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約束の契り  作者: 麗琶
はじまり
1/2

幸福と笑顔

―ある日、私を支えていた一本の細い糸は音も立てずに切れてしまった。


それはずっと前から覚悟していたようであまりに唐突なものだった。

慢性的な苦しさの中から一際大きな苦痛の波がやってきた後に、私の目に映る世界は白い霧で覆われ―

私の糸は切れてしまったのだ。

大事な想い人(ひと)を残して。

時間切れだったのだ。


ずっと知っていた。覚悟していた。私の糸はとても細く、最早事切れる寸前だということを。

だから、何の悔いもないように精一杯やりたいことを成し遂げて生きてきた。

もうやり残したことはない。

そう思えた時だった。

ある日突然やって来た青年に、私の心は溶かされてしまった。

彼はいとも簡単に、常に張りつめ緊張していた生活を覗き、私の覚悟を崩してしまった。



「立派な野菜だねえ。」


声が聞こえた。畑の野菜を収穫していた私は手を止めて振り返る。一人の青年が籠に入っている野菜を手に取り、まじまじと眺めている。


「あ、どうも。怪しい者ではないです。荒らしに来たわけでも盗みに来たわけでもないので安心して下さい。」


青年は私の視線に気づき、こちらを見て微笑んだ。


「愛情込めて作っているんだもの。」


私は籠の中の野菜を手に取り青年の顔を見る。


「この子たちは私の子どもなの。」


私の顔を見た青年は妙に納得したような表情をして呟いた。


「なるほど。さぞ美味しいのだろうなあ。」


そう言って青年は再び微笑む。私は青年に向けていた視線を手元にある野菜に移して言った。


「自分で育てた野菜たちは本当に可愛くて、なんだか食べるのがもったいないくらい。」


青年は私の言葉を聞くと笑いだした。


「せっかく作ったのに食べないんじゃあ本末転倒だ。そのままにしておけば腐ってしまうよ。随分と面白いことを言うんだねえ。君は。」


青年があまりにも愉快そうに笑うものだから私は段々と恥ずかしくなってくる。


「これらをそのままにしておくわけないじゃない。腐ってしまったら可哀想だわ。ところで貴方はいったいこんな所へ何をしに来たの?からかうつもりなら帰って頂戴。」


そうなのだ。私は村中の人たちに嫌われている。大人たちは私を馬鹿にしたような、冷たい目で私を見るし、外を歩けば村の子どもに石を投げつけられる。

理由はよく分からない。……貧しいからだろうか。とにかく私は嫌われているのだ。

きっとこの青年もそう。私を馬鹿にしに来たのだろう。

しかし青年は笑顔を崩さず言った。


「さっきも言っただろう?僕は畑を荒らしに来たわけでも野菜を盗みに来たわけでもないんだって。」


「じゃあいったい何をしにここに来たの?」


訝しげな顔をする私に青年は照れたような笑みを向け、言う。


「一生懸命畑を耕している君が気になったのさ。変、かな?」


私は驚いた。そんなこと言われたのは初めてだ。それから改めて青年の顔を見た。とても素敵な笑顔だ。その笑顔に私の心は揺らめく。

今この瞬間。私はきっと、恋に落ちてしまったのだ。

私は青年に負けないくらいの笑顔を見せて言った。


「変だよ。他にも畑を耕している人なんてたくさんいるでしょうに。」


それから青年はよく私の元へと訪れるようになった。

子どもたちの様子はどうだとか、近くを通ったから寄ってみただとか言いながら。

その度私の心は密かにときめく。

青年は私が貧しい生活を送っていることを心配してくれているようだ。


「ちゃんと食べてる?」


畑の手入れをしていると青年の声が聞こえてきた。

振り返ると同時に目の前に袋を差し出される。


「心配しなくてもちゃんと食べてるよ。ところでそれは?」


私が答えると「本当だか」と言って青年は笑った。


「君のことだからまたもったいないとか言って食べてなさそう。それは里芋だよ。お裾分け。」


「だから収穫した子たちの為にもちゃんと食べてるって。私は無駄に腐らせたりしないわ。……随分と大きい里芋ね。ありがとう。」


私が笑顔を見せて言うと、青年はまた笑った。

私が笑うと青年も笑ってくれる。だから私はいつだって笑っていたい。そんなことを心の中で誓っていたり。


「ねえ。君はどの野菜が一番好き?」


ふと青年が私に尋ねる。私は即答した。


「決められる訳がないじゃない。この子たちは皆私の子どもよ。比べるものじゃないわ。……しいて言うなら私の作った子たちかしら。」


「あはは。そりゃあそうだよね。君らしい答えだなあ。」


「貴方は?」


「僕は……」


青年は少し悩むような仕草をしてから袋の中の里芋を取り出し、眺め、笑う。


「里芋かな。」


それから視線を里芋から私の畑の方へと移して、再び唸りだした。


「あーでもじゃがいもも良いよね。ニンジンも!トマトも良いよねえ。」


