第17話「連鎖猪」
「ナキッ!私達が引きつける!!その隙に陣形を整えろ!!」
「分かったわ!」
一度は呆然と立ち尽くしてしまったソクト達も、状況を把握してからの動きは早かった。
的確に後衛に指示を出し、ソクトとモンゼは素早く荷物を下ろして武器を構える。
出来るだけ体を大きく見せ、連鎖猪へ威嚇と牽制を仕掛けているのだ。
「ナキ姉ちゃん!!なにあれ……。あの化け物、なんなの!?」
「アレは……連鎖猪よ。シル、陣形を取りつつ、私の周囲に集合しなさい。リリンサとワルトナもよ」
唐突に表れたその群れは、ソクトを中心とする『轟く韋駄天』にとって希望であり、……絶望となった。
連鎖猪の角は、ヤミィルを救う為にソクトが求めている物であり、どんな手段を使っても手に入れようと思っている、最優先目標だ。
だがそれは、命を支払っても手に入らないものだったかもしれないと、轟く韋駄天のメンバーは思った。
体長3.5m、体高1.7m。総重量600kg。
純然たる筋肉の化身からは、鋭い角が2本飛び出しており、その角の先端部から計測したのなら、全長4mを優に超える――化物。
そんな狂気の害獣が5匹、ソクトやモンゼの前に聳え立っている。
事もあろうに、敵意の眼差しをソクト達に向けながら。
「姉ちゃん!?あんなの無理だよっ!!あんなの、誰にも勝てないじゃん!逃げようよ!」
「そうはいかないわよ。せっかく見つけた獲物だもの。それにあの角があれば、あんた達のシスターは5年も寿命が延びる。みすみす逃がすわけないでしょ」
「角はもういいから!大丈夫だふぁふぁふふ!」
「ちょっと黙っててくれるかい、シルストーク。イノシシが興奮しちゃうからさー」
余計な事を口走りそうになったシルストークの口にドライフルーツを突っ込みつつ、ワルトナは杖を構えた。
その堂々たる姿に、ナキは勿論、エメリーフやブルートまで『カッコイイ』と息を飲む。
理性では、ナキも逃げるべきだと思っている。
だが、数年間森を探して回っても、子供の連鎖猪を一匹見つけただけ。
これから――、正確に言うならば、ヤミィルの命が尽きる1年後までに、再び出会える可能性は低いと思ったのだ。
内心では、湧き上がる恐怖心を押さえつけていたナキは、ワルトナの落ち着いた表情と態度を見て、奮い立つ事が出来た。
魔導師としての役割を果たす為、杖を構えながら戦略を練り始める。
……なお、視界の端でリリンサが可愛らしく準備運動を始めたのは、見ない様にしている。
「ワルトナ、あんたは連鎖猪を知ってるって言ったわね。情報を寄越しなさい」
「あれ?知らないのに獲物にしようとしてたのかい?」
「一応調べてあるわよ。でも、見た文献と大きさが違いすぎるわ。長さも高さも、1.5倍はあるわね」
ナキ達が連鎖猪を調べるのに使ったのは危険動物図鑑であり、このように記載されている。
そして、そのページを記憶しているワルトナは、くすりと笑みをこぼした。
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『連鎖猪』
*動物界
*脊椎動物亜門
*哺乳類網
*偶蹄目科
*イノシシ族
*イノシシ種
体長2m、体高1.3m、レベルが30000を超える四足歩行獣。
不意に出会ってしまえば、恐ろしき未来が叩きつけられると言われており、地域によっては指定害獣にも認定されている。
なぜなら、連鎖猪は群れで生活しているからだ。
群れを構成する匹数はまちまちだが、少なくとも5匹以上。
その名の通りに完璧な連携を繰り出し、レベルが6万に達する超級の危険生物であっても、縄張りに入ってきた者は狩り殺す。
さらに、直系20cmの角が繰り出す刺突撃にも注意が必要だ。
危険生物としての脅威度は『特A~B』クラス。
※上記の脅威度は最小群れ数での話であり、50匹を超える群れは手に負えません。
凄く運が良ければ逃げられるので、頑張って逃げましょう。
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「あー、ナキさんそれ、読み違いしてますねぇ。『体長2m、体高1.3m』そしてレベルが30000を超える。……じゃなくって」
「えっ。」
「成体になると、確実に、『体長2m、体高1.3m、レベル30000』全て超えて、無尽蔵に成長するって事なんだよ。……書き方が悪いねぇ、不親切だねぇ」
「え”っ。」
「ちなみに、あれは平均サイズ。もっとデカイのもいるし、もっと小さいのもいるけど……良かったですね。最小群れ数の5匹ですよ」
「……前に出会った時は一匹だったわ」
「たぶんその連鎖猪、子供で、しかも怪我してたでしょ?」
「……してたわ」
「どっかから攫われてきた連鎖猪だったんでしょうねぇ。空を飛ぶドラゴンとかが、間違って落したんだと思いますよ」
ナキは、絶句した。
こんな状況でなければ鼻で笑い飛ばしたであろう情報も、目の前で「ブモウ!」「ブモウ!」と興奮している様を見てしまっては信じるしかない。
再び挫けそうになる心を必死に取りつくって、ナキはワルトナへ声を掛けた。
現状、連鎖猪の強さを知るワルトナが、唯一の頼りなのだ。
「で、勝算はあるのかしら?どうすれば勝てるの?」
「あぁ、5分も掛らずに終わるよ。余裕で全滅だ」
「あれ?案外大したこと無――」
