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蒼玉の光  作者: 月下とも
第1章
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第2話 貴女の名前、そして貴方の名前

 朝を迎え、朝食を取りにガタがきている扉を開いた。だがいつもの場所に朝食はまだ置かれておらず、どうやら普段より早く起きてしまったことに気付いた。空を見上げるとまだ薄暗く、日は昇っていない。この小屋には時刻を知らせてくれるようなものはないので、日が昇ったら朝・日が真上まで来たら昼・日が沈むと夜…と少女は区別している。


「う~ん…外で待ってようかな。」


 村長の付き人である少し年上のニーニャは少女が家の中にいる時か、小屋から離れた時など顔を合わせるタイミングを外して食事を運ぶ。偶然外に出ていた時に何度か鉢合わせになったこともあるが、話しかけても必要最低限の会話と全く崩れることの無い無表情さで、これ以上関わるなとでも言わんばかりの態度をとる。勿論本人から聞いた訳でもないので真意は不明であるが、そう言った経緯から自分の事をあまり好きではないと感じた。外で待つのは諦め、もう一度壊れそうな扉を閉めた。


「本でも読もっ。」


 部屋の隅に立ててある10冊の本の中から1つ手にとり、装飾が施された表紙を開いた。この本は毎年誕生日に村長から1冊ずつ贈られてきたものである。ここに住み始めて10年になるので気がついたら10冊にもなった。

 ただ簡単な読み書きしか出来ないので、10冊の内9冊は幼児向けの絵本である。残りの1冊は他の物とは異なり、読めない文字が多い上挿絵があまりない。15歳の誕生日の時に贈られたもので、難しく何が書いてあるかさっぱり解らないが妙に気に入っていた。難しい本を貰った事で少し大人になった気分に浸って入れるから読めなくても必死にページを開く。


「いつわりの女神…。」


 本のタイトルにはこう書いてあった。少女が読み取れるのは4分の1にも満たないが、たまに出てくる挿絵に綺麗な女神が描かれ、読める部分には心が穏やかになるような文章が書かれている。架空の人物であったが、とても魅力的だった。


「女神様って本当にいたら綺麗な人なんだろうな。憧れるなぁ……お腹すいた。」


 本を読み出して2ページ目へ突入しようとしたら腹部からキューッと音がなる。空腹に耐える為、読める文字を探しながらひたすら本に没頭する事を決心した。

 16ページ目を開いた時、外でカタンと音がしたので本を部屋の隅に戻し、ゆっくり扉を開くと食事が置かれていた。空には日が昇り、いつの間にか辺りは明るくなっていた。そして辺りを見回してもニーニャの姿はない。今日も置いたらすぐ帰ってしまったみたいだ。


「今日も焦げてる!」


 届けられた朝食のパンは今まで焦げていたことが殆ど無い。焦げていなかった日は大袈裟に聞こえるかもしれないが、気候が緩やかなこの辺りでは大変珍しい事に雪が積もった。一生懸命作ってくれた料理を雪の積もる確立と比較するのは何だか申し訳ないがそれ程パンが焦げてない日が珍しいのだ。

 ただ、ニーニャの料理は決して不味い訳ではない。寧ろ上手い分類へ入るのに何故か毎度パンは焦げているのだ。しかし、毎日食べているせいか焦げた匂いを嗅ぐとほっとする。あまりにもお腹が空いていたので、ついつい早食いになりあっという間に食事を平らげてしまった。お腹は充分満たされたので、タオルを手に取りいつもの様に小川へ水浴びをしに出掛ける。


「そう言えば昨日…。」


 小川を目にしてふと昨日の出来事を思い出した。5匹の魔獣に人間。今まで生きてきて思い返せば一番驚いた日であった。そもそも魔獣どころか村長とニーニャ以外の人間はここには辿りつく事が出来ない。詳しいことは解らないが、どうやら結界はその2人以外の人間を拒絶するみたいだ。昨日はたまたま結界の一部が破られており、青年はここへ辿りついた。


