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蒼玉の光  作者: 月下とも
第1章
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第1話 出逢い

 今すぐにでも壊れそうな扉をゆっくりと開くと、外が晴れている事を知らせてくれるかの様に隙間から光が漏れた。いつもの様に玄関の所へ置かれた食事を手に取り、少し焦げたパンをかじりながらゆっくりと呟く一人の少女。

 雪の様に白く透き通る白い肌に、光を浴びると輝く琥珀色の髪の毛は腰近くまで髪が伸びきっている。若干不揃いな毛先は少女が自分で整えたのだが、それでも柔らかく艶やかな髪質がカバーしてくれてそれもまた味が出ているようにも思える。身長は同世代の者と比較すると割と高めだが、体つきはスマートと言うよりはやせ気味だ。

 目の前はすぐ森で周囲には民家は無い。ここは村からかなり離れた場所にあり、人が訪れることも無い。こんな僻地な上に、大風が吹けば一瞬で吹っ飛びそうな小屋に少女は1人で住んでいるのだ。


「うん、今日も良い天気!…そろそろ水浴びしないと…。」


 小屋から少し歩いた所にある小川へ毎日朝晩水浴びをする事が日課となっていた。しかしその日課は退屈しのぎで2度も水浴びをしているのではなく、『命令』と言った方が正しいのかもしれない。少し面倒臭いと思うこともあるようだが、幼い頃からずっと行ってきた事なので当の本人は何の疑問も持たない。

 小川へ到着し辺りを見回すが、当然人里から離れた僻地になんて誰もいない。特にこれと言った魅力的な名物になく、木しかないところへわざわざ近隣の住民がくるはずも無い。

 しかし、それもまた『命令』の一つで水浴びの前には必ず周囲に誰もいないことを確認しなければいけない。当然のことながら仮に誰かいたとしたら、人様の前で全裸になんてなれないので水浴びは中止。少女の記憶が正しければここに来てから10年間、誰一人と水浴びの最中に出会ったことがないので、体調を崩した日以外は毎日水浴びをしている。

 この小川は不思議な事に早朝や夜でも水の冷たさを感じることが無く、ぬるま湯の様な感覚だ。今朝も同様の適温でいつもの様に一応周囲を見渡し何もいないことを確認した。


「誰もいない。けど何か変…。」


 いつもの見慣れた風景でそれを邪魔する異物は何もない。しかし何か重苦しい視線を感じるが、その視線がどこからくるのか全く解らない。たまに野うさぎや野良猫が来たりもするが、そんなか弱い生き物とは違う。すぐさま振り向き小屋に戻ろうとしたその時。


「-っ!!」


 気がつくと後方から犬の様な赤黒い獣が5匹、唸り声を上げながら近づいて来ている。でも犬とは思えない程の殺気に満ちた視線。一目でこの獣が危険だと感じたが、戦う武器も無ければ追いつかれない程の逃げ足も無い。ここには少女しか住んでいない為、いくら助けを求めて叫ぼうとも誰も来てくれない。ふと脳裏に一つの名詞を思い浮かべる。


「これが魔獣なの?」


 毎朝食事を届けてくれる者に聞いたことがあった。その者が言うには、この山の更に奥には魔神族が住んでおり、周辺には魔獣がごろごろいると。魔獣は理性を持たず、出会った人間は骨まで食い尽くすと。見た目については、色んな種類の魔獣がいるから説明出来ないと言われたので良く解らないままだ。しかしここは結界が張られている為、魔獣は本来近づく事が出来ない。もしこの目の前にいる獣が魔獣であるのならば結界が破られた事になる。

 逃げなければ…でも少しでも動けばいつ飛び掛るか解らない。今まで何も考えず平穏な日々を送ってきた少女は、恐怖と言うものを感じたことが無かった。今まさにその恐怖に直面し、全身が震えすぐに逃避しなければいけないとは脳内では解っているものの、身体が動いてくれずただその場に立つしか出来ない。


「やだっ来ないで!!」


 ずっと様子を伺っていた獣が1歩1歩と近づいてくる。牙をむき出し口から紫色を液体を垂らしながらこちらに来る姿は、恐怖から絶望へ導くような感覚に襲われ、少しでも抵抗をして声を出してみたものの獣に届く様子は無い。


ピーッ……


 笛のような高音が響いた瞬間、目の前にいた獣が全て向きを変え出てきた森に戻って行った。何が起きたのか訳が解らず薄紫色の瞳を見開き呆然とする。生まれて初めての恐怖から開放され、急に身体の力が抜けその場にしゃがみ込んでしまう。助かった…と安堵の胸を撫で下ろしたと思いきや、更に少女を驚かせる出来事が起きた。


「大丈夫ですか!?」


 先程獣が戻ってきた場所から慌てて駆け寄ってきた一人の青年。ニットの帽子に髪の色は真っ黒、細淵の丸い目鏡を掛けて旅人の様な奇妙な格好。今まで出会った人間2人の格好とは随分違い、目にしたことがない。勿論格好にもビックリしたが、それよりここに人がいる事の方が少女にとって驚きが隠せなかった。えっ…あっ…と言葉にならない声をあげる少女を見て、青年は落ち着きを取り戻す。


