第3話 生贄
「お迎えにあがりました。」
満月が美しい夜、扉をノックする音と聞き覚えのある声が聞こえた。外に出ると相変わらず無表情なニーニャが白い布を持ち立っていた。毎度変わらない表情に少し安心し、白い布を受け取ると用意された椅子に座るよう誘導された。
「髪を整えた後、こちらのドレスに着替えて下さい。」
長さが不揃いの琥珀色の髪を優しく掴み、ハサミで丁寧にカットする。ここに来てからは自分で髪を切っており、髪を触れることは慣れていないのでなんだかこそばゆい。そんな事を知る由もないかと言わんばかりにニーニャは慣れた手付きで髪を整えていった。
カットもひと段落したので手元のドレスを広げて見ると、装飾が何もないシルクの美しいドレスであった。
小屋に戻り着替えようとしたが、普段着ている質素な服と違いどう着たらよいのか解らない。結局外で待機していたニーニャを呼び、何とか着ることが出来た。
「ねぇニーニャ、これ…つけていても良い?」
リオンの手にはここに来てからずっと首に掛けていた蒼玉が埋み込まれていたペンダント、そして魔術の力で練成された桃色の薔薇の形をした髪飾りが握られていた。ニーニャは視線を手元へやった後にどちらも純白のドレスを邪魔するものではないと判断し、声の変わらないトーンで許可を出した。
身支度を終え馬車まで誘導されたので、大人しく従いキャビンに乗り込んだ。中は思ったよりも広く、窓には開閉出来るカーテンがついておりリーズ村までの道のりを眺めながら行くことにした。ゆっくりと馬は進み、10年もの歳月を独りで過ごしてきたこの地を離れる。来た当初は早くあの場所から抜け出したかったが、正直今は離れるのが寂しい。この1週間があまりにも充実していたせいか、これ以上考えると後悔しそうなので何も考えずキャビンの壁に寄りかかり外を見渡した。
「花壇…。」
脳裏に自分が作った小さな花壇がよぎった。あの花壇に咲く花達に水をやってくれる人はいるのだろうか。結界が邪魔し、普通の人間には立ち入ることの出来ない場所に水をやると言う事はなかなか安易なことではない。
もしラーウェが思い出してまたあの場所へ行く事があれば水をやって欲しい。思い出さないようにしていても馬車の中で暇を持て余しているせいか、ついついあれこれ考えてしまう。小さな両手で頬を軽く叩き再び外を見ると見慣れない村が少しずつ近づいてくる。目的地に到着した馬は静かに止まり、リーズ村の入り口だと伝えた。
「やっと来たか。…忌々しい娘め。」
あからさまに嫌悪感を漂わせる口調は今到着した者をとても待ちわびている様子ではない。キャビンから降りたリオンを見るなり、たるんだ瞼に力を込め睨み付けた。
リオンには両親がいない。物心がついた頃には既にいない上に記憶もなく、5歳になるまでは村長の家に住んでいたらしい。両親共にリーズ村出身らしいが、見た目が村の物とは異なった。リーズ村の容姿は赤茶色の髪にこげ茶瞳、肌は若干浅黒い。対してリオンは琥珀色の髪に薄紫の瞳で肌は雪のように白かった。村の者からは災厄の魔女と称され、皆から嫌われている事をいい事に育ての親には生贄の道を提供される。何より育ての親が一番忌み嫌っている。気がつくとあのボロ小屋へ押し込まれていた。
「…。」
自分の故郷を眺めたがとても良い記憶はない。そして10年ぶりに見た村は多少なりと生活水準が上がったのか、自分の記憶の中の物とは違う気がする。姿を変えたリーズ村に違和感を感じながら村長に頭を下げた。
5分くらい経っただろうか。村の入り口に設置された時を告げる物が鈍い音を立てて鳴る。それと同時にキャビンを繋いだ燃え上がる炎の色の様なオレンジの馬がこちらに到着した。満月の光に照らされた馬の毛並みは実に美しく、見ているだけで心を奪われそうになった。
「お世話になりました。」
「そんなのどうでもえぇからさっさと乗って行ってしまえ。」
一応衣食住は提供してもらったので最後に感謝の意を伝えたが見事につき返されてしまった。相当嫌っているみたいだ。ここまで解り易いとショックを受けるどころか、かえって気が楽になる。
引っかからないようドレスの裾を持ち、到着したばかりのキャビンに乗り込むと後ろから誰かがついてきた。
「お供します。」
振り返るとニーニャも乗り込み、横に腰を下ろした。てっきり1人で行かないといけないと思っていたので、突然の出来事に目を丸くする。馬を誘導するものがおらず、無事に辿り着けるか少々不安だったためほっとした。
ニーニャはキャビンの窓から身を乗り出し、オレンジ色の馬に話しかける。すると言葉を理解した馬は大事なモノを運ぶかのようにゆっくりと歩き始めた。自分の人生の中で3分の1程しか過ごす事が出来なかった村を背に魔神王の住む場所へ向かった。
「…ドレスお似合いですよ。」
街灯もなく闇に飲まれた静かな森には馬車の音だけが響いていた。木々が生い茂り、折角の満月の光は森の中に届かない。窓を眺めてもすぐ近くの木がぼんやり見える程度で気を治するには丁度良い環境だ。そんな中ぽつりとニーニャが口を開いた。会話と言うより伝達事項があれば基本手紙、偶然逢ってもリオンからしか話しかけたことがなかったので正直驚いた。
「ニーニャから話しかけてくれるなんて嬉し過ぎる!」
ドレス姿を褒められるより、彼女から話しかけられた事の方が何倍も嬉しかった。しかしその後は相変わらず沈黙が続き、残念な事に会話は続かなかった。
「…あれ?今…。」
「そろそろ魔獣区域に入ります。」
後方で明るくなった気がしたのでとっさに窓の外を見たが特に変化はない。視線を正面に向け、少し悩んでいるとまたニーニャが喋った。魔獣区域と言う事は周囲には沢山獣がいるのかもと想像したらゾッとしてきたので、慌ててカーテンを閉めた。
「…っ!」
全身は震え、これでもかと言うくらい汗が噴き出すが決して暑い訳ではない。寧ろ悪寒が襲い、胃を掴まれるような感覚に陥った。逆流してくる胃液を抑えようとするが、言う事を聞いてくれない。
「にっ…ニーニャ…気持ち悪…っ!」
「リオン様!?」
更に何かに締め付けられる程の圧迫感を感じ、呼吸もままならない。とっさに身体を抱え込み、目を閉じると白い何かが渦巻く。助けを求めるも、口からは抑えていた胃液と少量の血液が混ざったものが噴き出した。途端に意識はだんだんと遠退き、必死に話しかけるニーニャの声は次第に聞こえなくなった。