気まぐれフィアンセ
「館の、探検……?」
わけがわからず、眉を寄せた。
婚約破棄について、早くお母様に提案したかったのに何たることだ。
俺のことを嫌っているなら、早急に帰っていただきたいのに……
口角をあげている口の中で、ぎりと歯噛みする。
「ええ。まさか嫌とは言わないでしょう? だって、将来私も住むお屋敷なんですもの」
マリカ嬢は立ち上がって、俺のことを見下すように見下ろしてきた。
舌打ちしたくなる気持ちを必死で抑えて、笑顔を繕い、声を発する。
「もちろんですとも。断る理由がございませんから」
──・──・──・──・──・──・──
それから、マリカ嬢と使用人を連れて、だだっ広い館の中を歩き回った。
長い間、閉じ込められていたこともあり、自分の家なのに、よくわからない部屋や、知らぬ間に配置替えをしていた部屋がいくつもあった。
「本当に変な人。自分の家のことなのに、どうしてわからないの?」
呆れたようなため息が隣から聞こえる。
説明するのも面倒で誤魔化すように笑うと、またマリカ嬢は不機嫌そうにむくれていた。
一階から順に上がっていき、最後の三階を回る。
三階の端の角を曲がったところには、俺の部屋がある。
だからこそ意図的に避けて、そばにある階段を降りようとしたのに。
マリカ嬢は奥に何かがあることに気がついたのか「曲がり角の向こうに何があるの?」と尋ねてきた。
「何もないです。あるのは掃除用具入れくらいです」
早く下に降りようと、階段に足をかけていくが、その様子がかえって怪しく見えたのだろう。
マリカ嬢は、じとっとした目を向けてきて、一人俺の部屋の方へと歩み始めた。
慌てて止めようとするが、時すでに遅く、俺の部屋を見つけてしまったようだ。
「なぁに、あの部屋? 変なの!」
扉を指差して、マリカ嬢は無邪気に笑う。
今だかつて見たことのない、可愛らしい顔をしていたが、その視線の先にあるのが俺の部屋だというのが、なんともいたたまれない。
「鍵が外側に付いてるって、設計ミスかしら」
くすくすと笑いながら、彼女はドアノブに手をかけていく。
「そこを開けてはなりません!」
慌てて止めたのに、マリカ嬢は俺の制止など知ったことかとばかりに、扉を開けてしまった。
部屋の中に一歩足を踏み入れ、マリカ嬢は首をかしげた。
「ここは、部屋? それとも……」
彼女の視線の先にあるのは、格子のはまった窓だ。
それとも、の後に続く単語は恐らく……
「お察しの通り、牢です。ここは部屋でありながら、牢なのです」
だから、早く出ましょう、と彼女を促す。
「牢屋……? それにしては豪華だけど、誰の……?」
怪訝な顔をしているマリカ嬢を見やり、作り笑顔で微笑む。
「私の……です」
「──ッ!」
マリカ嬢は目を白黒とさせながら、後ずさった。
その姿を見て、はっとする。
同情なんて、虚しくなるだけだとわかっていて、一つも欲しくもなんかないのに。
誰かに事実を言ったところで、何かが変わるわけでもないのに。
どうして俺は、苦手な婚約者にこんなことを話してしまったのだろうと、強烈に後悔した。
だが、ありがたいことに彼女は理由も何も聞いてこないまま「そう……」と呟くように言っただけ。
同情も、憐れみの視線も、好奇の目も向けてこないまま、そっと部屋を出て、最後まで触れずにいてくれていた。
――・――・――・――・――・――・――・――
「案内、ありがとうございました」
マリカ嬢は、お母様たちが待つ部屋の前で深々と礼をしてくる。
そばをついて歩いていた使用人は、彼女が“邪魔だ”と、途中で払ってしまっていた。
「こちらこそ、ありがとうございました」
何を、とは言わないが同じように礼をして、微笑む。
するとまた、マリカ嬢は不愉快そうな顔でため息をついてくる。
そんなに俺が嫌いなら、探検などせずに、さっさと帰ればよかったのに。
「マリカ様。私との婚約、お嫌ではないのですか?」
早く帰っていただきたいと思っていたはずで、こんなことを聞く気はさらさらなかったのに、あまりの態度に気が付いたらうっかり口に出してしまっていた。
マリカ嬢はその言葉にきょとんとしていたが、すぐに吹きだすように笑って、悲しげな顔を見せてきた。
「そうね、嫌かもね。私にはお慕いしている方がいますし」
「それなら……」
貴女様の母君に頼んで、この婚約を解消していただきたい。
そう伝えようとした瞬間、マリカ嬢は自嘲するように笑い、口をはさんでくる。
「我が、スぺイド家はエヴァンズよりも地位が下。もしも断りたいのなら、そちらでなさって」
視線を合わそうとしてこないマリカ嬢に、何も言い返すことなどできなかった。
恋い慕う男性がいるのなら、なおさら俺が断ってやりたい。
だけど……
下唇を噛みしめていると、マリカ嬢は寂しげに微笑み、こちらを見つめてきた。
「まぁ、できるわけ……ないわよね。貴方も私も自分は自分のものじゃないし、“宝石に囲まれて、皆にかしずかれること”が幸せだとお母様方は思ってるんだから」
「何言ったって無駄」と、諦めきってしまったかのような彼女の表情に、胸が締め付けられるように痛む。
身をもって感じている“自分は自分のものじゃない”という言葉に、心を深く抉られてしまう。
何も言葉が見つからないまま立ち尽くしていると、マリカ嬢は振り返ってくることもなく、扉のノブに手を添えて、呟いた。
「貴族の子どもなんて、やめられたらいいのにね」