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老齢の使用人

 マリカ嬢の来訪から、三日がたった。

 あの後お母様に、婚約を解消してくれないか交渉をしてみたのだが、「おかしなことをいうのね」と面白そうに笑い飛ばされて、エヴァンズ家にどれほどのメリットがあるのかを長々と説明されただけで終わってしまった。


 毎日毎日変わり映えがしなくて、むしろ歳を重ねるごとに、勉学の強制、監禁、婚約者の決定……と、環境はどんどん悪くなっていく。

 ここから先、自分がどんな生活をしているかなんて、考えたくもなかった。



 憂鬱な朝の課題を終えて、椅子に腰かけながら伸びをすると、ノックの音と挨拶とが聞こえてくる。


「入っていいよ」

 その言葉かけを確認し、一呼吸置いて「失礼いたします」と、老齢の使用人が入ってきた。

 家庭教師せんせいと大して歳は変わらないだろうに、勝手に部屋に入ってこないところが大違いだ。


「今日は、何の用?」

 また、誰か客人が来るのか? と、眉を寄せる。

 

 すると、彼は一歩前に出てきて、事務的に話しだした。

「ご主人さまより、言伝をお預かりしております。いま、お伝えさせていただいてもよろしいでしょうか」


「いいよ。それで、お父様は何と?」

 深く息を吐くと、使用人は深々と礼をし、口を開いた。


「ノット家、フォード家と共に鹿狩りをする。一時間以内に準備を。とのことです」



 鹿狩り、という言葉に興奮し、跳ねるように立ち上がる。

 鏡も見てないのに、両口角が上がり、目が輝いているのが自分でもわかる。


 森で銃を使った狩りをするのは、数少ない楽しみの時間の一つだった。

 自分で獲った獲物を自分で食べることができるというところが特に、達成感があってたまらなく好きだったのだ。



「アルバート、準備を頼む!」

 老齢の使用人に駆け寄ってその手を取り、にかっと笑う。

 支度に遅れて、置いていかれるわけにはいかないのだ。


 使用人のアルバートは、俺の態度の豹変ぶりに一瞬目を丸くしていたが、柔らかく微笑んできて、口を開いた。


「はい! 決して遅れることのないよう、急ぎ準備をさせましょう」


 彼は俺の手をぎゅっと握り返してきて、そう言ってくれる。

 「ありがとう」とうなずくと、なぜか「ええと……」と、少し言葉をためらう様子を見せてきた。



「他に、何か用があるのかい?」


「あの……恐れながら、ぼっちゃんはいつも心が張り詰めておいでに見えます。今日は、存分に楽しい時をお過ごしくださいませ」


 アルバートはそっと微笑みかけてきて、その顔には目元と口元にくしゃりと、柔らかいシワがいくつも刻まれていた。


「そうだね、そうさせてもらうよ……ありがとう」

 何故だか不思議だったが、笑顔を向けたかったはずなのに、泣きだしてしまいそうだった。


 彼の見せてくれた微笑みが、彼がくれたちょっとした言葉かけが、これまでにもらったどんなものよりも優しく思え、じんわりと心に染みてきて。

 握り返してくれた手袋越しの手の温度が不思議と温かく、確かなものに感じたのだった。



――・――・――・――・――・――・――


 手際のいいアルバートのおかげで準備はすぐに終わり、玄関を出た場所でお父様が来るのを待つ。

 銃や必要な物品は、隣で使用人が持ってくれていた。


 弟のナイルは恐らく来ないだろう。

 アイツは、俺とは反対に家にこもっているのが好きで、人嫌いなヤツだから。


 馬車の準備も済んだようで、玄関の前で止まる。

 お父様も準備を終え、玄関の扉を開けて出てきた。


「おお、準備が早いな」

 お父様は整えられたひげを撫でながら笑う。


「待ち切れなかったもので」

 そう話すと、お父様は馬車に入るよう促してきて、席に着いたらすぐに出発した。



 石畳の上を走っているのか、カタカタと馬車は小刻みに揺れ、車輪が回る小気味いい音が聞こえてくる。


 窓にかかった白いレースのカーテン越しに外を見ると、町の人々が右に左に行き交い、楽しそうに笑ったり、時には言い争いをしたりもしていた。


 そういえば、町に下りて遊んでいた頃もあったっけ。

 あれは、いつの頃までの話だったか……


 ぼんやりとそんなことを考えていると、隣に座っているお父様から話しかけられた。

「今日の鹿狩りは、ノット家とフォード家と共に行う」


「存じております」

 お父様の方に顔を向けて、答える。


 ノット家は、ネラ教会に多額の寄付をしてのし上がって来た家。

 フォード家は、由緒正しい貴族で、隣の地区の領主だ。 



「鹿狩りは……戦争だ」

 お父様は物騒な単語を持ちだしてきて、俺は思わず眉を寄せていく。


「戦争、ですか」


「ああ。狩りは社交の場であるが、その裏で、力を見せつけ合う場でもある」


 お父様のその説明に納得した。

 貴族にとっては、体裁ていさいや面目、プライドというものは、何よりも大事なものなのだ。

 遊びでさえ負けることを嫌い、裏工作をする者もいるくらいだ。


 バカバカしい、と思いながらも、そんなことを言えるわけもなく「なるほど」とうなずく。


 お父様は「お前の腕があれば、何も心配はいらないがな」と、声をあげて笑い、にたりと不気味に両口角をあげた。


「今日は、存分にお前の力を、あの勘違い貴族に見せつけてやれ。大貴族と呼ばれる、エヴァンズ家の力を、な」

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