ひとりぼっちの神様
目を閉じて思考する。
まだ少し混乱しているようだ。
(ここは……)
目の前には大事にしていた畑も、古ぼけた家もない。
視界に映るのは簡素な空間。私は椅子に座っている。窓からは温かな日差しが差し込んでいる。手元には開いたままの本とぬるくなった紅茶がある。
(そうだ。ここは私の家だ。)
どうやら私は眠っていたようだ。
(夢かな。)
随分と不思議な夢を見た。内容もはっきりと覚えている。
そのためかまだ少し現実との境が分からず、私は戸惑った。
(夢……?)
寝起きでぼやけていた思考がはっきりしてくると、私はなんだかそれが夢では無かったように思えて仕方がなかった。
青年の笑顔が脳裏に浮かぶ。それはまるで夢ではないよと言うかのように私の頭を支配し、離れないでいる。
扉を開けば畑が、青年が、私を待っているような気さえした。
(私は……)
私はあの時死んで―
(いや、違う。)
そこまで考えて私は頭を振った。
私は今まで普通の生活を送っていたではないか。家には畑なんてない。今は一人暮らしをして、この簡素な空間で、特に不自由もなく穏やかに生活をしている。
でも、この記憶も確かにあった現実なのだろう。脳裏に焼き付く青年の笑顔がそれを確かにしている。
―もしも、神様がいるなら
不意にある言葉を思い出す。
―もう一度だけ彼に会わせて下さい
そうだ。私は神様にチャンスを貰ったんだ。
生まれ変わって再び彼に出逢うチャンスを。
やはり私は寝惚けていたようだ。頭が冴えてくると完璧に思い出すことができた。
過去と今。そう。私は生まれ変わったのだ。
(神様、ありがとうございます。)
私は心の中で感謝の言葉を告げ、すっかり冷めてしまった紅茶を飲み干し、読みかけの本に栞を挟む。
(探しに行かなきゃ!)
もう一度出逢う。その為に私は生まれてきたのだから。
身支度をして玄関の扉を開ける。私は軽い足取りで外へ出た。
彼を探すのはとても楽しい。
いろいろな景色を見ながら、まるで旅をしているような気分だ。
彼は一体どこにいるのか。あのあと彼はどうなったのか。
私にはわかり得ない。
でも何となく、彼は今もこの地を彷徨っている。そんな気がした。
(いろいろな景色で思い出したけど……)
―それは何?
―日記だよ。楽しかったこと、感動したこと、驚いたことが時間の経過によって流されてしまう前にこうやって書き残しておくんだ。
私の様子をまじまじと見つめながら微笑む彼を思い出す。
―そうすれば、後でまた思い出せるから。
―忘れたくない出来事を。……君の―
―ううん。なんでもない。
まるでさっきまで彼がここにいたような気がして、なんだか照れ臭くなってしまい笑ってしまう。
(そうだ。あの人は日記を書いていたんだ。大事そうに、いつも持っていた。)
彼の手がかりになるかもしれない。
ひんやりとした風を全身に浴びる。気持ちがいい。
彼は今この風を浴びながら、どんな景色を見ているのだろうか。
私は思考を閉ざして目の前の景色を見る。全く見覚えのない景色が目の前にはあった。
どうやら随分と歩いていたようだ。行く先など考えず適当に歩いていたため、ここがどこなのか全く分からない。
どうやら私には放浪癖があるようだ。
辺りには立派な建物が並んでいる。随分と発展した都市なのだなと、そんな印象を受ける。
(……自然がない。それに空気も淀んでいるわ。)
私は、それぞれが主張し合うかのようにそびえ立っている建物たちに少しだけ不快感を覚えた。
(こんな所にあの人がいるわけがないわ。)
すぐに立ち去ろうとしたが、少し思い止まって足を止める。
私は彼の言葉を思い出したのだ。
―どんな出会いも必ず意味があるんだよ。意味のない出会いなんてないさ。
私がこの場所に来たことにも意味があるのだろうか。
私はここら一帯を覆っているどこか機械的な雰囲気があまり好きではない。技術が発達しすぎた場所には緑がない。緑に囲まれて生きてきた私にはそれが受け入れられないのだ。
私と彼の好みはとてもよく似ている。きっと彼もここに長居をしたいなんて思わないだろう。
もしこの場所に来たことに意味があるとしたらどんな意味があるのだろう。
(……適当にふらふらと歩いていたら辿り着いた。ただそれだけ。きっと意味なんてないさ。)
再び足を進める。
この場所を出ようと思ったとき、ふと視界に一際大きな工場が目に入った。
正しくは誇らしげに堂々とそびえ立っている派手な工場ではなく、その後ろで申し訳程度に植えられているか細く小さな木に意識が向いた。
工場の陰になって惨めに生きている木のたもとで三人の少年が眠っている。私はそれを見て、瞬時に「あれはあの時の神樹だ。」と思った。
「どうして……?」