「忘れよう。」


 昨晩ニーニャから食事と一緒に置手紙を貰った。綺麗な文字で結界の修復が完了したと書かれていたのでもう二度と青年はここへ来ることがない。結界が修復すればここは外から観ると森にしか見れず、見つかることが無い。昨日の出逢いは無かったことにしようと上着を脱いだその時だった。


「何を忘れるんですか?」


 頭上で何か声が聞こえたので慌てて見上げると、こちらに笑顔でこちらを覗き込む人影が。ニットの帽子に黒髪、細淵の眼鏡に奇妙な服装…記憶に新しい人物だ。薄紫色の瞳がこれでもかと言うくらい大きくなり、あまりの衝撃に何も言葉が出ない。もう二度と逢うことが出来ないと先程まで思っていた人物が、今まさに目の前にいるのだから。


「また来てしまいました!…あっ。」


「…ん?」


 奇妙な格好をした青年はとっさに視線を逸らし、どうしたもんだと顔を覗き込むとみるみる内に紅潮してしていく。何事かと首をかしげたが、はっと今の自分の現状を思い出した。

 今自分がいる場所は小川で、朝なので水浴びをする。そして水浴びをするために上着を服を脱いでいた。肌着1枚…普通ならばこんな姿で人前には出ないであろう。あまり知識のない少女にも肌着で人前に出るのは宜しくないと解っていた。それに気付いてしまった瞬間、青年同様頬を桃色に染め絶叫する。少女の叫びは森中に響き渡った。



***



「本当にすいませんでした!」


 着替えを済まし、小屋から出てきた少女を見るなり必死に頭を下げる青年。必死すぎてこちらが悪い事をしている気分になってくる。


「そんなに謝らないで。私も周りをきちんと確認していなかったんだから。」


 実際に今日は『命令』の1つである水浴びする前は周囲を確認をしていない。わざとではなく考え事をしていたのですっかり忘れていたが、まさか破ったその日にこんな事になるなんて思いもしなかった。きちんと言われたとおりにしていればこんな事にはならなかったので自分にも落ち度があると言う事で水に流そう。

 それよりも気になることがある。どうしてこの青年がここに来ることが出来たのか。さっきはあまりの衝撃になんとも思わなかったが、落ち着いてくると青年に対して疑問が沸いた。その疑問も青年に対して不審に思うのではなく、純粋に驚いたから出てきたものである。ニーニャの話によるとここへ辿り着けるのは村長・ニーニャ・そして結界を結んだ人物より強力な魔術を扱える者のみとなるらしい。魔術は絵本の中でしか読んだことがないから実際どんなものかは解らない。そして今目の前で必死過ぎる謝罪をする青年がとてつもない魔術を使えるとは少女には思えなかった。


「旅人さんはどうやってここまで来たの?」


「タビビトさん?」


 青年が纏う奇妙な服装は絵本の中で見た旅人の姿にほんの少し似ていた。名前も解らぬ青年をどう呼んだらいいのか解らずとっさに出てきたのが『旅人』だった。タビビト…タビビト…旅人…と言葉にしながら不思議がる様子をみて失敗したと頭を悩ましたが、どうやら青年は気に入ったみたいだ。


「旅人でいいですよ。ここまでは昨日通ってきた道を覚えてました。結界があったので少し魔術を使用しましたが。あっ、僕ひ弱そうに見えるかもしれませんが一応魔術使えるんです。」


「旅人さん魔術使えるの!?」


 空に手をかざし聞き慣れない言葉を口にする。すると小さな白い光がかざした手を包み、ゆっくりと少女の目の前におろした。手のある位置に視線を合わせるとそこには小さな桃色の薔薇があった。


「凄い…これが魔術?」


「本物の花には負けますけどね。お花が好きみたいですので良かったらどうぞ。」

 

 青年は小屋の前にある小さな花壇を一瞥し、再び少女を見た。その視線には気付かず、初めて見た魔術に少女は夢中になった。

 自分の知っている魔術と言うのは絵本の中の知識だが、何かを攻撃したり守ったりと言うものであった。なので魔術と言うものはとても恐ろしく危険なものだと認識していたが、目にした魔術はとても優しいものである。