暫くあれやこれやと呟いた後、私の方を見て苦笑。


「決められないね。」


私は一連の様子を見て、笑う。


「でしょう。」


そうして二人で畑の中へ入る。


「大根を忘れちゃいけない!」


「きゅうりやナスもあるわ。」


「大豆は畑の肉だからね。」


その後は暫く野菜の話で盛り上がった。どうやら青年も野菜が好きなようだ。私はなんだか嬉しくなった。

楽しくて笑うと青年も笑い返す。


「じゃあ僕はそろそろ帰ろうかな。」


「うん。じゃあね。」


こんな生活がもっともっと続けば良いな。そんなことを私は心の底で願ってしまっていたり。

目眩がする。

最近は作物の育ちがあまり良くなくて、自給自足の生活をしている私の生活は厳しいものであった。食べ物だって本当はろくに食べることが出来ていない。

青年から貰った袋を握り締める。


(こんなこと、言えるわけないよね。)


青年といる。そんな幸せな時間を過ごす内に忘れていた問題。

胸の内に広がる感情が私の心をぎゅっと縛り付ける。


(笑わなくちゃ。)


私は青年の笑顔が見たいから。


相変わらず作物の出来が悪い。

私は収穫した子どもたちに精一杯感謝を述べた。


「ちゃんと育ってくれてありがとね。」


天候や病気にも負けずに一生懸命育ってくれたこの野菜が、いや、私の命を長らえさせてくれるこの子どもたちが、本当に可愛くて仕方がなく思えた。

私は少しばかり欲張りになってしまったのかもしれない。

そうしてまた青年がやって来る。

私は精一杯の笑顔を見せて収穫した子を見せた。


「見て見て!こんなに大きく育ったんだよ!」


しかし青年は笑わない。青年は真っ直ぐに私を見つめて問いかけてきた。


「幸せになりたいと思わないの?」


驚いた。青年は私のことをどこまで理解しているのだろうか。

私の口からは自然と笑みが零れていた。


「私は十分幸せよ。」


私の言葉を聞いて、青年は微笑んだ。それはとても優しい笑みだった。

その笑みを見て私は満たされる。

可愛い可愛い子どもたちに囲まれ、今、私の大好きな青年は笑っている。こんな幸せなことはないだろう。


―私の幸福は彼の幸せ。


それは私の勝手な妄想かも知れない。でも、そんな妄想が私にとって大きな幸福となり、どんな苦痛も乗り越えられるような気がした。


ある夜。外からの大きな物音で私は目を覚ました。

外へ出ると、私のことを除け者にする意地悪な大人たちが畑を荒らしていた。


「やめてっ!!」


私の抵抗も虚しく、大人たちは次々と私の子どもたちを奪っていく。

私の力では敵わなかった。

守れなかったのだ。

颯爽と去っていく大人たちを止めるほどの力が私には無かった。

私は謝り続けた。


「ごめんね。ごめんね。」


泣き崩れる私の元へ青年が駆けつけてくる。


(駄目だよ。こんな無様な姿は見せられない。笑わなきゃ……。)


笑顔を作ろうとするもどうにも涙で顔が歪んでしまう。


「無理しなくても良いんだよ。」


青年が優しく私の肩を抱き寄せる。

涙が止まらなかった。私は声を上げ、泣いた。


暫くして落ち着いた頃、私は青年に告げた。


「私は、私自身が傷つくことよりも私が一生懸命育ててきた子どもたちが傷つくことが一番悲しいの。私はこの子たちを愛しているから。」


今度はしっかり笑うことが出来た。

今の私の笑顔、青年の目にはどんな風に映っただろうか。


「だから、私、頑張るよ。子どもたちの為に……」


違う。私が言いたいのはそれじゃない。

目の前が、視界が、徐々にぼやけてくる。まるで白い霧がかかったかのように。


(貴方に笑って欲しいから。)


結局言葉にすることは出来なかった。

栄養失調で倒れてしまったのだ。


いつかこの胸の内を明かしたい。そんなことを思いながら私は畑仕事に精を成した。

奪われた子どもたちの分も、精一杯生きて欲しいという想いを込めて精一杯育てた。そしてまた、幸せを取り戻したい、と。


視界がぼやける。苦しい。

私は笑う。幸せになる為に。


―意識が遠退く。


私は彼を残してきてしまった。何も言えないまま。

結局私は何一つ成し得なかった。

子どもたちを取り戻すこと。彼を幸せにすること……。


(もしも、神様がいるなら。もう一度……もう一度だけ彼に会わせて下さい。)


私は強く願った。

不意に視界を覆っていた白い霧が晴れる。

まるで長い夢でも見ていたような感覚。

足元には地面がある。

背後に一本の大きな、神秘的な木がそびえ立っている。

木に触れてみるとごつごつとした感覚が手に伝わってきた。


「……神様?」


神樹だろうか。私はなんだかその木が神様のように見えた。


「ありがとうございます。」


私はそう呟いてぺこりとお辞儀し、幾分と軽くなった足で地面を思いきり駆け出した。

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