「ソクトさんとモンゼさんは、戦闘開始およそ20秒で死亡。前衛職を失ったナキさん達は逃亡を選択するも、5対4の戦いだ。一人に一匹ずつ刺し殺されて、たまたま刺し所が良かった人が息絶えるのが5分後って所だね」
「ひえっ。」
「ほら見ておくれ。一匹だけランク5がいるだろう?戦闘経験豊富なボスって事さ。コイツは森の奥、高ランクの超危険生物が闊歩する場所で生き抜いてきた証で、脅威度は……そうだねぇ、特Aくらいかな?」
「と、とく……A?そんな、ばかにゃ……。そげにゃぁぁ……」
脅威度・特Aという言葉を聞いて、ナキは頭を殴られたような衝撃に襲われている。
フラフラと足元がおぼ付き、横にいたシルストークとブルートが支えたくらいだ。
その顔色は悪く、ポロポロと涙を流しており、事態の深刻性をシルストーク達に伝えるのは十分だった。
「姉ちゃんがこんなになるって、そ、そんなにヤバい奴なのかよ……?ワルトナ、脅威度・特Aってなんだよ?」
「脅威度・特Aというのは、人口100名以下の町村が壊滅するレベルってこと。つまり、アイツらがやる気になったら100人ぐらい余裕で虐殺できるよ。アレを倒せる冒険者が駆け付けるまでの短時間でね」
「ひぇっっ。化けもんじゃん……そんなの、化物じゃん……」
「ま、普通に化物だよねぇー。……リリン」
「ん。」
もはや、戦線は崩壊していると言ってもいい。
前衛職のソクトとモンゼは、連鎖猪へ威嚇をしつつ距離を保ち、司令塔であるナキから指示が来るのを待っている。
だがソクト達は、目の前の化物へ全ての意識を向けている極限状態であり、他の音は耳に届いていない。
指示を待ちつつも、耳に入らないのだ。
そしてナキの心は折れ、震えるようなか細い声で、「にげ、にげ……逃げなくちゃ……そく、もんぜ、にげ……」と狼狽している。
熟練の冒険者パーティーであるからこそ、連鎖猪との力量差が分かってしまった。
ソクトとモンゼが卓越した技術で時間を稼げているだけでも、上等なのだ。
そんな大人達を横眼で見たリリンサは、ふんす!と鼻を鳴らして、一歩、前に出る。
「ワルトナ。準備運動おっけー」
「よしよし、それじゃイノシシ退治だ」
「えっ。」
「リリンは剣で足止めをよろしくね。トドメは僕が差すからさ」
「……ん。私は剣士!イノシシ程度、問題ない!」
「え”っ。」
「張り切ってるねぇ、可愛いねぇ」
「実力を見せる時が来た。ちょっと本気出す!」
「え”。え”。……ちょっと待ちなさい!」
張り切る二人の少女に水を差したのは、顔面蒼白なナキだ。
その声にむぅぅ。と頬を膨らませたリリンサが反応。
邪魔をしないで!とジト目を向けた。
「今、良い所。邪魔をしないで欲しい!」
「じゃ、邪魔……。ううん、だめよ、危険だわ!!」
「危険じゃない。あんなの瞬殺できる!」
「そげなばかにゃ!?もし、もしもよ、仮に勝てるのだとしても全員で連携をするべきだわ。私の魔法と、そうだ、ワルトナの氷結杭で牽制して……」
「いらない。……シルストーク、ちょっといい?」
ナキとの会話が面倒になったリリンサは、ナキにしがみ付いている新人剣士のシルストークへ語り掛けた。
さらに、ブルートにも声をかけたリリンサは、平均的な物知顔を二人に向けて、連鎖猪を指差す。
そして、シルストークとブルートは、完全に怯えている。
「今から私が剣技を披露する。よく見ていて欲しい!」
「あ、アレを斬って来るってのかよ!?」
「そう。そして、これからはあなた達も、これくらいは出来るようにならないといけない。そうだよね?ワルトナ」
リリンサはワルトナへ視線を向け、同意を求めた。
一応杖を構えつつも、ソクト達が頑張って時間稼ぎしている姿を楽しげに見ているワルトナは、視線を変えずに答える。
「そうそう。言わなくても分かると思うけど、結界が壊れてるのは確定だねぇ。穴の大きさが2mで済んでればいいんだけど」
「うん。それ以上なら、ドラゴンとかいるかも?」
「そういうこと。シルストーク、エメリーフ、ブルート。本当の冒険者の戦いってのはこういうもんで、キミ達はこうならなくちゃいけない。よく見ておきたまえ」
その頼もしい声を聞いて、シルストーク達はそれぞれ思い出す。
リリンサとワルトナに借りた魔導書。
それに記された魔法を使った戦闘とは『別次元の世界』だと、予め受けた説明を思い出したのだ。
「ん。そろそろ時間稼ぎも限界のようだ。リリン、行ってきて。《瞬界加速》」
「分かった!」
「じゃ、僕もやることをしようっと。んーあーんーあー……。ソクトさんッ!!モンゼさんッ!!足止めするから退いてぇぇぇぇぇぇッ!!」
その迫真の演技での叫びは、極限の緊張状態だった二人にも届いた。
それは、求めていたナキの声ではなかったが、それでも条件反射が働いて、攻撃魔法の通り道を開ける為に左右に飛びのく。
だが、そこを通ったのは、攻撃魔法では無かった。
……攻撃魔法よりも恐ろしき、理不尽。
新人冒険者剣士、リリンサ・リンサベルだ。
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ワルトナが叫ぶ、10秒前。
連鎖猪を前にして、ソクトは必死に剣を振り、威嚇と牽制を仕掛けている。
どうにか勝機を見出す為に、恐怖心を押し殺して行動を起こしているのだ。
……どうするっ!?どうするっ!?
