ビール
前回、投稿してから、気が付けば、もうすぐ一年。これじゃまずいってので、慌てて投稿です。
一応、今日の分で百話越えるので、一旦、完結させます。
妹からの爆弾報告があってから、はや一ヶ月。とうとう、この日がやってきた。妹の婚約者が初めて我が家を訪ねてくるのだ。
両親たちは、朝からそわそわして落ち着きがなく、この日に合わせて、前日から実家に呼び戻されていた俺もどこか気もそぞろだった。
妹が高校時代から付き合っていた弘志くんは今頃どうしているのだろうか?
妹をどこの誰かも分からないヤツにとられて、落ち込んでいなければいいのだが。明るくてなかなか爽やかな好青年で、俺としては結構気に入っていたのだが、正直残念だ。
さっき妹から電話があった。
もう二人とも駅に到着しており、ここへ向かっているらしい。
親父は居間を熊のようにウロウロウロウロし、お袋は台所でガチャガチャとお茶の用意をしている。
俺はリモコンを押してテレビをつけ、無意味にやたらとチャンネルを変える。
やがて、
「ただいまー」
玄関のドアが開いて、妹の声が家の中に響いてきた。
「お、おかえりー」
母さんが、普段よりも一オクターブ高い声で返事をする。
すぐに、聞きなれない男の声が聞こえてきた。
「お、おじゃまします」
家の中が途端に静まり返った。
妹が連れてきた男は、小柄で日に焼けていない肌のおどおどとした男だった。
正直、なぜ弘志くんを捨ててまで、この男のプロポーズを妹が受け入れたのか分からない。
「は、はじめまして、ぼ、ボク、原和晃といいます」
居間に勢ぞろいした俺たち家族に、ぴょこんと頭を下げ、自己紹介する。
「どうも・・・・・・ 私が美綾の父です」
「えっと、私は母ね。おほほ。あ、お茶どうぞ」
「す、すみません。いただきます」
「どうぞ、どうぞ」
その男は目の前の湯のみに手を伸ばし、ズズッとお茶をすする。
ふと気がつくと、その場にいる全員の視線が俺に集まっていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「ほら、お兄ちゃんも、なんか言いなよ」
「お、お兄ちゃん?」
妹の口からこの言葉を聞いたのは、いつ以来だ? 小学校の低学年のとき以来なんじゃ?
普段は、クソ兄貴とかなんとか、ボロクソに言うくせに。
言葉をなくしている俺に、ため息を一つついて、美綾がさっさと紹介をすませる。
「あ、このボーッとしているのが、お兄ちゃん」
「ど、どうも。初めまして」
「どうも・・・・・・」
この初対面の男とテーブルを囲んでいても、まったく話は弾まなかった。
一体、なにを話せばいいのだ? 共通点なんて何もないじゃないか。
親父も俺も困惑して口が重い。そいつも緊張しているようで、ボソボソとしか話さない。
ようやく聞き出せたことは、美綾と同じ会社に勤めていて、半年前から美綾と交際しているということぐらいだった。
その間、妹とお袋は台所で料理の準備をしており、ときどき俺たちの様子をのぞきにきて、なにか適当に話をするだけ。まったく盛り上がらない。
やがて、料理の準備ができ、テーブルの上にご馳走が並ぶ。
全員の席に箸とコップが並べられた。
俺は早速手を伸ばし、コップを掴んだのだが、その男はコップを見つめたまま固まっている。なにかのタイミングを見計らっているのか、チラチラと親父の顔を伺っている様子。
親父はそれに気がついていない風を装いながら、ビール瓶の栓をあけ、そいつに注ぎ口を向けた。
「あ、原くんだったね。さ、一杯」
「あ、どうもありがとうございます」
そいつは、両手で捧げるようにしてコップを持ち上げると、親父が突きつけるようにしている注ぎ口にコップを添えた。
――トプトプトプ・・・・・・
小気味良い音を立てて黄金色の液体がコップに勢い良く注がれ、真っ白な泡が立ち上る。
やがて、コップが満たされた。
「あ、じゃ、今度は、ぼ、ボクが・・・・・・」
そう申し出るのを無視して、親父は俺の方へとビール瓶を突きつける。
「ほら、お前も」
「ああ・・・・・・」
すぐに、俺のコップも満たし終える。
「ぼ、ボクが、お父さんのを・・・・・・」
一瞬、親父の眉がピクンと跳ねる。だが、そのまま何も言わずに、手酌で自分のコップに注ぐ。
そいつは、どこか困ったような顔して、それを黙ってみていた。
ご馳走を運び終え、お袋と妹が席に戻ってくる。
その二人のコップにも、親父が瓶を手放すことなくビールを注ぐ。そこで、ようやく、空になった瓶を隣に置いて自分のコップを手に取った。
