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アジサイの花

 さっきまで降り続いていた雨が止み、雲が晴れて、青い空の切れ端が見えはじめている。

 俺は、雨宿りしていた駅前の本屋の軒先からでて、帰り道をたどりはじめた。

 降ったり止んだりを繰り返していた今日の雨。降り止んでいた放課後の学校を出たときには、確かに俺の手は傘を握っていたはずなのだが、改札を抜け、空の天井からの雨漏りを見上げたときには、すでに手の中に傘なんてものの影も形もなかった。

 今月これで何本目だ?

 ほとほと俺のうかつさが嫌になる。

 コンビニのビニール傘を買うことも考えなくはなかったが、今日は降ったり止んだり。しばらく駅前で雨宿りでもしていれば晴れるだろうと判断したのだった。


 駅前から延びる市道沿いの歩道。あちこちに水溜りが出来ていて、上空の曇り空を不定形に切り取り、足元に写し描いている。

 歩道に沿った庭木の葉からときどき滴るしずくが波紋を描き、足元の曇り空を歪ませる。

 そんな水溜りの一つにチラリと青いものが見えた。

 雲の切れ目からのぞく青空。だけど、それだけでなく、もっと小さくて丸いものも同時に写っている。

 足元から眼を上げる。あった。丁度、俺の胸ぐらいの高さに、歩道脇の生垣の中に植わっているアジサイが枝を伸ばしている。その先端には、鞠のような丸い花。さっきの雨に濡れて、水滴がいっぱいについている。

 俺の大好きな青い花。雨の季節の象徴。それが俺のすぐ目の前にある。歩道の半ばをふさぐように枝を伸ばしている。

 アジサイの花に手を伸ばして、慎重に持ち上げ、すばやくその下をくぐった。

 通り抜けて手を放した途端、いくつもの水滴が滴り落ちて、何重もの円を下の水溜りに描いた。

 曇り空が、幾何学的な模様で切り分けられた。


 再び前を向き、歩き出す。

 と、進行方向から肩までの栗色の髪の少女が歩いてくる。

 今日の湿気を吸っているのか、ゴワゴワと広がった髪。白いブラウスがしけって、かすかに透け、下着の色が見える。

 だが、そんなことにまったく注意を払わず、熱心に胸の前に構えたスマホの画面を覗き込んでいる。歩きスマホ。ゲームだろうか? それとも、なにかの動画でもながめているのだろうか?

 いずれにせよ、このまま歩き続けたのでは・・・・・・

「ちょっと君」

 気がついたときには、俺はその子に声をかけていた。

 周囲にいるのは、俺と彼女だけ。少女が俺の方を振り向く。すごく警戒しているような眼。俺から二三歩距離をとって、いつでも走れるようにか、半身の体勢をとる。

 俺は、できるだけ柔らかく笑いかけた。

 地元でも、それなりに名の知られた進学校の制服を着た俺。普段から身だしなみには、気をつけている方だし、今でもだらしなくは見えないはず。

 よし、大丈夫だ。

 その連想で、同級生の顔を思い浮かべる。

 そいつは、電車の中で隣の席に座った少女に一目ぼれした。そして、勇気を出して声をかけた。

『君、運命って信じる?』

 そいつは、少女が戸惑いの返事をかえすだろうと予測し、さらに、それへの返答を用意していた。

『俺、今まで、運命なんて信じなかったけど、今この瞬間から信じるよ』

 なんて、キザなセリフを考えていたらしい。

 だが、現実にその少女が口にしたのは、

『なに、この人、ナンパ? キモー!』

 だったという。そいつは一週間以上、ショックのあまり寝込んでいた。

 うん。今の俺は、あいつみたいに女子から気持ち悪がられるような雰囲気を持ってはいないはずだ。むしろ、爽やかな好青年と見てもらえるはず。

 大丈夫。俺なら、大丈夫。


 一つうなずいて、目の前の少女に、声をかける。

「ちゃんと前見て歩いた方がいいよ」

 少女は、俺の言葉に『えっ?』というような戸惑いの顔をした。わかってはいないようだ。

 だから、俺は、少女の向かう先を指で指す。

「ほら、アジサイの花。そのまま歩いていったら、突っ込んじゃうでしょ?」

 少女は指の差す方向を確認した。濡れそぼったアジサイの花に気がついたようだ。

「あっ、本当だ。あ、あのぉ~ あ、ありがとうございます」

 少女はペコリと頭を下げた。そして、上目づかいに視線を上げつつ、すごく素敵な微笑を俺に向けてくれる。

 だから、俺はその笑顔に話しかけるのだった。

「折角、きれいに咲いているのに、君が突っ込んでいって折ったりしたら、可哀そうじゃん」

 それだけ言って、俺は背を向け、歩みを再開した。もう振り返る必要はないだろう。これだけはっきりと注意したのだし。

 すぐに、その背に少女の感謝の声が追いついてくる。

「・・・・・・はぁ? あたしじゃなくて、花の方が心配なわけ?」

 これで俺の大好きな花がまた一つ守られた。うん。よいことをした。

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