虹色の鳥
もう、未来なんてものは考えられなかったし、考えたくもなくなった。
自分の言葉で思ったことを語り、夢を持つなんてこと自体が、夢のまた夢。
こんなふうに死んだみたいに生きていたって、苦しいだけで幸せなはずなんかない。
暗い迷路のようなこの人生には出口なんてものはなかったし、もう疲れた。
とっとと死んでしまおう。
ずいぶんと長い間、頑張ったんだから。
お父様とお母様もきっと、許してくれる。
そこまで考えて、自嘲して笑った。
こんな時まで、両親のことを考えているなんて。
どこまで、二人のお人形なんだよ……
深く息を吐いて部屋を見渡すと、一面柔らかな夕焼けのオレンジに包まれている。
だけど、この部屋も、もうじき真っ暗な闇に包まれるのだろう。
そのままここに、光はやってこない。
いや、光なんてものは、最初から俺に注がれないようになっていたのかもしれない。
そんなことを考えながら、鳥篭に向かう。
捕らえられた鳥はなおも、篭をかじり続けている。
こうして戦い続けていれば、いつかは鳥篭から出られると、そう思っているんだろうか。
一匹でそんなことをしたところで、無駄なのに。
呆れ笑いを浮かべながら、篭にある扉へ手を伸ばす。
鳥篭から出ることも、空を飛ぶことも、全部を諦めて、ただ人から鑑賞されるためだけに生きている鳥。
こいつをそんなふうに、させたくなんかなかった。
そんな想いをするのは、俺だけで十分だ。
いつもエサをやっている俺のことを覚えていてくれたのか、それまで篭をかじっていた鳥は、チチチと小さく鳴きながら寄ってきてくれた。
「閉じ込めちゃってごめん。さ、お行き」
小さな扉を開けると、鳥は恐る恐る顔を出し、羽を広げて部屋の中を飛び回った。
虹色の羽が珍しいから、コイツのことを気に入っていたわけじゃない。
コイツのことが欲しかったわけでもない。
ただ、憧れていたんだ。
広い空を自由に飛び回るコイツに。
束縛を受けずに自分らしく生きている、こんな小さな鳥に。
格子付きの窓を開けてやると、小鳥は部屋を飛び回るのを止め、窓のふちに降り立った。
そこから飛び立とうとはせずに、右に左に飛び跳ねている。
ひょっとしたら、パンくずをねだっているのかもしれない。
「パンはないよ」
いつもパンくずを入れている袋をひっくり返し“空だ”と見せつける。
それでも、まだ理解できないのか、何度もそこで飛び跳ねていて。
俺を見ながらそうやっている姿は“共に行こう”と誘っているようにも見えた。
「俺は、そっち側には行けないよ」
困りながら、笑う。
なおも鳥は、同じ場所で同じ動作をいつまでもいつまでも繰り返していた。
そんな鳥に、言ったところでわかるはずもないが、先程決めたことを、世間話をするかのように放つ。
「あのさ。死のうと思っているんだ、今晩」
口に出してみると、それがひどく恐ろしいことのように思えて、微かに震えた。
「せっかくこの世に生まれたんだから、自分だけの夢を見つけて、追いかけてみたかったな……」
ははは、と声に出して自嘲気味に笑う。
笑っているはずなのに、なぜだか涙が次から次へと溢れ出てきて、止まらない。
涙だけじゃなく、本音までもが止められなくなってしまって、口から零れ落ちていく。
「俺さ、本当は死にたくなんかないんだ。生きていたい。ただのバドとして、生きてみたいんだよ」
子どもの頃あまりにも泣き過ぎたせいで、もう涙は枯れたものだと思っていたのに。
体中の水分を奪うんじゃないかと思うくらいに、大粒の涙はいつまでもいつまでも流れ続けて。
何年も泣いていなかったからか、うまく泣くこともできなくて、息が苦しくなった。
虹色の鳥は、そんな俺をちらと見て羽を広げ、オレンジ色に包まれた空へと飛び立った。
急ぎ、鳥のあとを追いかけて窓に駆け寄った俺は、食い入るようにして外を見つめた。
さっきまで、閉じ込められて自由を失っていたはずの鳥は、夕陽を浴びてキラキラと輝きながら、どこまでも広がる空を悠々と飛んでいた。
アイツの飛んでいる場所は、追い風なんかじゃない。
向かい風だ。
それでも、必死に羽を動かし、向かいたい方へと進んでいく。
どこに行くのだろう。
山か、川か、それとも海か。
ああやって飛べるのを羨ましいと思う一方で、もっともっと遠くへ飛んで行けと願う自分がいる。
アイツはアイツが思い描く場所を目指して、飛び続けてほしい、と。
自由に飛び回る虹色の鳥の姿を見ていると、闇の中に沈んでいた気持ちも次第に晴れ渡っていく。
『かごの中での死を選ぶくらいなら、こっちの世界に来れるよう、死ぬ気で運命に抗ってみせろ』
アイツからは、不思議とそんな風に言われているような気がしたんだ。
きゅっと窓枠を掴み、惚けたように、外を見る。
自由を取り戻して羽ばたく鳥も、夕焼け色に染まりゆく白い雲も、光る夕陽も、きらめく海も、世界の全てが美しく、輝いて見えた。
もう二度と光を見ることはないような気がしていた。
諦め以外の方法は、一生見つけられないと思っていた。
虹色の鳥が溶けていった夕焼け空を見つめて、一人こくりと頷いて、こぶしを握る。
あれもこれもそれも全部、ひょっとしたら、くだらない思い込みだったのかもしれない。
きっと、ここに一生居なきゃいけないわけじゃない。
立派に生きなきゃいけないわけじゃない。
親に好かれなきゃいけないわけでもない。
いままでの俺に足りなかったのは、きっと、ここから飛び立とうとする勇気。
死ぬ気でやれば、こんな牢だって脱出できるかもしれない。
失敗したってどうせ、元々死ぬつもりだったんだから構うもんか。
意志は決まった。
生きてみるんだ。
今度は誰かのためじゃない。
他でもない、自分自身の現在と、これからのために。