眠っている少年たちの元へと駆け寄り、ぽつりと呟く。
「どうしてこんな姿に……。」
私の神様は今目の前で、こんなにもみすぼらしくなって眠っている。私はなんだか悲しい気持ちになった。
『私は人々の愛を受け取りました。』
声が聞こえる。少年たちは眠ったままだ。辺りを見渡すも声の主と思われるものは見受けられない。
『私は人々の愛に応えるべく、この身を捧げて人々を護りました。』
女性とも男性ともとれない中性的な声は言葉を続ける。
『この身朽ちる時、この力を三つに分ける。それは未だ残る人々への愛。盾、刃、双方の力を持つもの、その全ては人々を護る為。そして―』
『いつかの復活を望む。』
『どうか、愛を…』
「こんな老樹を神様だと言うのかい。ねーさん。」
唐突に投げ掛けられた言葉にびくりと体が反応する。目の前に目をやると先ほどまで眠りこけていた少年たちが目を覚ましていた。少年は悪戯っぽく笑って言う。
「先ほどからぼーっとしちゃって大丈夫か?都会の気にでもやられたか。」
「君たちは……」
―この力を三つに分ける。
(神様の残した力……。)
辺りは暗く、月明かりに照らされ少年たちは薄く光り、人間離れしているように見える。
そうか。これが私の、この場所に来た意味だろう。
「こんな時間に一体何をしているの?もう夜も更けるわ。私はそうね。旅人とでも思ってちょうだい。都会の空気に少し疲れて休みに来たの。」
私はあえて惚けてみせた。特有の笑顔を見せる。
少年たちは顔を見合わせ、可笑しそうに笑った。
「ねーさんが旅人?変なの。」
「随分と失礼なこと言うのね。君たち。」
「じゃあさ、ねーさん。旅の土産に昔話をひとつ、どう?」
「昔話、ね。良いわ。聞かせてちょうだい。」
私の言葉を聞いた少年たちは嬉しそうに笑って語り出す。
―昔々。そう、ずっと前。二つの大きな国がこの国を挟んで戦争をしていた。そりゃあもうとっても大きな戦争で、小さなこの国は今すぐにでも戦争に巻き込まれて潰れちゃいそうな、そんな状況だったんだって。でも不思議なことにこの国は戦争による被害を何一つ受けなかった。何故か。この国の人々は皆自然を愛していて、自然豊かな国だったんだ。こんな物騒な世の中で、この国の景色はまるでこの世の世界から切り離されたかのように綺麗だった。それほど自然を大切にしていたんだ。ある日、この国に白い桜が咲いた。それはこの国のどんな自然よりも美しかった。もちろん人々は大事に育てた。白い桜は人々の愛を受け、戦争から国を護った。人々の愛を受けた自然たちが白い桜を生んだとも言われているけど。そして戦争が進むにつれて、二つの国は恐ろしい兵器を造りだした。核兵器ってやつ。それが使われとうとうこの国にも危機が及んだときその白い桜が国を核から護ったんだって。白い桜は燃えて朽ち果てそして、戦争は終わり世界に平和が訪れたんだそうだ。―
「こんな都会にもさ、こんな話があるんだよ。」
話し終えた少年は少しだけ寂しそうに笑った。
(白い桜……神様の樹……。)
自身が朽ちても尚、人々を護る為を考え続けている。それなのに人々はその愛を忘れてしまったのか。
―どうか、愛を。
(きっとこの場所に神様はいたんだろうな。)
かつて人々を護った樹は今、苦しんでいる。
少年たちはこの話をどんな気持ちで語っているのだろうか。
―いつかの復活を望む。
「白い桜は、さ。人々に愛された時に、再びその姿を現す……のかもね。完全に消えてしまった。私にはそうは思えないわ。」
「変わったこと言うんだね。ねーさんは。」
居場所を奪われた神様はひとりぼっち。愛に飢えているのだ。
その存在を知る者が完全にいなくなった時、消えてしまうのだろうか。
(そうさせたくはないな。)
「ねえ。君たちはずっとここにいるの?」
「そうだよ。ずっと、ここにいるよ。」
私の問いに少年たちは真っ直ぐ私を見た。なんて一途なのだろう。私はそう思った。
「君たちはきっと、まだここにいるべきではないわ。今ここに留まるならきっと白い桜の存在を知る者は誰もいなくなってしまう。でもいつか、素敵な出逢いがあって、きっと白い桜は再び形を成すと思うの。今はその時ではないわ。だから私についておいで。私は旅人。いろいろな場所へ行くの。どうかその話をたくさんの話しに聞かせて、白い桜のことを語り継いでちょうだい。」
私が言うと、少年たちはぽかんとした表情をした。それから嬉しそうに頷いた。
私は少年たちに自慢の笑顔を見せてあげる。
「私がいなくなるその時までついておいで。そして私がいなくなったその時、この場所へ戻ってごらん。きっと素敵な出逢いがあるはずだわ。」
「ねーさん、ありがとう。」
夜が明ける頃。私たちは歩き出す。
白い桜の復活と、彼を探す為。互いにそれぞれの目的を抱いて。