囚われの鳥
銃声がしたからか、お父様も使用人たちを従えながら現場にやってきた。
その姿に、小刻みに体が震える。
お父様は命令に背いたことに怒っているのか、無言のまま鋭い目で俺のことを睨み付けてきていた。
あまりの迫力に、その瞳の力だけで、寿命が何年も縮まっていくような気がしてしまう。
しばらく無言だったお父様は、不愉快そうに眉を寄せてきて「もう二度と勝手なことをするな」と低い声で言ってきた。
ああ。これから俺は、どうなってしまうのだろう。
あの部屋から一生出してもらえなくなったら……
考えがエスカレートして、気が遠くなっていく俺をよそに、お父様は辺りを見渡していく。
そして、状況を把握したのか、深くため息をついたあとに、呆れたような、満足そうなような、何かを企んでいるような、なんとも言えない可笑しな笑みを見せていた。
「だが……さすが私の息子だ。これはこれで、悪くはない」
お父様はそう言って、肩を軽く叩いてきて、ノットの父君のほうへ歩み始めた。
命令を無視した上に、お父様の罠を台無しにして激怒されるものだと思っていたのに、褒められたことで拍子抜けしてしまう。
しかも、礼はいらないと先ほど俺が言ったばかりなのに、お父様はノット家の父君になにやら交渉をもちかけているようで。
なるほど、ね。
弱みを握ることができたことで、都合のいい仲間が手に入ったとでも思っているのだろう。
幸いなことに、最悪の結果は免れそうだと心から安堵しつつ、何もかもにもう、うんざりとしてしまって、木の根元に腰かけて深いため息をついた。
――・――・――・――・――
馬車の中では“死んだら誰があとを継ぐんだ!?”とか“全て私の言う通りに行動していればいい”などと延々と説教をくらったが、館に帰りついたあとは、お父様の機嫌は上々だった。
ノット家に恩を売り、自分の意のままにできるようになったこと、それに、フォード家が仲間を見捨てて逃げだしたという事実を得たこと。
民が頭を悩ませていた殺人熊を仕留めることができたこと。
それらはお父様にとって、何よりも大きな成果だったのだろう。
「バド、お前の行動は好ましくはなかったが、成果は大きかった。近いうちに褒美をやろう。これからも、エヴァンズのために生きなさい」
そう言って、お父様は俺の頭を撫でてきたが、嬉しくもなんともなかった。
どうやらお父様は、森に残してきたノットの親子が、もし禁止区域を出て来られた場合、“森の中で殺しておけ”と、使用人に命令していたようだったのだ。
帰り道の途中、お父様が森に潜む使用人に、殺害命令の解除を伝えるよう小声で命令しているのを、偶然聞き取ってしまい、背筋が凍った。
幼い頃なら何も気付くことはなく、考えることもなく、褒められたという事実に喜んでいたかもしれない。
だけどもう、俺にはお父様の言う“よくやった”を、素直に受け取ることができなくなっていた。
それの裏には“私の思う通りの息子になれ”という意味が隠れているような気がしてならなくて。
俺もいつか、お父様にとって、いらない存在だと判断されたら、今日のノット家のようにすっぱりと切り捨てられるのかもしれない。
そんなはずはないと思う一方で、悲しいけれど、その瞬間を恐ろしいほど容易に想像できた。
その後、お父様と別れ、風呂に入って疲れを取ったはずなのに、身体が異様に重い。
“褒美は何がいいか”だなんて、そんなの考える気にもなれやしない。
引きずるように廊下を歩いて部屋に戻ると、家庭教師が明日の朝の課題を小脇に抱えて立っていた。
「お疲れ様でございました、バドぼっちゃん。快挙でございますね!」
家庭教師は夕日を浴びながら、にこにこ顔でこちらを見つめてくる。
恐らく、お父様から今日のことを聞いていたのだろう。
「世辞はいいよ。疲れてしまったから、課題はそこに置いて出ていってくれないか?」
深いため息をつきながら、苛立ちをこめた声を出す。
何度も何度もあの熊の姿が浮かび、考えたくもないことを考えてしまって心が休まらなかったのだ。
まだ夕方なのはわかっているが、こんな日は、早く眠って何もかもを忘れてしまいたかった。
それなのに。
俺の目は、想像もしなかったものの姿を捉えてしまった。
信じることができずに目を見開いて、その場に立ち尽くす。
そんな俺の姿を見てきた家庭教師は、楽しそうに笑んでいた。
「今日の昼、ようやく捕まえられたのです。こうやって見ると、これも美しいもんですなぁ」
無言のまま、今朝まではなかったそれに駆け寄る。
部屋の端に吊るされていたのは、金でできた篭に、宝石のついた止まり木。
中にいたのは……いつも朝、パンくずをやっていた、あの虹色の鳥だった。
「どうしてこんなことを……?」
震える声で尋ねると、家庭教師は悪びれる様子もなく当たり前のことのように言葉を発してくる。
「ぼっちゃんは、この鳥を欲しがっていましたでしょう? いつ来るかわからなければ、勉強に支障がでますが、側に置いておけばそういうことにはなりませんから」
篭の中の鳥は、逃げたいのだろう。
くちばしで必死に篭をかじり、イラついたような金切り声をあげ出した。
ああ。
お前をこんなところに閉じ込めてしまったのは、俺が原因だったのか……
悲しさと同時に、仄暗い感情が胸の奥底からわき出てくる。
ぼんやりと立ち尽くしたまま、必死に逃げようとする鳥の姿をただただ眺め続けた。
こうやって閉じ込められてしまえば、自由だったコイツも、どこにも行くことなんかできない。
外を夢見て、一生飛べない自分を嘆き続けるだけ。
悲劇のヒロイン気取ってきた俺も、弱い者を狩って楽しんだり、自分の勝手な押し付けで熊の命を奪ったり、きまぐれにエサをやった結果、鳥をここに閉じ込めてしまったわけで。
結局は、エゴを押しつけてくる両親たちと変わらない……か。
自嘲して笑い、ぎりと歯噛みした。
誰しも、強い力には逆らえない。
理不尽だって、諦めて受け入れることしか許されない。
弱い者は、自分よりも強い、誰かのエゴや欲望を満たすためにしか存在できないんだろうか。
いつもはキラキラと光ってみえる小鳥の瞳も、今ばかりは暗い影が落ちているようで、俺を責めているように見えた。
「先生……こんな素敵なプレゼントをありがとう。これで集中できます」
嘘の笑顔を作って、振り返る。
余計なことを言ってしまわないように、口元には力が入り、両手には自分の爪が食いこんでいた。
「礼など良いのですよ。ああ、よかったよかった。では、私はこれで」
家庭教師は満足気に微笑み、扉の向こうへと消えていく。
あの男が消えていった扉を、悲しみと虚しさの感情に埋もれたまま、ぼんやりと見つめる。
もう、心は決壊寸前だった。
この心がぐちゃぐちゃに壊されてしまう前に……
まだ自分が自分のままで、いられるうちに。
光を失い、痛みと不安で混乱していた熊は、絶命と同時に静かに眠りについた。
その瞬間が鮮明に蘇ってきたことで、俺も同じ道を歩む決意を固め、こぶしを強く握ったのだった。