罪人の部屋
「バドぼっちゃん、入りますよ」
ノック音が三回響き、来るのにはまだ早いはずの、家庭教師の声がする。
それに続いて、鍵が開く無機質な音が聞こえてきた。
扉が開いた音に驚いたのか、目の前にいた虹色の小鳥は、少しだけパンくずを残したまま、飛び立ってしまった。
数少ない楽しみの時間を邪魔をされたことに小さくため息をつき、家庭教師に視線を送る。
すると、齢六十を過ぎた白髪の紳士も、困ったような目でこちらを見つめてきていた。
「入ることを承諾した覚えはないよ。相変わらず、私のプライバシーはないんだね」
あきれた声を出して、嫌味ったらしく言う。
だが、大して効果はなかったようで、家庭教師は大理石でできた床を杖でカツカツとつつきながら歩き、笑顔を向けてきた。
「バドぼっちゃんのお声が聞こえたもので、心配になりまして。小鳥とお話されていたのですか?」
家庭教師は窓にたどりつくと、わずかに残っていたパンくずを胸元から取り出したハンカチで、外へと払った。
「あのとおり、ちゃんと勉強はしているよ。たまには少し休憩ぐらいいいだろう?」
机の上の資料を指差す。
それを見た家庭教師は「感心感心」と、満足げにうなずくが、細い目をわずかに開けて、再び口を開いた。
「ですが、朝の大切な時間に、休憩ばかりになっては困りますよ」
「仕方ないだろう。鳥がいつ来るかなど、私にはわからないし、いつ去っていくかもわからないんだから」
当て付けのようにため息をつくと、向こうも同じようにため息をつき返してきた。
「貴方様のお父上は、こんなふうではなかったのですがねぇ」
嫌味に似た言葉に顔をしかめて、無言のまま家庭教師を見やる。
そんな俺の態度に、この人は怯む様子も見せてこず、言葉を続けてきた。
「お父上が貴方様の歳の頃にはすでに、民の支配とネラ教会の教えに興味がおありで、勉強熱心でいらっしゃいましたよ。それなのに、ぼっちゃんときたら……」
毎度お馴染みのセリフを聞かされて、沸々と腹の底から熱い何かが込み上げてくる。
『俺は俺だ、お父様とは違う』
その言葉が喉元まで出かかって、慌てて飲み込んだ。
そんなことを考えなしに、数年前に言った結果がこれだ。
ただでさえ勉強ばかりの毎日だったのに、部屋には鍵をつけられ、窓には格子がはめられ。
教育という名の洗脳がエスカレートしているのだ。
お父様と比較してくる家庭教師に対し、怒りと悲しみに似た感情が沸き上がってきたが、反抗したところで結局は無駄なこと。
子犬が喚いているくらいにしか思われないだろうし、いま以上に事態が悪くなる可能性だって高い。
受け入れることしか許されていない俺は、あえてしょんぼりと落ち込んだ表情を作った。
「私が悪かったよ。勉学を、疎かにした」
謝罪の言葉に、それまで険しかった家庭教師の顔が途端に、ほころびはじめる。
「さすが、バドぼっちゃんでございます。貴方様ならきっと、ご立派にお父上のあとを継がれることと思っておりますよ」
自分にとって都合が良くなった途端、態度を変えてくるなど、この家庭教師はなんて現金な人なのだろう。
先程まで、ダメなやつだと俺のことを貶してきたのに。
あまりの変わり身の早さに、あきれの感情しか沸いてこない。
心の中で軽蔑されているとは知らずに、家庭教師は「引き続き勉強に励んでくださいませ」と言い残し、また錠を落として去っていく。
静かな部屋に響き渡った鍵の音が、やけに耳についてしまい、次第に息が荒く、苦しくなっていく。
エヴァンズ家にとって、都合のいい人形になること。
それが、生まれながらに自分に課せられた使命で。
お父様や、お父様を慕う人々にとっては、俺の感情も、夢も、心も、そんなものは邪魔なものでしかないのだろう。
必要なのは、お父様の血をひいた、この身体だけ。
──俺の“心”という存在は無用の長物で……誰からも望まれていない。
聞きたくもなかった心の声が頭の中で響き渡っていき、思わず両耳を押さえこむ。
やがて、小刻みに震えはじめた身体は、立つことさえ拒絶しはじめ、気がついたらその場に崩れ落ちていたのだった。