飛ぶ鳥の向こうへ ―下―
「おれの船に乗りたい、か。いいぜ」
にっと歯を見せて笑うライリーに、思わず目を見開く。
相手が何者なのかわからないのに“乗っていいですよ”なんて、この人はこんなにも簡単に決めてしまっていいのだろうか。
「いいって、そんなあっさり……」
あんなにも船に乗りたがってたわりに、あまりにも気楽に了承されると、反対に心配になってくるもんだから不思議だ。
「おれが団長なんだから、決めるのは構わねェよ。それにウチの船にいるのはワケあり野郎ばかり。むしろ歓迎するさ」
ひげの男は大きな腹を揺らしながら笑っている。
そんな姿に、困惑が止まらなかった。
「あの、俺こんな格好をしていますが、浮浪者じゃなくて貴族の息子です。エヴァンズ家から家出してきたんです」
何を余計なことを言っているんだろうと自分でも思ったが、言い出したら止まらなくなってしまい、結局最後まで話してしまう。
誰も面倒事を引き受けたがらないだろうし、内緒にしておこうと思っていたのに、計画が台無しだ。
「フン、そんなの顔付きと靴見りゃわかる。捜索されてたエヴァンズのぼっちゃんだろ? 俺ァお貴族さまが大嫌いだからわかるのさ」
ジョセフが俺のあごをぐいと上げてきて、笑いながら言ってくる。
乱暴なジョセフに恐怖心が植え付けられてしまったのか、何かされるたび、飽きもせずにびくびくと震えてしまう。
「おい、ジョセフ」
たしなめるライリー団長に、ジョセフは「はいはい」と手を離してきた。
「その様子じゃ、どうせねずみ男にからかわれたことも気づいてねーんだろ。能天気」
ぼりぼりとジョセフは頭を掻きながら、呆れた様子で言ってくる。
「からかわれた……?」
俺の問いにジョセフは何も答えようとせず、代わりにライリー団長が口を開いた。
「隣の貨物船の船番がよ“ガキの浮浪者がいつまで待っていられるかを賭けて遊ばねェか”と持ちかけてきたんだと。そんで、短気なコイツは“くだらねェことすんな”と、そいつをボコボコにしちまって、おれが隣の船長に平謝り」
じとっとした目を向けるライリー団長にジョセフは、うっと唸る様子を見せる。
「悪かったって!」
「謝り終えて、いなくなったジョセフを追いかけてきたら、今度はお前さんがボコボコになってたってわけだ。鎖でも買ってやらなきゃいけないのかね」
「人をしつけのなってない動物みてェにいうなよ」
ため息をつくライリー団長にジョセフは食ってかかるが、団長はやれやれといった様子だ。
「実際なってないだろうが。ノクスの方がよっぽど大人しい」
「ノクス!? アイツぁ、グリフォンだぜ!?」
ジョセフはライリー団長には勝てないようで、言い負かされてしまっている。
仲が良さそうな二人のやり取りが面白くて、だんだん笑いが堪えられなくなってくる。
「あはは、って、痛っ!」
思わず声に出して笑ってしまうと、攻撃された脇腹が痛んで、慌てて丸まる。
それでも今度は、こうやって笑える自分がなんだか面白かった。
声まで出して笑うなんて、一体何年ぶりだっただろう。
緊張の糸がほぐれて、ほっと小さく息をつくとライリー団長はあたりを警戒する様子を見せ、真剣な表情で声をひそめてきた。
「ウチの船だが、表向きはバレット商会、裏稼業は盗賊団。禁じられた歴史を追っていたヤツもいれば、貴族にケンカ吹っ掛けたヤツもいる。それでも来るかい? 貴族には二度と戻れねェかもしれないぞ」
盗賊団と聞いて“俺を盗んでお父様を脅そうとしているのではないか”という考えも浮かんだが、それはないという結論にすぐ至る。
世界を支配するネラ教会とも繋がりのあるお父様に歯向かえば、盗賊団なんて小さな組織はすぐに潰されてしまうのがわかったからだ。
無法者に堕ちることに一瞬だけひるんでしまったが、良く考えればかえって好都合かもしれない。