「あっ…魔獣に出くわしたばかりな上に僕がいきなり出てきたから更にびっくりしますよね。」


 しどろもどろする少女にそっと笑みを見せる。少し奇妙な格好をしている以外は何ら他の人間と代わりの無い青年。しかしその表情はとても柔らかく観ているだけで安らぎを感じた。


「違うのっ!その…人と殆ど喋った事がなくてビックリしちゃって。ごめんなさい!」


 今まで2人の人間としか出会ったことがない。1人はここから一番近くに住む村長。もう1人は村長の付き人の女性で毎日食事を届けてくれる人物である。その2人でさえ必要最低限の会話しかした事が無い為、久々に現れた人間とどう会話をつなげたら良いのか解らないのだ。視線を逸らし頬を少し赤らめる少女を、青年は不思議そうに見つめた。


「とりあえず無事で良かった。あの魔獣は追い払っておきましたので安心して下さいね。」


「あっありがとうございます!こう言う時ってお礼をしなければならないんですよね!でもお礼ってどうしたらいいんだろ…。」


 以前村長から貰った本に『親切にされたお礼をする』と書かれていた事をふと思い出すものの、肝心の『お礼』がイマイチよく解らない。本に書かれていた内容にはお礼に宝石を贈っていたが、ぼろ小屋に1人で住む少女は当然その様な高価な物は持っていない。贈呈できる物と言えば、小屋の前にある小さな花壇にひっそりと咲く小さな花があるが、そもそも目の前の青年が花に興味があるかどうかも微妙な所。あれこれ真剣に悩みすぎて表情に出てしまっている事に本人は全く気付いておらず、見かねた青年は口を開いた。


「でしたらリーズ村までの道案内をしていただけませんか?」


 リーズ村は少女が暮らすこの場所から徒歩1時間程の距離にある村である。栄えた都市とは違い、人口が30人程度の小さな村で自給自足の生活を送っている。ここの茶葉やミルクはとても美味しいと有名で、遠方からわざわざ足を運ぶ者も少なくない。


「ごめんなさい…道案内してあげたい。けど…私はここから出てはいけないの。」


 辺りを見回し民家らしい民家がなく、こんな山奥に独りで暮らすまだ15歳位の少女を見てすぐに何か事情があるのだと気付いた。


 ――これ以上は何も干渉してはいけない。


 大丈夫と声を掛け、小屋の近くにある1本の舗装されてない道へと向かった。


「あのっ、ありがとうございます!」


 丸っこい薄紫色の瞳を大きく見開き、先程とは全く違う力強い声量でお礼を告げ、思いっきり上半身を倒し頭を下げる姿に青年は少し驚きつつも笑顔で返した。


「また…機会があればお逢いしましょうね。」


 少女は姿が見えなくなるまで見送った。村長と付き人の女性以外で初めて喋ったその青年を。命を助けられ、初めて会話を交わしただけの事だ。それ以外は何もなかったと自分に言い聞かせいつもの様に桶へ水を汲み水浴びを始めた。


「もう…逢えないけど。」


 一瞬開きかけた心の扉を再び閉じ、そっと瞼を下げ胸元の蒼玉のペンダントへ手を添える。そして水浴びを終え小屋の方へ戻り、小さな花壇へ水をあげた。



***



「お待ちしておりました。」


 村の外で待っていたのは紺色のエプロンを身に着けた茶褐色の髪をツインテールにした女性であった。到着のタイミングが解っていたのか、村の外に出たのとほぼ同時に客人が到着した。客人が到着したのはリーズ村と言う王都からかなり離れた、言わば田舎である。住民は田畑を耕したり家畜の世話などのんびりと過ごしている様子だ。


「いつもお出迎えありがとう、ニーニャ。」


 ニーニャと呼ばれる女性は表情一つ変えずに無言で頭を下げた。相変わらずだねと苦笑する客人を早く目の前から遠ざけたいのか、挨拶以降特に言葉も交わさず目的地に案内する。暫く歩くとこの村では一番大きいであろう家屋に到着した。歩きながら眺めた時村民の家は木製であったが、この家はレンガ造りとなっておりいかにも他の家より丈夫そうであった。


「失礼致します。」


 ニーニャはノックして少し間を空け扉を開き客人を中に通した。自分は別の仕事があると案内を終えてすぐにこの家から出て行ってしまった。家の中は広い様だが、剣やら盾やら物騒な者が飾られており少々窮屈な感じがする。ただしこの物騒な物は使用された形跡は無く、あくまでオブジェ…と言うよりは家主が好んで並べているように見える。


「いらっしゃいませ。まぁ座って下さいな。」


 酒やけでガラガラになった声の主がへこへこしながらテーブルへ誘導する。声の持ち主はこの家の主であり、村の主でもある。ぱっと観た感じ60代半ば位で、頭部の頂点を白髪交じりの少なくなった毛で必死に隠しているのが何となく伺われる。客人はぺこりと頭を下げ案内された席に着き、村長と視線を合わせた。