それから、おもむろにテーブルを囲む家族の顔を見回し、
「正月以来、久しぶりに家族が集まったんだ。折角だから、乾杯しよう」
そうして、親父は自分からコップを高く掲げた。ガラスのコップが次々に音を立てる。
親父と俺は、一気にコップの中の液体を仰ぐ。だが、そいつは、一口つけただけでテーブルにコップを戻した。そして、箸を片手に料理をつまもうとしている親父に体ごと向き直った。
全員の視線が正座するそいつに集まっている。
親父は、ことさらにそれを無視して、刺し身に箸を伸ばしているのだが、顔が引きつっている。ビールのせいか、それとも別の理由でか、すでに顔が赤い。
そいつは、親父をヒタと見据えると、頭を下げた。
「お父さん、美綾さんを、ボクのお嫁さんにください!」
そいつはそうはっきりと言った。腹から響く大きな声で。
美綾は、両手で口元を押さえ、驚いているようにも聞こえなくはないとてもウソっぽい声を作り、お袋はニコニコ顔で『まあ』と呟いたきり、じっと親父を見つめている。俺は、寿司に伸ばした箸をゆっくりと引っ込める。
それから、
「ボクの一生をかけて、美綾さんを幸せにしてみせます!」
そいつは、床に頭をこすり付けた。
結局、親父はなにも返事らしい返事はしなかった。
うなずくこともなかったし、拒絶するように首を振ることもなかった。ただ、天井を仰いで、眼をぎゅっと閉じただけだった。
それはほんの短い時間だったように思う。
やがて、お袋が、そいつにも料理に手をつけるように促す。妹が『おいしいおいしい』を連発しながら、料理を口に運んでいる。
親父は、息を吐き出すと、黙々と食べ始める。俺も。
そいつは、顔を上げると、そんな俺たちの様子を一度眺めてから、妹に微笑みかけ、そして、すでに泡の消えているコップの中身を空にした。
アゴを天井に向け、一気にノドの奥に液体を流し込んだ。
だが・・・・・・
その姿勢のまま、そいつはしだいに体を横へ傾けていく。
――ドタンッ!
大きな音を立てて、そいつは横倒しになった。
驚いた俺が慌ててそいつに駆け寄ると、すでに伸びていた。
「ああ、和晃さん、お酒飲めないから」
その様子を眺めながら、妹は面白そうに呟いていた。自分の空になったコップに手酌でビールを注ぎながら。
「隣の部署に工藤くんっているのだけど、その工藤くんが今度結婚することになったんだ」
酔っ払って伸びてしまったそいつを客間の布団の中へ放り込み、戻ってくると、妹は親父たちに話をしていた。
「その工藤くん、結婚する相手の彼女とは3年ほどの付き合いだったのだけど、そろそろだっていうのに、全然プロポーズする様子もなかったの。で、じれた彼女が工藤くんにこんなことを言い出したんだ」
妹は、そこで美味しそうにビールを口に含んでノドを潤す。
「『職場の先輩に結婚を前提に付き合ってくれってコクられちゃったどうしよう?』って。そしたら、他の男に盗られるって急に慌て出して、工藤くん、その彼女にプロポーズしたんだって。けど、実際には、その彼女の職場には、独身男性の先輩なんていないし、全部彼女のウソだったんだけどね」
そう言って、たのしそうにクツクツ笑う。
「え? なんで、そんなこと知っているかって? だって、その彼女と私、大学時代の友達だもん」
だけど、なぜ、そんな話を俺たち家族に妹はしているんだ? 今、こんなときに?
「そんなことを半年ぐらい前の飲み会で話してたらさ、和晃さんが言ったんだ。『工藤はその彼女と別れた方がいいな』って」
酒の飲めないあいつが、飲み会に参加して、みんな酔っ払っている中で、しらふでそんなことを言ったのか?
「私が、『どうして? 彼女、一途で可愛いじゃない。そんなウソついてまで、工藤くんをものにしたいと思ってたってことなんだから』って言ったら、彼、『これから一生添い遂げようっていうのに、相手に平気でウソつける女だってことじゃないか。それで工藤が幸せになれるなんて思わない。ボクなら耐えられないな』って」
どこか、うれしそうに妹がそんなことを呟いている。それに俺たち家族は耳を傾けながら、それぞれのビールをチビチビと飲んでいた。
「だから、この人は誠実な人なんだなって。もし、結婚したら一生大事にしてくれて、幸せにしてくれる人なんだなぁって」
俺は、さっきのあいつみたいにコップをあおる。
同じようにコップを空にした妹が小さく呟いているのが聞こえてきた。
「おいし・・・・・・」
それを耳にしながら口に感じるあと味は、とても苦くて、とてもうまかった。