さっきから陽動を仕掛けているが、連鎖猪の陣形が崩れないッ!
これでは攻撃が出来ないぞッ!!
指示はどうした、ナキ!
もしや詠唱に入っているのか!?それなら、一瞬でも隙を作れば、私がなんとかこじ開ける!!
魔法だ、ナ――。
「ソクトさんッ!!モンゼさんッ!!足止めするから退いてぇぇぇぇぇぇッ!!」」
それは、待ち焦がれた声。
魔法を詠唱しているナキは声をあげる事が出来ない。
だから、代わりにワルトナが声を張ったのだとソクトは理解した。
すぐに左右に飛びのき、ナキの最大攻撃魔法『火炎の鞭』が通る道筋を創り出す。
だが――。
「ん。よく見てて!」
「……ふぇ?」
ソクトの目の前を通り過ぎていったのは、魔法ではなく可愛らしい少女だった。
声が掛けられたおかげでギリギリ認識出来たが、実際には目で追えていない。
それでも、遠ざかる後ろ姿を見れば、それが何なのかを理解出来た。
「危険だッ!戻れッッッ!!リリンサァァァァッッッ!!」
「ん。一匹目!」
吹きすさんだ突風。
それが連鎖猪の真正面まで来たとき、フォォォンという、金属楽器のような音が鳴った。
連鎖猪の真正面まで走り抜けたリリンサは、大岩に水を掛けた時のように、流れる様な動きで連鎖猪とすれ違った。
そしてその軌跡に、二つの影が浮かぶ。
両断された連鎖猪の右前脚と右後脚が、宙を舞っているのだ。
「……ふぇぇぇ?」
ぐらり。っと大きな影が揺れて、大地に落ちた。
舞う土煙と轟音に、ソクトとモンゼの……いや、ワルトナ以外の人物の視線が釘付けになる。
そこから最初に抜け出したのは、熟練の前衛職たるソクトだった。
すぐに応援に駆け付けようと、視線はリリンサを探し――。
その目が取らえたのは、宙を舞う6本のたくましい脚と、崩れゆく3匹の連鎖猪。
刃についた血液が道筋となって輝く光景は、美しいとすら思えるもので。
「……ふぇぇぇぇぇ?」
最後の一匹、最後尾に構えていたランク5の連鎖猪は、目の前の外敵に反応し牙を振るっている。
今度こそ危険を感じたソクトは、一心不乱に走り出し、そして―――。
「えい!えい!えい!えい!えーい!」
「ブモァアアアアアアアッ!!」
連鎖猪が、あっけなく惨殺される光景を見てしまった。
さらに、後ろから追撃の声が届く。
「いっくよー《氷結杭》」
地面に倒れ暴れている連鎖猪は、超高速で飛来した全長2mはあろうかという意味不明な氷の槍に貫かれ、一撃で絶命。
それは、ソクトやモンゼ、とりわけ魔導師たるナキにとって、ありえない事態だった。
『一度放った攻撃魔法は、一直線にしか飛ばない』という……常識。
それを全否定する様に、ワルトナの氷結杭は地面に落ちていた連鎖猪を縫い合わせるように貫き殺し、まるで手芸をしていたかの様な動きで帰還。
帰って来た赤く変色した氷結杭を指パッチンで消滅させたワルトナは、リリンサ以外のへたり込んでいる全員へ声を掛けた。
「どうかな!?どうかな!?ソクトさんに褒めて欲しかったから、僕達、頑張っちゃいました!」
「「「「「「……ふええええええッッッ!?」」」」」」