第8話 居住地
邸宅に戻ってからは村について触れなかった。多分2人共リオンを気遣ってくれているのであろう。そんな2人にはありがたく感じていたが、時間が経つと共に故郷を失ったと言う事が重くのし掛かってきた。
殆ど過ごす事の無かった『リーズ村』。思い出なんて全くないし、良い事なんてどれだけ記憶を遡っても正直出て来ない。自分でも何故ここまでショックを受けているのか解らないが、自らと繋がる何かを失うのはとても悲しいことなんだと言い聞かせた。
「とりあえず物騒だし、ここにいなよ。」
「でも…そこまでお世話になったら本当に申し訳ないよ。」
ラーウェは洗濯物を干しながらリオンに拠点をおくように伝えた。実際に故郷を失う事により、直ぐ様住む場所を改めて決めなければならなかった。しかし、ラーウェが洗濯物を干している姿が気になり会話に集中出来ない。
誰もが恐れる魔族の長、魔神王が洗濯物を干している姿は実に珍妙だ。
「どうしたの?」
「いっ、いや何でもないよ!気にしないで。…あっ、私も手伝うね!」
以前人間に干し方を教えて貰ったらしく、時間がある時は自分で干しているらしい。濡れたシャツを丁寧に伸ばす姿は、主婦並みのスキルだ。しかし、そんな事は言えるはずもなく俯きひたすら笑いを堪え、ラーウェの真似をしながら洗濯物を干した。
「てかリオン様は学がないんだから、余所に行ったら大変な目に遭うよ。変なツボ売られたりとかさ!」
「俺の事はもういいから。」
食事の準備を終えたニーニャが戻り、普段通りにしれっとラーウェに茶々入れした。ニーニャ曰く、玉にアルコバレーに行くと大体変なモノを買って帰ってくるらしい。
確かにリオンはこれまで何かを学ぶと言う事をしてこなかった。正確には勉学の環境がなかったのだが。無知で一般常識のないリオンが独りで街に出ても、騙されるか売られるのがオチであると言うニーニャの見解は強ち間違ってはいない。無論、当人もそこら辺は理解しているつもりだ。
ボーっとしている内にラーウェが洗濯物を干し終えたので大広間に戻り、食事につくことになった。
「でも俺たちが嫌だったら無理しないでね。」
勿論嫌な訳はない。寧ろ知らない街に独りで行くより、気が知れた2人がいる方がずっと良いに決まっている。
しかし、リオンは人間であり本来ここに居るべき者ではない。そして、これ以上迷惑はかけられないと言う気持ちの方が大きく、返事が出来ないのだ。
「女の子は素直な方がかわいいよ~!まぁリオン様はツンツンしていても可愛いだろうけどね!」
そんな気持ちを汲み取ったのか、ニーニャはリオンの頭を撫でて次の言葉を待った。流石にそこまで言われるとリオンも断るわけにもいかない。グラスのステムを握り締め、意を決した。
「よろしくお願いします!何でもします!...いたっ!」
勢い良く頭を下げすぎたせいか、持っていたグラスに額をぶつけてしまった。幸いグラスは割れることはなかったが、額はほんのり赤みを帯びている。
「聞いた聞いた?何でもするだって~!ウブな美少女にこんな事言われたらヤバイよね~!」
「おでこ!今魔術かけるから待って!」
「へ?魔術!?」
1人は何か勘違いし喜び、1人は赤みを帯びたおでこに治癒の魔術をフル発動。1人は訳もわからず魔術をかけられている。
まとまりのない3人の新生活は初日から賑やかなものとなった。
***
「気にしなくて良いよ!どうせ魔術でちゃちゃーっとやっちゃうんだし。それにリオン様はやる事があるでしょ?」
無償で居候はどうも居心地が悪く、家事を手伝うと申し出たのだがニーニャが魔術でこなしてしまうのでする事がないらしい。それでもやはり何も手伝わずと言うのは申し訳なく、食事の後片付けを手伝おうとしたらまた断られてしまった。
