それはね、氷結杭はそういう可変性があると定められた魔法だからだよ。例えばそうだねぇ……粘土。買って来た四角い粘土をこねくり回してカッコイイ槍の形にしたって、それは粘土だよね?」
「そうね。粘土で出来た槍になる……。なるほど、だからワルトナの精密な氷の槍も、『氷結杭』で出来た槍なのね?」
「そういうこと。いいかい、水魔法の特性は『可変性』。何度も何度も造り直せるのが売りなのさ」
「夢が広がるわね。ちなみに、風魔法はどうなの?」
「風の特性は『不定形』。決まった形を持たないからこそ汎用性に優れており、破壊や防御も難しい。当然扱うのも難しいけど、そこら辺は努力次第だねぇ」
風魔法は扱うのが難しいと聞いたエメリーフは、決意と信念を秘めた瞳で杖を握りしめた。
周囲が急激に成長していく中、自分だけが取り残されるわけにはいかないとの思いが、幼い心を震わせているのだ。
「ねぇ、ワルトナ。私達の好きなように攻撃して見ていいかしら?」
「ほう?それはどうしてだい?理由を聞かせておくれ」
「私達は魔導師で、後方から指揮をする役割だからよ。始めからどう攻略すればいいか知っているワルトナに聞いたんじゃ……そうね、面白くないわ!」
「くっくっく。ランク8の化物を前にして、『面白くない』とはでかく出たもんだねぇ。だが、良い答えだ」
ワルトナは、ナキとエメリーフを指名した。
それはつまり、ソクトとシルストークがやったように、二人の力だけで目の前の生物を殺せるという事だ。
ナキは、己の中にあった、幼い頃の憧れを想い高めてゆく。
たまたま手に入れた小説に描かれていた、何でもできる魔法のイメージ。
大人となって、魔法とは決められたものを使用するだけだと知った落胆は、もうそこには無い。
気持ちが落ち着かせ周囲の風が凪いだ瞬間、高めていた魔力を解き放ち、ナキはランク6の魔法を放った。
「……ふぅ、《高地に広がる、氷の尖塔。鋭き切っ先を天へ向け、滴りたもうは、命の結露――悔悟の氷剣山》」
ゆっくりと振られた杖の軌道に沿うように、十本の氷で出来た剣が出現した。
その剣が纏う冷気は氷結杭とは比べ物にならず、比例して強度と硬度、再生能力なども高い。
ナキは今までの自分を大きく超えた事を理解し、誇らしげに笑った。
思い焦がれても届かなかった『ランク4の魔法を攻撃に使う』という、近くて遠い目標。
そんな小さい目標はとうに過ぎ去り、ランク6の魔法を発動出来たという自負は、錯乱した自信を取り戻すには十分すぎる魔法なのだ。
「やるわ。エメリ、追撃の魔法を唱えておきなさい!」
「分かりました!《晴天は曇天の空へと変貌し、世界は失意に覆われた――》」
「《突き、削ぎ、昇華させなさい、悔悟の氷剣山!》」
パシュッ!っと空を凍らせて、十の氷剣山が黙示録鹿に向かう。
この魔法は、氷結杭程の可変性はない。
その代わりに、初期状態から精錬された形状をしており、射出速度は熟練の剣士の突きと同等だ。
それは、ナキから見れば刺突攻撃であり、部外者から見れば流星であり、黙示録鹿から見れば弾丸だった。
亜音速で飛来する鋭き切っ先は、ありえない反射速度で二匹の黙示録鹿へと届きーー。
ガガガガンッ!と4発、悔悟の氷剣山がいなされた。
2匹の黙示録鹿は巧みに角の側面で受け流し、残り6本の氷剣もその目に捉え、角を振るう。
その瞬間、勝負は決したのだ。
過ぎ去った剣が反転し、破滅鹿の胴へ深々と突き刺さった。
さらに肉を瞬間凍結させて、深々と抉り取る。
「《暗黒の渦よ轟いて、破壊の力を循環させよ――巻き戻す積乱雲!》」
剣が反転したのはエメリーフが唱えたランク6の魔法、『巻き戻す積乱雲』に導かれたからだ。
ナキとエメリーフは、ワルトナから新たな魔導書を託され、性能の説明を受けた時には既に、この連携を考え付いていた。
「いいかい、エメリーフ。なにも直接的な攻撃だけが全てじゃない。周囲の物と状況を利用するのが、風魔法の真髄。キミは、戦場の支配者になれる素質があるんだよ」
漠然と言われた事だったが、ナキはそれを自分なりに理解して弟子に教え、エメリーフも師に従った。
出来あがったのは、一定区間内の空気を循環させ、内部の敵を閉じ込める魔法結界。
その荒れ狂う風は黙示録鹿を害する為の物であり、この場で最も鋭き物――悔悟の氷剣山を含んだ、恐ろしき、殺陣。
剣を扱えない魔導師が辿りついた、剣激攻撃。
奇しくも、その攻撃力は熟練の剣士のそれを軽々と凌駕している。
「あらら、これはちょっとやり過ぎだねぇ。素材として売れそうもないや」
歪に蠢いた風が収まり、ボトボトと肉塊が散らばった。
むせ返る様な鉄の匂いは、霧散した血液の香りだ。