本性
それからも何度か鹿に遭遇したり、ウサギやイノシシの姿を見かけた。
全部自分が仕留めるのもできたのだが“せっかく大勢で来ているのだから”といくつか花を持たせてやった。
いまのところ順位は、エヴァンズの圧勝で、次点がフォード、最後がノット。
別にここで勝とうが負けようが、何かを得るわけでも奪われるわけでもなかった。
残るのは単に、プライドと体裁の問題だけ。
それでも“負け”というのが我慢ならなかったのだろう。
ノット家の長男はルールを無視して「大物の鹿が見えた」と、禁止された区域に向かって走りだしてしまった。
もちろん、全員声をあげて止めたのだが、あの男は足が速く、すぐに木の影に隠れて、森に溶けるようにして見えなくなった。
「私の息子が、すまない……」
怒りで顔を紅潮させながら、ノット家の父君は言う。
“構わないから探そう”と周りは言うが、その表情はうんざりといったものだった。
狩りを中断し、ノットの長男を追いかけ、立ち入りを禁じられた区域に、全員が足を踏み入れる。
ここから先は道も整備もされておらず、人が立ち入った形跡はない。
このあたりから、結界石の結界がごくわずかだが弱まりはじめ、モンスターが出没する危険性も否定できなくなる。
おまけにこの奥は、最近人を見かけたら襲ってくるという熊の生息域に差し掛かっているらしく、猟師でさえ入ろうとしない場所らしいのだ。
地図も無く、道がどうなっているかも分からない。
クマ避けのホイッスルも“殺人熊に人の存在を知らせることになるから使わないほうが良い”と勧められていたこともあり、心許なかったが、使用することのないまま道を行く。
はぐれないように、全員でかたまりながら慎重に足を進めた。
ノットの長男はどこまで奥に行ったのだろうか。
あれからずいぶんと時間が経った気がするが、見つかる気配がない。
小さくため息をついてあたりを見渡すと、周りはどこもかしこも木と草ばかりで、変わり映えのしない景色が続いている。
さすがに結界が切れる場所まではいかないだろうが、戻ってこないところを見ると、帰り道が分からなくなって途方に暮れているのかもしれない。
「ねぇ。これは、一体何なんだろうね」
大して危機感を感じていないのか、呑気にフォードの長男が言う。
そちらに視線を向けると、太い木の幹に複数の鋭い傷がついていた。
鹿の角の傷か?
いや、それにしては傷の付き方がおかしい。
必死に考えて、一気に血の気が引いていく。
銃や狩りについての文献を読んでいた時、この傷に似た絵を見たことがあったのだ。
「顔が青いですよ。どうしました?」
フォードの長男はことの重大性がわかっていないようで、へらへらと笑っていた。
そんな彼を真剣な目で見つめ、低い声で呟くように言う。
「この傷、恐らく熊の仕業です。私たちは、殺人熊の縄張りに入ってしまったのかもしれません」
――・――・――・――・――・――・――
殺人熊という単語に、全員の顔が凍りつく。
熊は力が強く、巨体のわりに足も速い。
鹿やイノシシと違って人を襲い、食らうのだ。
銃があるとはいえ、上手く仕留められなければ、怒ったクマの反撃にあう可能性だってある。
しかも、このあたりに住むといわれる熊は、人が弱いということを知ってしまったようなのだ。
実際に町の猟師が熊の手により、何人も命を落としていた。
「は、早く見つけてやらねば……」
ノット家の父君はそう話すが、フォード家の二人は視線を背けていく。
お父様も、深くため息をついて、無言のまま両腕を前で組んでいた。
「皆さま、我が息子を探しに……」
ノット家の父君が念を押すように言うと、フォード家の父君が「お言葉ですが」と口を開いた。
「ルールを無視したのは、貴方の息子だ。自己責任じゃないのかね」
「そ、そんな……!」
ノット家の父君と次男が、青ざめた顔で微かに震えていく。
「すまないが、我らがこれ以上危険な土地を歩み続ける理由はない。後始末は自分たちでつけてくれ」
お父様は、追い打ちをかけるように淡々と言い、使用人たちに“撤収”の命令を下した。
それに続いて、フォード家も同じように撤収の準備を始めていく。
ノット家の父君は、お父様にすがりついて懇願し、次男はフォード家の父君に何度も頭を下げて頼みこんでいる。
異様な光景だと、そう思った。
確かにあの長男は考えなしで、馬鹿な男だとは思う。
それに、この先の道が危険なのも間違いない。
だが、自分たちは銃を持っていて、ここには大勢の人がいるのに。
このまま撤収してノット家を捨て置けば、最悪の場合三人とも熊にやられてしまう可能性だってあるのに。
どうしてこんなにも、彼らは人の命と未来とを軽々しく扱えるのだろう。
茫然として立ち尽くしていると、お父様がそばにやってきて、声をひそめてきた。
「運が向いているな。こうも簡単に罠にかかるとは……これで一つ敵が減るぞ」
その言葉に、思わず目を見開いた。
何を言っているのか、まったくわからなくて。
他言語を話しているのかと疑ってしまうくらいだった。
横目でお父様の顔を見ると、両の口角を三日月のように引き上げて、白い歯を見せていた。
嘘、だろう?
まさか……笑って、いるのか。
よく考えてみれば、最初からおかしかったんだ。
慎重なお父様が、危険区域の近くまで狩り仲間を連れて来たことも、殺人熊がいるような狩り場を選ぶことも。
フォード家のように家柄がいいわけでもなく、スぺイド家のように実力があるわけでもない、ネラ教会に媚びて成り上がって来たノット家を狩りに誘うことも……
ぞわりと体中に悪寒が走って、震えが止まらなかった。
気付いてしまったんだ。
この男には、エヴァンズ家以外は見えていない。
他人の“命”や“心”は、無いも同然。
人は便利なただの駒。
役に立てず、自分が気に食わなければ、さようなら。
それはきっと、他人や領民、子どもも妻も。
ひょっとしたら、世界の支配者である、あのネラ教会さえも……