『やる事』とは、勉学である。住むならば何か仕事が欲しいと伝えると、邸宅の主であるラーウェから
勉学に努めるようにと言われた。相変わらず優し過ぎる魔神王だ。
「ありがとうね、ニーニャ。」
「はいよーっ!じゃあ頑張ってね!」
お礼を伝え、用意された部屋に向かいドアを開けた瞬間とんでもないものが目に入った。
恐る恐る中を覗くと、カーテンはピンク、ベッドもピンク、壁も天井もピンク、とにかくピンクピンクピンクで少々落ち着かない。とは言え暫くすれば慣れるだろうと敢えてピンクでファンシーな部屋の存在については考えるのは止め、部屋の片隅に設置された机に向かった。
「...。」
用意された本を見るものの、所々文字は読めるが勉強の仕方が解らない。これは前途多難だと頭を抱え、ため息をついた。すると良いタイミングでノックする音が聞こえドアに駆け寄り開くと、トレーを持ち硬直したラーウェが立っていた。
「どしたの...この部屋?」
「わっ、わかんない。」
見事な程何から何までピンク一色の部屋にラーウェも思わず絶句してしまう。てっきりラーウェが用意したと思っていたが、どうやらニーニャの仕業だったらしい。
何も見なかったと言わんばかりに、このピンクな部屋については触れず、備え付けの椅子に腰掛けるとリオンの方へ向いた。
「文字は読み書き出来る?」
「簡単なものなら書けるし読めるよ。」
紙にペンを走らせ、書ける文字をひたすら並べる。多少足りないないものの、基本となる文字はほぼ書き揃えられ、足りない部分はラーウェが書き足した。ラーウェに教えられた文字を食い入るように見つめ、ひたすら同じ文字を書いて練習。
「じゃあ次はこの本を読もう。解らない部分は教えてあげるから言ってね。」
児童向けの絵本で、文字も少なくとても読みやすいものだった。文字練習の成果が出たのか、読めない文字はなかった。しかし、残念な事に今度は意味の解らない単語が頻繁に出てくる。
「あまりにも無知過ぎて悲しくなってきちゃったよ。」
「仕方ないよ。誰だって最初から何でもこなせる訳じゃないんだし。」
優しくフォローされ、教えてもらった所は集中して覚えた。すると2回目読んだ時には内容をきちんと理解できるようになった。
小屋でも本をずっと読んでいたが、結局どの本も内容を全て理解出来たものはなかった。仕方が無いと諦めていたのだが、きちんと内容を掴むことで本を読むことの楽しさをしっかりと味わうことが出来た。
「本当に凄いね。いくら簡単な本とは言え、ここまであっさり読めるようになるなんて。」
リオンの記憶力は確かに凄かった。一度言えば瞬時に記憶する。10年分の知識を今、必死に取り戻そうとしているかのようだった。
そして、出来の良い生徒に教え甲斐を感じ、ラーウェもまた楽しくなってきた。
「そろそろ食事の時間だね。大広間に行こうか。」
窓を見ると日が沈みかけ、茜色に染まる空が広がっていた。休憩を挟みつつも昼過ぎからひたすら勉強をしていたので、頭がパンクしそうだったが充実していた。解らない事が解るようになるのは楽しくて仕方がない。
***
「今日はボクの番だね!」
家事を一通り済ませ、エプロンで手を拭きながらニーニャが寄ってきた。ラーウェが用事があって外出しなければいけなくなり、ニーニャが勉強を教えてくれる事になった。
「忙しいのにごめんね。宜しくお願いします。」
「気にしない!美少女と密室に2人きりなんて最高じゃん!何教えよっかなぁ。」
下心丸出しのニーニャをラーウェは無言で睨み付ける。しかし、リオンは新たな知識が増えることが楽しみで、ニーニャの意図など全く理解していない。
「リオンこれあげる。」
手渡されたのは黒くて丸い石であった。角度を変えると玉虫色に輝き不思議な色合いである。黒曜石と言い、マルヴァジタの鉱山で採れる石らしい。落としたらすぐ割れそうなくらい軽く、慌てて握り締めた。
