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記憶にない女性

 どこまでも長い廊下を歩き、使用人が応接間の扉を開けていく。


 扉の前に使用人を残して一人、足を中に踏み入れた。

 きらきらとしたシャンデリアが吊るされ、あちらこちらに装飾金や宝石が飾られている応接間は、入ってすぐなのにもう既に居心地が悪い。


 中央にある派手な金細工のついたソファにはお母様と、婚約者となったらしいマリカ嬢。

 そして、マリカ嬢の母君が向かい合うように腰かけていた。


「バド、貴方もここにお掛けになって。家庭教師(せんせい)から事情は聞いたでしょう?」

 白い扇子で自身を優雅に扇ぎながら、お母様は微笑みかけてくる。


「ええ。突然の縁談話で、まこと驚きました」

 事実だけを言い、作り笑顔で誤魔化してお母様のとなりに腰かける。


 こんなところで“婚約を解消してほしい”など、そんなことを言うわけにはいかない。

 下手をしたら、あちこちのややこしい派閥に亀裂が生じたり、混乱が起きるのは、わかっているから。


 ひとまずこの場はやりすごし、交渉は後でお母様にしていくべきだろう。


 そう考えて、客人二人が帰るまで、演技に徹することに決めた。



 向かいに座るマリカ嬢と彼女の母君に一礼してから着席すると、マリカ嬢は俺に視線を向けてきて。

 柔らかく目を細めてきた。



 普段の彼女なら、不機嫌そうな顔でこちらを見つめてきて、当て(こす)りのような言葉を吐いてくるはずなのに。

 別人のような態度に、何があったのかと思わず勘ぐってしまうが、ひょっとしたら、彼女も母君の前だから自分を繕っているのかもしれない。



 それからしばらくは、お母様とマリカ嬢の母君とが、婚約のことや結婚のこと、互いの家のメリットのことを楽しそうにいつまでも話していた。

 それをマリカ嬢は無言のまま、にこにことした顔で聞いていて、俺は、繕った表情を顔に貼り付け、話を聞き流し続けた。


 息継ぐ間もなく続いていた二人の話が途切れを見せた時、それまで無言を貫いていたマリカ嬢が、そっと唇を開いていく。


「お母様がた、本当に申し訳ないのですが、(わたくし)そろそろ、バド様と二人でお話をさせていただきたいのですが……」



 その言葉にぎょっとする。

 彼女は何か、俺が困るようなことを企んでいるのではないだろうか。

 そんな思いも頭を(よぎ)った。


 だが、俺が話を拒否したいという思いを抱えていることは、誰一人として気づくわけもなく。


 お母様とマリカ嬢の母君は、「早速仲が良くて、嬉しいことだわ」と喜んだ様子で応接間から去ってしまった。


──・──・──・──・──・──・──


 俺たち二人だけが取り残された応接間は、しんとした静寂に包まれている。

 向かいのソファにいるマリカ嬢は、無言のまま視線を落とし、モスグリーンの瞳で、目の前のティーカップを見つめている。


 ふわふわとした癖のある長い黒髪を高い位置で二つに束ねていて、リスのように小柄で可愛らしい見た目と、隙あらば俺に噛みつこうとしてくる狂犬のような心を持っているマリカ嬢。


 こんな女性と、幼い頃に関わった記憶がまるでない。

 一体俺の何が、彼女の気に障ってしまったのだろうか。

 なぜ、いつも俺に噛みついてくるのか、いくら考えてみても謎のままだし、彼女のことがわからない。


 いまだって、この無言の空間が気まずくて仕方がなかった。



「バド様……」

 呟くように彼女は声を発し、顔をあげてこちらを見つめてくる。


 向けられた表情は、先程とはまるで違う、不愉快そのものといった顔だった。


「なんでしょうか?」

 下手に関わりたくなくて、嘘の笑顔を浮かべる。

 するとマリカ嬢はますますムッとした表情になってしまった。

 

 まるで、種を(ほお)にため込んだリスみたいだ。

 そんな呑気(のんき)なことを考えていると、彼女は嫌悪の色が浮かんだ瞳を向けてきて、刺々しい声を発してきた。



「相変わらず気持ちの悪い顔! どうにかできないの!?」 


 投げつけられた鋭い言葉に、わずかばかり心が痛む。


 気味の悪い顔だなんてこと、自分でもわかっていた。


 俺に興味がないのか、それとも気づいていないのか。

 誰一人として指摘はしてこなかったけれど、鏡で顔を見るたびに、俺は自分のことをこう思っていた。


 笑顔に感情がこもっていなくて、人形のようだ、と。



 だが、マリカ嬢に“私もそう思います”と返したところで、話がややこしい方向に向かうだけ。

 そう判断し、変わらず笑顔を貼り付け続けていく。


「貴女様にご不快な思いをさせてしまって申し訳ないのですが、この顔で生まれてしまった以上、私にはどうしようもないのですよ」


 反論をすることなく、誤魔化すように笑うと、マリカ嬢はなぜか視線を落とし、机の上に載せていた両手にきゅっと力を込めて、握りこぶしをつくった。



「貴方は……嘘つきよ……」


 微かに聞こえてきた声に首をかしげる。

 別にいま、嘘を言った覚えはない。


 恐らく、子どもの頃に何か俺が嘘をついてしまったのだろう。

 そんなことをいつまでも覚えているなんて、この女性はなんと記憶力がいいのだろうか。


 昔のことなのだから、いい加減忘れてほしい、と小さくため息をつく。



 すると、俺のため息が気に障ったのか、マリカ嬢は不愉快そうに顔を上げていく。

 そして、苛ついた様子で、口を開いてこう言った。


 「もう話はいいわ。せっかくだから、この館の探検をさせて頂戴」と。

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