俺だってもう、実の親に銃を向けてしまった罪人なんだから。
「はい! それでもぜひお願いしたいです」
深々と頭を下げて頼みこむと、頭の上からジョセフの声が聞こえてくる。
「いや、だめだな……」
「どうしてですか!? どうすれば入団を許してもらえるんです!?」
すがりつくように言うと、ジョセフは大きくため息をついて、ぴっと人差し指を立ててきて。
「その話し方がまず最悪だ。さっきのは“了解っス!”これだけでいい」
「え……?」
言っている意味がさっぱりわからなくて首をかしげるが、ジョセフの顔は真剣そのものだ。
「とりあえず、馬鹿丁寧な言葉は止めて、上司と話す時は語尾に“ス”付けとけ。それが条件。俺ァ貴族言葉が大大大嫌いなんだ」
「だとよ。盗賊団三番手様の貴族嫌いは度を越してんだ。悪いが付き合ってやってくれ」
恐らくライリー団長もジョセフの出した条件がおかしいと思っているのだろう。
くつくつと笑っていた。
「わかり……じゃなくて、わかったっス。よろしくお願いします、っス」
たどたどしく言うと、ジョセフは満足そうな顔をして、俺の肩をバシバシと叩いてきた。
「おお、いいじゃねーか! 初めてにしちゃ上出来だ」
「はいっス」
褒められたことに気を良くして、にっと笑う。
こんな小さなことで褒められたのは、ひょっとしたらはじめてかもしれない。
「そんで、お前さんの名前は?」
ライリー団長が尋ねてきたため、ちゃんと自己紹介をしなければ、と、痛みを堪えて背すじを伸ばす。
「名前はバド。バド・エヴァンズっス」
はっきりとした口調で言うと、ライリー団長は頷き、両口角を上げた。
「素直そうで、いい名だ。ウチの船にいるのは気のいいヤツばかり。お前さんならきっと、すぐに馴染めるさ」
わしわしと頭を撫でまわしてくる団長の手が大きくて心地よくて、ネコでもないのに思わず目を細めてしまう。
「んじゃ、とっとと帰るぞ。今日からフライハイトの船がテメーの家なんだから」
ジョセフが“来い”と手で合図をしてきて、大股で歩きだす。
「了解っス!」
もう怖くは無くなっていた大きな背中を、小走りで追いかけていく。
お父様や家庭教師、アルバートやマリカ、これまで出会った誰とも違う不思議な雰囲気を持つ二人を見ていると、自然と口元が緩んでくる。
貴族と言う狭い世界で俺は異端だったかもしれないけど、世界が広がった今なら……
そんな希望を抱きながら海を見ると、とろんとしたオレンジの夕日が滲み、海に沈みかかっている。
やがてここにも漆黒の闇が満ちてくるけれど、必死に守って来たこの光は、誰にも消せさせやしない。
生きていれば、何度だって太陽は昇るんだって知ったから。
一人じゃないって、ようやくわかったから。
二度と絶望なんかしてやるもんか。
夕日に包まれながら羽ばたく鳥の姿を思い返して、にっと笑う。
さぁ行こう。俺だけの物語を始めるために。
追い風でも、向かい風でも、俺は俺らしく生きるため――
――この夕空に向かって飛び立つんだ。
fin.
ムードメーカーな狙撃手バドの、過去のお話『夏夕空に、鳥は飛ぶ』完結です!
プロローグの会話は回収されていませんが、この過去話を伝えたことがきっかけとなり、バドとカルロは仲良くなった感じになります。
序盤は特に、なかなか悶々とするお話だったと思いますが、ここまでお読みくださいまして、本当にありがとうございました。
読んでくださる方、感想をくださる方がいたからこそ、ラストまで書き続けることができたのだと思います。
本当にありがとうございました!
そして、ここから四年後のお話が本編である「私に世界は救えません!」
十一年前のお話が「空に散りゆく黒い花」となっています。
もしよろしければ、そちらもぜひどうぞ!