 青年の手から薔薇を受け取り、左耳のすぐ上に挿して髪飾りにした。黄味寄りの桃色の薔薇は、少女の琥珀色の髪に違和感なく填まった。

 今までは本以外の贈り物は貰ったことがない。勿論年に一度のプレゼントは本当に嬉しかったし、他にももっと何かが欲しいと不満を抱くこともなかったが、この小さな造花を贈られた事が少女に心の底から嬉しかった。


「ありがとうございます。昨日助けてもらった上に素敵なお花までもらっちゃって。」


「とても似合ってますよ。…それより教えていただきたい事があります。」


 眼鏡越しでも解るくらい澄んだ翡翠色の瞳がこちらを真剣に見つめる。何を聞かれるのか…。考えれば考えるほど脈は上がり、息苦しくなってきた。青年がなかなか口を開かないので沈黙が続き張り詰めた空気となる。しかし、何かを尋ねようとしているのでこちらから喋りだす訳にもいかず、時間だけが過ぎていった。暫くして意を決したかのように青年はやっと口を開く。


「貴女のお名前を教えて下さい。」


「…へ?」


 長い沈黙の後にまさか名前を聞かれるとは思いもせず、なんとも間抜けな声を出してしまった。ふざけているのだろうかと思い、青年を見るがその視線は先程と変わっていない。息が詰まりそうな空気にやっと解放されたせいか笑いが止まらない。口元に手を当て笑い出す少女を不思議そうに眺める青年。


「ごめんなさい、なんだか可笑しくて。」


 やっと笑いが止まり少女は改めて青年と視線を合わせた。


「私の名前はリオン。」


 名前を告げるとそよ風が吹き、琥珀色の長くて柔らかい髪が太陽の光を浴び、輝きながらなびいた。


―少女の名前はリオン―

 

 この物語の主人公である。



***



 生贄になる事は決して怖い事ではなかった。村から隔離され、僅か5歳で誰も居ぬ森で独りで暮らすより生贄になる事でこの場から解放される方がマシだ。早く16歳になりたかった。そうすれば独りで暮らすこの地から解放されるのだから。


―独りは嫌だ。独りは寂しい―


 しかし月日が経つと段々何も感じなくなり、気が付くと負の感情を抑えるようになっていた。


 青年は毎日足を運んでくれた。小川を眺めて会話をしたり、迷い込んだ白い子猫を触ったり、近くにいたうさぎに葉っぱを食べさせたりと特に特別な事はしていない。だが、これまで独りで過ごしてきたリオンにとってこれほど充実した生活は初めてだ。


誰かに名前を呼んでもらえる事がこんなに嬉しいとは思いもしなかった。

誰かと会話をする事がこんなに楽しいとは思いもしなかった。

誰かと一緒にいるだけでこんなに安心するとは思いもしなかった。

誰かが自分の前から去る事がこんなに寂しいとは思いもしなかった。


 今日も青年はここに訪れた。今にも傾きそうな小屋の前にある小さな花壇に水をあげながら花を眺め、この花が好き、この色が綺麗など日常会話を楽しむ。ただそれだけなのにとても楽しい。


「この花達にはリオンさんの愛が詰まってますね。」


「愛?」


 首を傾げ青年の横顔をみた。聞いたことのない単語が出てきて少し困惑するが、全く知らないとは何故か言えない。理由は解らないが心の片隅に引っかかる気がした。


「こんなに綺麗に咲いているんです。リオンさんの愛を沢山注がれているからでしょうね!」


 リオンの呟きには気付いていなかったらしく、『愛』について喋りだす青年。その表情は今まで以上に実に優しいものだった。ただ花を眺めているだけなのにこんなにも幸せな気分になれ、ひっかかっていた『愛』については正直どうでもよくなりまた小さな花壇を見つめる。


「そう言えばリオンさんって誕生日いつですか?」


 ふわふわとしていた気分は旅人の一言で一気に現実へ戻されてしまう。新しく命が誕生した日、そして毎年祝福受ける日。本来ならばその日を皆楽しみにしているであろうが、リオンにとっては残酷な日でしかない。


