静かなる味方
「家を、出るだと……」
未だ下を向き続けているお父様のほうから、微かに声が聞こえてくる。
その身体は、小刻みに震えていて。
無言のまま見つめていると、お父様は突如として顔を上げ、声を荒げてきた。
「徹底した勉強は全て、お前たちが世に出て苦労しないためにだろう!? この家を守り続けることも、お前たちの未来のためにしているというのに! 家を出るなど許さんぞ、絶対に、だ!!」
最後に「どうして、私の想いがわからないのだ」と呟くように話したお父様は、血走った目を吊り上げており、憎らしげに口元を歪めていた。
普段の冷静な姿からは、想像ができないほどに怒りの空気に満ち溢れている。
その様子から、こんなに必死になって想いを伝えてもなお、俺がどれほど苦しい想いをしてきたのかを理解する気も無く、外に出す気などないのだと、手に取るように感じとれてしまった。
悔しさと悲しさとで、ぎりと下唇を噛んで、同じようにお父様を睨み返す。
「お父様こそ、何で俺の気持ちと考えをわかってくれないんですか!?」
まさか、ここまで話してもわかってくれないとは思わなかった、と失望した。
恐らくいくら話しても、価値観が違いすぎる親子の方向性は、交わることなどないのだろう。
だって、どちらも意見を譲る気なんて、更々ないのだから。
可能なら、お父様の理解を得てから、笑顔でこの家を出たかった。
もっと言えば、こんな脅しめいたやり方じゃない別の方法で……
ぎゅ、と右手で銃を強く握り、意を決し、口を開く。
「お父様……死にたくなければ、立って下さい」
俺の頼みに、お父様は眉を寄せながら、面倒そうに立ちあがる。
きっと、“バドに引き金を引けるはずがない”という思いの方が大きいのだろう。
「望み通り立ってやったが。どうするつもりだ」
その問いに、小さく息を吐いてこう答えた。
「庭先まで人質としてついてきてもらいます。理解が得られないのなら、勝手に出ていくしかないですから」
――・――・――・――・――・――・――
またも使用人たちがざわめきだし、青い顔をしていく。
お父様はいよいよ、怒りが最高潮に達してしまったらしく、顔を赤く染め、額にも血管が浮かんでいた。
「バド、遊びはもう終わりだ! 皆、我が息子を捕らえよ! 撃つ度胸などありはしまい!!」
お父様の命令に、使用人たちはびくりと身体を震わせた。
主であるお父様と、凶器を持つ俺。
どちらの命令を聞くべきか、決めあぐねているようだった。
まぁ、それもそうだ。
お父様の言うことを聞いた結果、主が死んでしまったら、どんな罰がやってくるか想像もつかないだろうから。
だが……まずい。
表情を歪めないように繕うが、心の中は焦りに満ちていた。
お父様を殺すつもりなんか元々なかったし、だからといって、ここで捕まるのはごめんだ。
使用人の誰かが意を決して、こっちにやってきてしまったら、俺の人生は終わったようなものなのだから。
やがて、こう着状態に苛立ちが募ったのだろう。
お父様は舌打ちをして、こちらにやってこようと動きはじめた。
「もういい! 私自ら、息子を止めてや……」
「おやめ下さい、ご主人様!」
突如として割れんばかりの声が部屋中に響き、お父様はそこで歩みを止め、執務室にいる全員が声のしたほうに視線を送っていく。
「……恐れながら申し上げます。十年前のライマン事件、ご主人様はお忘れですか?」
そう話しだしたのは、老齢の使用人、アルバートだった。
「アルバート?」
わずかに首をかしげて彼を横目で見つめていく。
お父様のやろうとしていることに物申してしまったからだろうか。
彼は青い顔をして、微かに震えていたが、その声ははっきりとしたものだった。
「十年前、ラージャル地区の領主マルコ・ライマンが刺殺されました。礼儀正しく、大人しいと言われていた、実の息子に、です」
アルバートは、お父様を必死に説得するように一つ一つの言葉をゆったりと紡いでいった。
ライマン事件。俺はそんな事件、初耳だった。
だが、古い使用人たちが視線を落としているところをみると、どうやら実在する事件ではあるようだ。
「無礼な! バドはマルコの息子とは違う! 私には、違うとわかるのだ」
声を荒げながらお父様は言うが、アルバートはそっと首を横に振った。
「悲しいことに、いくら想っても、子どもは親の心を完全にはわかってくれません。それは、ぼっちゃんとて同じ。見えてらっしゃらない部分も多いように見受けます。ですが……その反対もまた、しかり。親とて子どもの全てはわかりません」
怖い、のだろうか。
染みひとつない真っ白な手袋に包まれたアルバートの指先は、小刻みに震えている。
ちらと顔を見ると、目が合い、アルバートはわずかに目を細めてきて。
その優しい表情に、はっとする。
恐らく彼は、俺が引き金を引けないことも、捕らえられてしまったらこれまで以上にひどい境遇におかれるであろうことも全部わかっているのだろう。
その上で、自らの身の危険を省みず、こうやって俺のことを守ろうとしてくれているのだ。
これまでずっと、誰も助けてくれなくて。
自分は孤独で、一人で頑張るしかないと、そう思っていたのに……
アルバートの優しさに胸がいっぱいになって、喉元が詰まったような感覚になる。
本当は、俺も一人じゃなかった。
わからなかっただけで、手助けをしてくれる味方は、ちゃんといてくれていたんだ。
いまにも泣き出してしまいそうな顔でアルバートを見ると、“いま泣いてはいけません”とでも言うかのようにわずかに険しい顔をして、微かに首を横に振ってきてくれた。
「アルバート、お前はマルコの息子のように、バドが私を殺すかもしれないというのか……?」
お父様は、わずかに不安を織り交ぜたような厳しい顔で尋ねている。
その問いに彼は、こくりと遠慮がちにうなずいた。
「相手の心が読めないのは、当然のこと。血を分けた者とはいえ、心までもが同じなわけではないのですから」