「何か危険な目に逢ったら『オブシディアン』と唱えるんだよ。」
「危険?わかった!」
「やーめーてー!」
この黒曜石は魔力が弱かったり、魔術を発動できなくても、オブシディアンと唱えればそれなりの威力で、対象物を木っ端微塵にしてくれる力を持つ。肉片となりたくないニーニャは何もしないと誓い、その場でラーウェを見送った。
「気を付けてね。あっ、その格好…!」
玄関の先までついて行くと、ラーウェは袋からウィッグを取り出し翡翠色の髪を隠し、同じ翡翠色の瞳を隠すように細淵の眼鏡をかけた。初めて出会ったときのラーウェだが、今日は服装が多少なりまともだ。
「マルヴァジタから出る用事があるんだ。行ってくるね。」
「行ってらっしゃい。気をつけてね。」
ドアを開くとオレンジ色の馬が外で待っていた。馬車で移動と言う事は遠出なのだろう。無事に帰ってきますようにと祈り、勉強を教えてくれることになっているニーニャの元へ足を運んだ。
***
「お帰り。リオン様はもう寝たよ。」
ラーウェが帰宅したのは月の刻9時を回った時であった。リオンは帰宅を待つと言ってみたものの、勉強のしすぎで疲れたのか眠気が襲い、主の帰りを待てずに眠ってしまった。
「どうだった?」
「あまり有力な情報は掴めなかったよ。」
消滅したリーズ村の手懸かりを求め、付近の街を駆け回っていたのだが殆んどまともな情報を得られなかった。
「ただ、光をみたと言う人がいたよ。リオンが言っていた時刻とそう変わらない。」
あの晩、たまたま外に出ていた商人が山を越えたリーズ村の辺りで青白く光るのが見たが、一瞬で消えた。音は何も聞こえなかったらしい。気味悪く、すぐに自宅へ戻ったのでその後は解らないと言う。
「やっぱリオン様が見た光は、もしかしたら発動した時のものかもしれないね。」
「多分。それと魔術が使える人間には出逢えなかったよ。」
実際の魔術を見てみれば何か解ると思ったが、今日回った街全ての人間にポータはなかった。そして周囲に気を張り巡らせたが、昨日感じた人間の魔力はどこにも感じることが出来なかった。
「アルコバレーに行くのが確実かな。」
この国最大の街アルコバレーは人々が賑わう街である。また国の中心部と言う事もあり、王が城を置き、側近には魔術を扱える者も少なくはない。
「今回の件がなくても、どの道アルコバレーに行かなきゃいけないからな。」
「あんま乗り気じゃなさそうだね。ボクが行こうか?」
アルコバレーに行くこと自体はそこまで嫌ではない。寧ろ人間の築き上げた文化に直接触れるのは、ラーウェにとって楽しみの一つである。ただ、行かなければいけないもう一つの理由がアルコバレーから足を遠ざけたものである。
「ありがとう。でもこれは自分の口で伝えるべきだと思うんだ。」
首を振り、真っ直ぐ見据えた。
伝えるべき事、それは世代交代について。魔神王となったものの、その絶対的権力は人間には脅威でしかならない。そして、ラーウェもまたこの称号が嫌であった為、どうしても名乗りたくなかった。
「あんま無理しないようにね。遅いからさっさとお風呂入って寝なよ。」
リオンの前では散々茶化すニーニャも、流石にこの事を知っているので気遣いを見せる。小さい頃から見てきたラーウェの魔神族としての生い立ちは、決して揶揄するべきではないと決めている。
「明日はなるべく早く帰るよ。」
「夫婦みたいな会話だね、ア・ナ・タ。」
「...やめて。」
しかし、話がそれるとやはりいつもの調子に戻ってしまう。これを以前のツインテール姿で言ってしまえばまだマシだったのかもしれないが、今はばっさりショートヘアーにしてしまっているのでただの青年だ。ラーウェはうんざりしながら、浴場へ向かった。