「お口に合うか解らんが…。」


「ありがとうございます。お気遣いなく。」


 村長が客人の前に煎れたてのお茶を出し、それを客人はやんわりと断る。この世界でも良くある光景であるが、いやいやと半ば強引にカップを目の前に置いた。カップの中には透き通る様な薄緑の液体が入っており、ほんのりと花の様な香りが鼻を擽った。この村の特産品らしく、アルコバレーに住む者達の中ではこの茶葉がブームになっていると村長は自慢気に語る。


「来て早々で非常に申し訳ないが1週間後の例の話がしたい。月の刻0時に村の入り口で宜しかったかな?」


 客人の前に腰掛け、まるで酒を飲んでいるのかと思わせる動作で自分の入れたお茶を口の中に流し込む。そして一息ついて客人の顔色を伺いながら言葉を選んでいく。久々の知り合いと対話する時の明るい雰囲気ではなく若干重苦しい雰囲気に包まれた。もっともそんな雰囲気を出しているのは村長だけで、客人は笑顔だが。


「我々も遅れない様に努めます。」


 客人の微笑む表情と柔らかい物腰にすっかり気を許し村長の口調は急に軽くなる。さっきまでの重苦しさは一転し、笑顔まで見られるようになった。


「いやぁ、今回の娘は今までの娘の中でも見た目はかなりの上等物でな!魔神王様もさぞかしお喜びになるかと。」


「それはそれは。村長殿がそこまで仰るならばさぞかし主もお喜びになるかと思います。」


 出されたお茶を村長とは対極的に品良く飲む客人は表情一つ崩すことなく返事をした。カップを音も立てることもなく置き、村長の次の言葉を待った。


「それでじゃな…その、今後も本当に大丈夫なんじゃろうな?ワシらの村には残念な事に魔術を使用できるもんがおらん。だから魔神王様のお力添えなくして生きられんからな。」


「その点に関しては主もきちんとご理解されていらっしゃいます。貴方達はこうして1つの尊い命を捧げて下さるのですから。」


「尊いだなんてそんな大それたもんじゃないぞ!村の者とは見た目が全く違う忌々しい娘よ!あんなもんの命よりワシらの命の方が大事なんじゃ。」


 リーズ村は人間が居住を置く中で一番魔神族の住む場所に近い。そしてその周辺には魔獣が囲っており、彼らの協力がなければ、人間を好む魔獣によりあっと言う間に食い潰されてしまう。

 この村が生き残るために選んだ道は、16年に一度この村の16歳の娘を捧げると条約を組む事。捧げると言うと聞こえはいいかもしれないが、要は『生贄』だ。自分達が生きたいと言う勝手な願いにより、一人の少女の命が失われる。それを解っている筈である村長の表情は青年の返答に安堵を浮かべ、そして村の為に命を捧げてくれる人物を異端視するその姿は反吐が出そうになる。


「それではお話はもう終わりで宜しかったでしょうか?」


 上機嫌で返事をし、必要な事はもう既にお互い伝え終わった為、席を立った。一度お辞儀をして家を出ようとした時、ふとある出来事を思い出した。

 先程回ってきた道の結界が1箇所破られていた件である。村長の言うように、この村の者で結界を破れるような魔術を発動する事が出来る者がいないのは、先程歩いて来た時にすぐ解った。ならばあの結界を破ったのは誰か。聞いても無駄だとは思うが念の為確認しなければならない。


「先程こちらに向かう時結界が1箇所破られておりました。何かご存知でしょうか?」


 結界が破られる=この村に魔獣が来る。その意味を瞬時に捉え、先程まで上機嫌で鼻歌まで歌っていた村長の顔がみるみる内に青ざめた。村の危機に対してではなく自分の命の危機に対してだが。


「結界が破られたとは本当か!?ワシはまだ死にたくない!!」


 両腕を必死に掴み縋る姿はとても滑稽だ。琥珀色の髪を持つ少女は自分の命と引換にこの者達の命を救おうとしているのか。この姿をあの少女が見たら何と思うだろうか。しかし、この気持ちを言葉に表す事もなく、青年は来た時と全く表情を変えず村長に伝えた。


「安心して下さい。魔獣はこの村に入る手前で奥へ追いやりました。結界も修復しております。心当たりがないのは残念ですが、こちら側で探します。」


 その言葉に安心しきったのか老体は小刻みに震え、その場に崩れこんだ。掴まれた腕をゆっくりと解き、客人は一礼し扉を開いた。すると外にはまた出てくるのがまるで解ったかの様にニーニャの姿があり、無言で2人は村の入り口まで歩き続ける。

 村民達は奇妙な装束を纏った青年に、自分達と同類の人間だとは思いたくないと言わんばかりの差別的な視線を向けてきた。差別意識は村長だけではなく、村民達にもしっかり浸透しているようだ。


「失礼致します。ではまた。」


「道案内ありがとう。」


 入り口に到着し、任務を遂げたニーニャは軽く頭を下げると再び村に戻った。村の中は相変わらず怪訝そうな村民が、こちらにまで届かない声で何か言っているようだ。

 青年は村に来る前に通った道を無言で見つめ、そして来た道とは別の道へと歩き出した。

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