桜堤にて
今朝も早く目が覚めた。
世間では春眠暁を覚えずなんていうけれど、でも、どうやら、私の家だけは別のようだ。
私だけではなく、両親も弟も最近みんな早起きしている。
やっぱり、中古とはいえ、住宅ローンを組んでようやく手に入れたばかりのこの一戸建てに、まだまだみんな興奮しているようだ。
もちろん私も。今まで弟も一緒の部屋だったのが、初めて私だけの部屋を手に入れたんだから当然よね。ぐふふ。
さて、庭でチョコもワンワン騒ぎ始めたし、散歩に行って来よっと。
川や運河を活用した古くからの水上輸送の要衝だったというこの町。引っ越し以来、毎日散歩しながらあちこち探検しているけど、まだまだ知らないことがいっぱい。今日はどんなことに出会うのか、どんな新しいものを発見するのか? ちょっとワクワクしちゃうよね。
家を出て、チョコに引っ張られるようにして、適当に道を選ぶ。
薬局の角の交差点をまっすぐに進み、いくつもの古い木造の建物を横目に見ながら、ポストの脇を横道に折れる。
駅へ向かう道とは正反対の方向。今まで一度も来た事がない方角。なにがあるんだろう?
歯医者さんの建物の前あたりから短くて緩やかな上り坂になり、その一番上に出た途端、急にあたりの景色が開けた。川に架かった橋の上に出たのだ。
今までずっと、道の両側に建物が立ち並んで、薄暗く、周囲の見晴らしなんてなにもなかったのに、この橋の上では、明るく爽やかな朝の光が開放的な空間に溢れていた。
ちょうど、心地よい風が吹き付けて、私の前髪を揺らす。
「わぁ~ 川だ」
足元でチョコが私のサンダルのにおいをクンクン嗅いでいる。
「ほら、チョコ、川だよ。風、気持ちいいよ」
私の呼びかけにも、チョコは顔をお義理程度に上げただけで、また元の体勢に戻った。
「もう、チョコったら」
――カシャッ
不意に近くでカメラのシャッターを切る音が。
そちらを見ると、欄干に体を預けるようにして、カメラを構えている男の人が。
あれ? どっかで見覚えがあるような?
不審げに見ていると、視線を感じたのか、こちらを振り向いた。
えっと、たしか、この人は新しいクラスで一緒の・・・・・・
「あれ? 西村君、こんなところでどうしたの?」
「う~ん。俺、石崎なんだけど」
「あ、ゴメン。間違えた、い、石崎くん」
「いいよ。別に。気にしないから」
「そ、よかった」
「戸田さんの方は、犬の散歩?」
「うん、そうだよ。チョコっていうの」
「へえ、そうなんだ」
「にし・・・・・・ 石崎くんは?」
手に持っているデジカメに視線をやりながらそんなことを聞かなくてもねぇ~ 分かりきっているのに。なんて、思いながら、ハッとある可能性に気がついた。
「ハッ! も、もしかして、と、盗撮とか?」
一歩、後ろに下がったら、丁度歩いてきていた女の人にぶつかって。
「ご、ごめんなさい」
「ああ、いいのよ。気にしないで」
いやな顔ひとつせず、笑顔で去っていく後姿、素敵。
って、そんな場合じゃなくて。
「だれが、盗撮なんだよ!」
「え? 違うの?」
「違うよ。ほら、見ろよ! あっち」
石崎くんが指差す方を見ると、川の両岸、堤防の上に満開の桜並木が。
思わず、口をついて出る。
「き、きれい!」
「だろ? 岸だけでなく、水面も覗いてみなよ」
言われたとおりに覗いてみると、たくさんの花びらが川面に浮かんでいる。そして、その花びらまみれの水面に映っているのは・・・・・・これまた満開の桜。
「すごい!」
「なっ、だろ?」
「う、うん。そっか、盗撮じゃなかったんだ。桜の写真撮ってただけなんだぁ」
「当たり前だ!」
「ゴメンね」
「ほら、ついてきな」
そういって、石崎くんが案内してくれたのは、すこし下流の土手の上。
そこから上流の方に眼をやると、さっきまで私たちがいた橋の下から水面にびっしりとピンク色の花びらを浮かべた黒い水がゆっくりと私たちの方へ漂い流れてきていて、その流れを縁取るように、満開の桜が額縁か何かのように囲んでいる。ときどき思い出したように吹く優しい風が枝を離れたばかりの花びらを舞い躍らせ、いやが上にも幻想的な雰囲気をかもし出していて・・・・・・
「きれい!」
さっきから、そんな言葉しかでない。そんな私の横で、石崎くんも、
「ああ、きれいだ・・・・・・」
そっと大切そうに呟いていた。
って、これって。この場面って・・・・・・
ドキドキドキドキ。
急に心臓が激しく打ち出す。
こういう場面は、マンガとかでよくあるよね。女の子が桜を見上げならが『きれい』なんてうっとりしている横で、男の子が桜の方を見てなんかいないで。
ま、まさか?
そっと、期待しつつ隣を伺い見ると・・・・・・
石崎くんは、桜の方を見てはいなかった。それどころか。
「って、こら! あんた、なに撮っているのよ!」
私の足元で座り込んでいるチョコの隣で腹ばいになり、鼻の頭に花びらを乗せているチョコの姿をパチリ・・・・・・
まったくもう!
「いい写真撮れたよ」
「フンッ!」
「なに怒ってるんだよ?」
「別に・・・・・・」
石崎くんは不思議そうに首をひねってから、
「あ、そうだ、画像データ送るよ」
石崎くんがデジカメのデータを自分のスマホに一旦送り、私にも転送してくれるという。しぶしぶポケットから私のスマホを出して構えると、
「じゃ、送信っと」
さっそく、石崎くんから私のスマホに画像データが、
「な、なんで? い、いつのまに!」
最初に送られてきた画像は私の横顔だった。それから、次の写真も、次の写真も・・・・・・
どの写真も、とても自然な表情で全然カメラを意識していなくて・・・・・・
「やっぱり、盗撮してたんじゃない!」
「あ、バレた? あはは。でも、おかげで、このスマホに初めて女の子の連絡先と画像が入ったよ」
石崎くん、とてもうれしそうにそんなことをのたまうもんだから、
「ば、バカ! もう、しらない!」
なんて、ぶりっ子を演じたりして。
でも、私のスマホだって、今のが父や弟以外の男性からの連絡先のファーストゲットだった。
そんなことは、石崎くんには秘密だけどね。
また、川に沿って風が吹き抜け、桜の花びらが舞う。まるで、私の心の・・・・・・
ううん、なんでもない。
さて、明日の朝の散歩も、どんな発見や出会いがあるのかな? 今から楽しみだなぁ~