リギア堂のお話 その3 <日食>
亦孔之醜 おお何という忌まわしさだ
彼月而微 月は虧け
此日而微 日さえ虧けるか
(『詩経』――十月之交)
* * *
日食――。日中に観測可能な唯一の天体ショー。
国によって吉兆か凶兆かは異なりますが、ここガンデア国では凶兆ととります。
そして今日は皆既日食が起きる日なのでございます。
国中の人が家中の戸や窓を締め切って、朝から立てこもっていらっしゃいます。
このクランサの町も例外ではありません。普段は一日中商人達の声が飛び交うこの町がこんなに静かなのは、聖行の日以外見たことがありません。
「周りがこんなに怖がっていると、こっちまで怖くなってくるね。」
リュウは笑いながらそう言うと、あたくしを抱き上げて外に出ました。
そのまますっと飛び上がると屋根の上に移動し、あたくしを降ろしました。
無造作に足を投げ出して座り、目を細めて太陽を見やると、リュウは低く呟きました。
「そろそろ始まる」
――そろそろ、来る。
あたくしは髭がピリピリ震えるのを感じながら太陽を見つめました。
はたして、その方はやって来られました。
月が太陽に重なり始めた瞬間に、辺りをその金色の炎で照らしながら。
「リギア堂店主、リュウ殿とお見受けいたすが、如何かな?」
彼――彼女かもしれません――の声は、想像していたよりもずっと明瞭で、凪いでいらっしゃいました。
「如何にも。お待ちしておりました。お会いできて光栄に存じます」
「待っていた?」
「ええ。今日誰かが尋ねてくることは前から知っておりました。誰とは特定できませんでしたが、皆既日食の日にいらっしゃるなんて、答えは一つでしょう?」
すなわち、三足の烏。
太陽の中に住む妖精、三本の足を持つ金色の烏。
「ほう、御慧眼恐れ入る。さよう、わしは三足の烏。本名は明かせないので――奴隷になってしまうからの――ラオとでも呼んでもらおうか」
ラオは笑いながらそうおっしゃると、小さく続けられました。
「良い眼をしておる。流石、あいつの息子じゃな」
リュウもあたくしも、その言葉に凍りつきました。
「父を、ご存知なのですか?」
リュウの問に、ラオはお顔を二十度横に向けて答えられました。
「さて、では本題に入ろうかの。これを、あいつから預かっておる」
と。ラオは羽にくくり付けていらっしゃった白い毛皮のような物をリュウにお渡しになりました。
「火浣布、ですね」
そう、真っ白なそれは火鼠の毛で作られた布袋でした。
「父は、これを私に?」
リュウが尋ねると、ラオは首を横に振っておっしゃいました。
「それはわしが持って来る際に用意した物じゃ。勿論差し上げるがの。中を、見てみなされ」
リュウがそっと袋の中身を取り出すと、出て来たのは一個の良く熟れたパパイヤでした。
「他に、何か言付けはありますか?」
パパイヤを凝視したままリュウが尋ねると、ラオは静かにお答えになりました。
「『私がリュウについて知っているのはこれだけだ』と、言っておったな」
「リュウ……」
あたくしがそっとリュウの顔を覗き込むと、リュウはあたくしを撫でながら頷きました。
「ああ、覚えてる、覚えてるよ」
「もし差し支えがなければ、何のことか話して頂けるかな?」
ラオは静かに口をはさまれました。
解っていらっしゃるのでしょう。リュウがこのままでは初対面の方の前で泣き出してしまうこと。そして、後々それを悔やむこと。
「ええ、勿論。」
リュウは顔をあげて微笑みました。
リュウが話を始めようと口を開いた瞬間、月は完全に太陽を覆い隠しました。
私が十歳――妖精の二十五歳くらいですね――のときの話です。
その頃私は、母とルビィと母のパートナー猫キノイと一緒に、母の郷の外れで暮らしていました。
そこに、一人の男性が訪ねて来ました。
長い金髪で、白いゆったりとしたローブを着た、人間で言うと三十歳前後の方でした。
母がその人を見たとき、ひどく驚いていたのを覚えています。
そして、その人は母を、リタではなく、ルイータ、と呼びました。
母は、私にこの人をこう紹介しました。母さんの友人の、別流派の、魔術士よ、と。
その人は手土産に何種類もの果物を持って来てくれました。その中には、私がそれまで見たこともなかったものも沢山ありました。
頬張る私をその人は微笑みながら見つめ、そして何が一番好きか、と尋ねました。私は、これ。初めて食べたけどこれが一番美味しい、と、そうです、パパイヤを指しました。その人は、パパイヤというんだよ、と教えてくれました。
そして、それが私と彼の交わした唯一の、挨拶以外の会話でした。来てから二時間程で、彼は慌しく帰って行きました。
これで、私の話は終わりです。
リュウの話が終わる頃には、太陽は半分弱、姿を現していました。
「そうか……。その男と、その後会ったことは?」
ラオの言葉に、リュウは首を振ります。
「そうか……」
ラオはもう一度そうおっしゃると、太陽を振り返られました。
「さて、そろそろわしは戻らねばならぬ。……何か言づては?」
「少し、お時間を頂けますか?」
リュウが尋ねると、ラオは少し羽を震わせ、タイムリミットを告げられました。
八分だ、と。
リュウは頷くと同時にあたくしを抱き上げ、店へと瞬間移動しました。
「どうすれば良い?」
リュウは荒く息をしながらあたくしに尋ねました。
「僕が父について知っていることは六つだけだ。名前、年、種族、容貌、母をルイータと呼ぶこと、そして……僕を想ってくれていること」
「落ち着きなさい、リュウ。見苦しくてよ」
あたくしはリュウの腕の中を抜け出して、床に降り立ちました。
「それだけ知っていれば充分ではなくて? いえ、最後の一つさえ知っていれば、ヒントは充分でしてよ」
あたくしはリュウの瞳を見据えました。
「魔術が何のためにあるか、忘れましたの?」
リュウははっとして目を大きく開きました。あたくしは頷いて続けます。
「貴方も、父上も、あたくしも、生命ある者でしてよ。」
あたくしの言葉が終わるのを待たずに、リュウは商品棚を開け、練香の入った香匳を取り出しました。
<リギア堂>では毎朝焚いて、店中にほのかに漂わせている香です。
リュウは再びあたくしを抱き上げ、ラオの待つ屋根上へと戻りました。
「これを父に渡して頂けますか?」
リュウが香匳をラオの目の前に差し出して聞くと、ラオはしっかりと頷かれました。それを確認し、リュウは鋭く唱えます。
「我が想いと、幸福の宿らんことを」
リュウは香匳を先程頂いた火浣布に入れ、ラオに渡しました。
「何か言づては?」
「<リギア>とは、魔術は生命ある者全てを救うためにある、の意です、と。そして、これがリギア堂の、私の香りです、と」
リュウの言葉に、ラオは力強く頷かれました。
「心得た。」
太陽は、もう十六夜の月の形をしています。
「達者でな」
「貴方も」
「またいつか」
短く言葉を交わすと、ラオは屋根から三本の足を離し、飛んで行かれました。
「さて、と。」
リュウはパパイヤを手に取り、ふっと笑いました。
「美味しそうなパパイヤだ。」
そしてあたくしを撫でました。
太陽に目をやると、太陽はいつものように世界を照らし始めておりました。
この作品は、友人から出された3つのお題を元に書いたものです。
その3つのお題は、<パパイヤ><カラス><アロマセラピー> でした。
リギア堂シリーズは、これからも続きます。
お付き合いいただけますと、幸いです。