「明日だよ。」


 胸が張り裂けそうであった。産まれてこの方明日と言う日を迎えたくないと思うのは初めてかもしれない。しかしこの苦しい気持ちは横にいる翡翠色の瞳をした青年には決して悟られたくない。この際不自然でもいい。必死に笑顔を作り返答をした。今日だけは…今日だけは笑って過ごしたい。


「僕も一緒ですよ!明日が誕生日なんです。だから良ければ一緒にお祝い…リオンさん?」


 誕生日が一緒。それだけで本当なら大騒ぎして喜びたい。でもそれが普通の誕生日なら…。


「明日からもう逢えない…。」


―― 明日も逢いたい。


「リオンさんどうし…」


「明日から私はもうここにはいない。」


―― 明日もここにはいたい。


「リオンさん落ちついて!」


「だから一緒には祝えない。」


―― 一緒に祝いたい。


「生きたい…。」


 気がつけば薄紫色の瞳から一筋の涙が頬を伝っていた。最後に泣いたのはいつだろう。初めてここに連れてこられ、毎晩寂しくて泣いたっけ。次第にこの環境にも慣れ、いつの間にか負の感情を殺すようになり何もかも諦めていた。


「何で私なの!?何で私じゃないといけないの!」


 こんな事を言われても困るのは解っている。でも、ずっと抑えて気付いていないふりをしていたこの気持ちに気付いてしまい、一気に爆発してしまった。地に手をついて俯き、ひたすら泣いた。しかし決して『明日の事』は口には出さない。感情的になっているが、その事を言ってはならないと意図せず理性が働いた。


「…だったら一緒に来るか?」


 雪のように白くて雑に扱えばすぐにでも折れそうな位細い腕を掴み、そっとリオンを抱き寄せた。今まで敬語交じりの丁寧な口調だったのに少し強めの口調。だが嫌な感じはしなかった。服越しに伝わる温もりで気持ちがだんだんと落ち着き、桃色の小さな唇が開いた。


「ありがとう。でも大丈夫。」


 本音に気付いていくら心を乱そうとも気持ちは変わらなかった。今逃げたところで村に大変な事になるであろう。偽善的だが自分の命で村が助かるならそれで良い。これも本音だった。

 生贄については詳しくは聞かされていない。ニーニャの配慮があり直接的な表現は避けられていたが、魔神王には人間の血が必要らしい。16年に一度城に行った少女達の血を飲み干す。そしてその少女達は二度と村には戻らない。知識のないリオンにもこれがどう言う事なのか理解しているつもりだった。


「そろそろニーニャが来る時間だ!見つかったら大変だよ!」


 空を見上げると日が頭上まで昇っていた。そろそろ無愛想な村長の付き人が昼食を運ぶ時間になる。細い身体を抱き寄せていた腕を解き、軽く背中を押す。青年が来ている事はニーニャには伝えてはいない。罪悪感を感じていたが、何となく伝えてはいけない気がしたから。


「…リオンさんは強いんですね。」


「ん~そうでもないよ。さっき小さい子供みたいに泣きじゃくっちゃったし。」


 散々泣いたお陰で見事な程目の周りは真っ赤になってしまったが、心に秘めた部分をぶちまけた甲斐もあり気持ちはすっきりした。

 青年をいつも通る道まで連れて行き、出口でふと立ち止まった。


「最後に聞かせて…。貴方の名前を。」


 旅人と言うのは当然本名ではない。とっさに出てきた単語だし、呼ばれている当人も気に入っているようであったのでずっとこの名で呼んでいた。本当は名前を知りたかったが逢えなくなる日がくるのが解っていたので聞けずにいた。だがやはり最後に彼の本当の名前が知りたかった。


「ラーウェです。また機会があればお話しましょう。」


 いつもの笑顔にいつものお辞儀。胸を掴まれる様な感覚に陥り酷く痛んだ。そしていつもと同じく姿が見えなくなるまで見送った。


「さよなら…ラーウェ。」


 初めて口にした名前は青年の耳に届くことはなかった。名前を口にしただけで、胸が締め付けられるような苦しさを味わう。これでもう本当に二度と逢う事はない。

 小屋に戻るといつの間にか昼食が置かれていたので扉の前に座り花壇を眺めた。普段と変わらぬ花たちを眺めながら。

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